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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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第85話 小さな期待

 写真を撮る日が決まってからというもの、女中はどこか落ち着かない日々を過ごしていた。


朝の仕事に取りかかっていても、

ふとした瞬間にそのことを思い出してしまう。

食器を拭いているときも、廊下を掃いているときも、

頭の片隅にはいつも写真のことがあった。


庭へ水を撒きながら、女中は写真に写った自分の姿を想像する。


どんな顔をしていればいいのだろう。

笑ったほうがいいのだろうか。

それとも、いつものようにしていればいいのだろうか。

どんな着物を着ればいいのだろう。


そんなことを考えていると、知らず知らずのうちに手が止まってしまう。

柄杓からこぼれた水が、足元の土へ静かに染み込んでいった。


「……いけない」


女中は小さく呟き、慌てて柄杓を動かし始めた。


けれど、胸の中に生まれた期待までは、

どうしても消えてくれなかった。


写真を撮る。

ただそれだけのことなのに、なぜか特別な出来事のように思える。


昨日までは、少し怖かった。


写真には魂まで写ってしまうという話を聞いたことがある。

亡くなった人の姿が、撮った写真の中に現れるという噂もあった。

そんな話を思い出すたび、女中の胸には小さな不安が広がった。


だから、最初に主人から写真の話を聞いたときも、

嬉しさより先に戸惑いがあった。


本当に大丈夫なのだろうか。

自分が写真に写っても、何も起こらないのだろうか。


けれど、奥様も一緒に写ってくれる。


そう思うと、不思議なほど安心できた。

妻がそばにいてくれるなら、きっと怖くない。

そう考えるだけで、胸の奥にあった不安が少しずつ薄れていった。


「奥様と一緒……」


女中は、思わず口に出してしまった。

そのとき、背後から声がした。


「何が一緒なんだ?」


「……っ」


女中は肩を跳ねさせ、慌てて振り返った。


廊下に主人が立っていた。

いつからそこにいたのか分からない。


女中は柄杓を持ったまま、気まずそうに主人を見上げた。


「い、いえ……」


「何か考え事でもしていたのか?」


主人の声は穏やかだったが、女中は余計に落ち着かなくなった。


「写真のことを……少し」


正直に答えると、主人は庭へ目を向けた。


「そうか」


それから、少し間を置いて尋ねる。


「楽しみか?」


「……はい」


女中は恥ずかしそうに頷いた。


「とても……楽しみです」


自分でも驚くほど、素直な言葉が口から出た。

主人はそんな女中を見て、静かに微笑んだ。


「そうか」


それだけだった。


けれど、その短い一言だけで、女中の胸はまた温かくなった。

主人が自分の気持ちを否定せず、ただ受け止めてくれたことが嬉しかった。


主人はそれ以上何も言わず、廊下の奥へ歩いていく。

女中は、しばらくその背中を見送っていた。


やがて主人の姿が見えなくなると、女中は小さく息を吐いた。

そして、ふと思う。


写真の中にも、主人がいる。


先日の話を思い出す。


「写真を一枚欲しい」


そう主人に頼んだことがあった。

主人は、撮った写真が出来上がったら渡すと言ってくれた。

まだ、その約束は残っている。


女中は胸の奥で、そっとそのことを確かめた。


今度の写真は、奥様と一緒に写ることになる。

奥様が隣にいてくれるなら、きっと大丈夫だ。

写真に写ることも、カメラの前に座ることも、もう怖くはない。


そう思った。


けれど、胸の奥には、それとは別の小さな期待も残っていた。


もし、主人の姿も一緒に残ってくれたら。

そんなことを考えた自分に気づき、女中は慌てて目を伏せた。


「……何を考えているの」


自分に言い聞かせるように、かすかな声で呟く。


旦那様と一緒に写真を撮りたいなど、そんなことを望んでいいはずがない。

奥様と一緒に写るだけで十分なのだ。

主人から写真を一枚もらえるだけでも、ありがたいことなのだから。


そう考え直そうとする。


けれど、先ほど見た主人の背中が、なかなか頭から離れなかった。


写真の中に残る主人の姿。

その隣にいる自分の姿。


想像してしまうと、胸の奥がまた熱くなる。

女中は慌てて首を振った。


「……それ以上は考えないの」


今度は、先ほどよりも強く自分へ言い聞かせる。

それ以上は考えないことにした。


けれど、その日の仕事が終わるまで、

女中の胸からその小さな期待が消えることはなかった。

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