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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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第78話 残しておきたい姿

 女中は、もう一度写真へ目を落とした。

自分も、この中へ残る。

そう考えると、なんだか不思議な気持ちになった。


今まで、自分の姿を残しておきたいなどと考えたことはなかった。

毎日を働き、今日が終われば明日が来る。

その繰り返しだった。


けれど、写真というものは、その一日を紙の上へ残してくれる。

今の自分を。

今見ている景色を。

そして、今ここにいるということを。


「……私も、撮っていただけるのでしょうか」


女中が尋ねる。


「ああ」


主人は頷いた。


「写真館の男に頼めば撮ってくれるだろう」


「本当ですか?」


「もちろんだ」


女中の顔が、ぱっと明るくなる。

その表情には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。


しかし、すぐにその表情が曇った。


「でも……」


「何だ?」


「私などが写真に残っても、よろしいのでしょうか」


主人は少し眉を寄せた。


「なぜ、そんなことを言う」


「私は女中ですから」


女中は写真を見つめたまま、小さく答えた。

写真の中に残っているのは、立派な屋敷や庭。

そこに自分が並ぶことを考えると、

どうにも場違いな気がした。


「女中だから写真を撮ってはいけない、

という決まりでもあるのか?」


「私には……わかりませんが」


「なら、いいだろう」


あまりにも簡単に言われて、女中は少し戸惑った。

自分の身分を気にしていたことが、急に馬鹿らしく思えてくる。


「ですが……」


「お前が撮ってほしいと思ったなら、それでいい」


女中は黙った。


その言葉が、胸の奥へ静かに落ちていく。

お前が撮ってほしいと思ったなら。


自分がどうしたいのか。

誰かに決めてもらうのではなく、自分で決めていい。

その言葉は、以前奥様から言われたこととも重なっていた。


自分で考えなさい。

自分で答えなさい。

女中は、写真を見つめる。

そして、自分の心へ問いかけた。


撮ってほしいのか。

それとも、ただ珍しいものだから見てみたいだけなのか。


答えは、すぐに出た。

撮ってほしい。

今の自分を残してみたい。


「……はい」


女中は小さく頷いた。


「撮っていただきたいです」


「そうか」


主人は微笑んだ。


「では、写真館の男が来た時に頼もう」


「はい」


女中は嬉しそうに頷いた。

その様子を見て、旦那様の表情も自然に和らぐ。


「一人で撮るか?」


「……一人で?」


「ああ」


女中は少し考えた。

写真の中に、自分一人。


それを想像すると、なぜか急に恥ずかしくなった。

写真館の男の前で、じっと座っていなければならない。


動いてはいけないのだろう。

どんな顔をすればいいのかも分からない。


「……少し、怖いです」


「怖い?」


「はい」


女中は写真を両手で持ったまま答えた。


「自分の姿が、ずっと残るのでしょう?」


「まあ、そうだな」


「それなら……」


女中は言葉を探した。

そして、ふと写真を見つめる。


自分一人ではなく、誰かと一緒なら、

少しは安心できるかもしれない。


そう思った。


「旦那様と……」


言いかけて、女中は自分の言葉に気づいた。


顔が一気に熱くなる。


「……いえ」


慌てて首を振る。


「何でもございません」


視線を落とす。

耳まで赤くなっている。


主人も一瞬、言葉を失った。

女中の言葉の意味を、考えないわけにはいかなかった。


自分と一緒に写真を撮りたい。

ただ写真が怖いからなのか。


それとも……。

主人は、そこまで考えてからその先に進むのを止めた。

今は、それ以上考えるべきではない。


「そうだな」


しばらくして、主人が静かに言った。


「まずは一人で撮ってみればいい」


「……はい」


女中は素直に頷いた。

けれど、その声にはほんの少し残念そうな響きが混じっていた。


その表情を見て、主人は小さく笑う。


「写真は一枚だけとは限らん」


「え?」


「何枚撮ってもいい」


「……そうなのですか?」


「ああ」


女中の顔が再び明るくなった。


「では……」


女中は写真を両手で持った。


「私も、撮っていただきたいです」


「頼んでおこう」


「ありがとうございます」


女中は深く頭を下げた。

そして顔を上げると、また笑っていた。


さっきまでの戸惑いは消えている。

その笑顔には、まだ見ぬものへの期待があった。


「どんなふうに写るのでしょう」


「それは撮ってみないと分からんな」


「目を閉じてしまったら、どうしましょう」


「その時は撮り直せばいい」


「動いてはいけないのでしょう?」


「写真館の男に聞けばいい」


「髪は……」


女中は自分の髪へ手をやった。


「きちんとしておいた方がよいでしょうか」


「そうだな」


「着物も、いつものものでいいのでしょうか」


「それで十分だろう」


「……そうですか」


女中は何度も写真を眺めた。

まるで、もう撮影の日が来たかのように楽しそうだった。


その姿を見ながら、主人はふと思った。

写真というものは、不思議なものだ。

今の姿を残すだけではない。

その時にあった気持ちまで、一緒に閉じ込めてしまうような気がする。


もし今の女中を写真に残せば。

この笑顔も。

この時間も。

そして、自分がこの笑顔を見ていたことまで、

いつか残ってしまうのかもしれない。


主人は、そこまで考えてから、そっと視線を逸らした。

女中はそんなことには気づかず、写真を大切そうに眺めていた。


やがて、一枚の写真をそっと指先で撫でる。


「……写真って、不思議ですね」


「ああ」


「何年経っても、ここにあるのでしょう?」


「そうだな」


「では……今の私も」


女中は小さく呟いた。


「いつか、昔の私になるのですね」


主人は、その言葉に少しだけ目を細めた。


「そういうことになるな」


「なんだか変な感じです」


「人間は皆、そうやって歳を取る」


「はい」


女中は微笑む。

そして、写真の中の庭をもう一度見つめた。


いつか、この庭も変わる。

自分も変わる。

旦那様も変わる。

けれど、写真を撮っておけば、その時の姿だけは残る。


そう思うと、女中は急に写真を撮ることが待ち遠しくなった。


「……楽しみです」


その声は、少女のように弾んでいた。

主人はそんな女中を見て、微笑んだ。


けれど、その胸の奥では。

この写真が、

いつか二人にとってどんな意味を持つことになるのか。

まだ誰にも分からなかった。

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