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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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第61話 欠かせない者

 師走へ入ると、屋敷の空気はどこか慌ただしくなった。


煤払いを終えたばかりの柱は黒く艶を取り戻し、

玄関には新しい松が飾られている。


町もまた、年の瀬独特の活気に包まれていた。

その日の夕刻、主人は妻へ声を掛けた。


「今夜は仕事の付き合いで、何人か客を招く」


「承知しております」


奥様は静かに頷いた。


「あなたも、一緒にお願いね」


「はい」


女中も頭を下げる。


主人の客を迎えるのは奉公人の務めである。

それ以上でも、それ以下でもない。



 日が暮れると、客が次々に屋敷を訪れた。


呉服商の主人。

町医者。

役場勤めの男。


主人と長い付き合いのある者ばかりである。

酒が進むにつれ、座敷には笑い声が満ちていった。

女中は盃を運び、料理を取り替え、静かに立ち働く。


余計な口は利かない。

視線も合わせない。


それが身に付いた奉公人の作法だった。


「ほう」


一人の客が女中を見て目を細めた。


「ずいぶんと気立ての良い娘さんだ」


女中は一礼するだけで答えない。


「若いのに、よく気が利く」


別の客も笑う。


「最近はこういう娘は少ないですな」


主人は盃を口へ運びながら、小さく微笑んだ。


「働き者ですよ」


それだけだった。

女中は胸が少し温かくなる。


主人として奉公人を評価した。

ただ、それだけのこと。


それだけで十分だった。



 酒がさらに回る。

先ほどの客が冗談めかして笑った。


「先生」


主人の方を見る。


「もし手放す気があるなら、うちへ欲しいくらいですよ」


座敷がどっと笑う。


「こんな娘なら、店も明るくなる」


「嫁にでもしたいくらいですな」


笑い話だった。

誰も本気ではない。

妻も穏やかに笑って聞いていた。


女中だけが、小さく身を固くする。

その時だった。


主人が静かに盃を置いた。

座敷の笑いが少し収まる。


「それは困ります」


穏やかな口調だった。

しかし、その声には珍しく迷いがなかった。


「この娘は」


その目に戸惑いの色はなく。


「うちには欠かせない者です」


座敷が静かになる。

主人は笑顔のまま続けた。


「妻も私も、大いに助けられております」


客たちは顔を見合わせた。


「そうですか」


「それなら諦めますかな」


再び笑いが戻る。

話題は別の方向へ移っていった。


宴は何事もなかったように続いていく。



しかし女中だけは、何も聞こえなくなっていた。


(欠かせない……)


その言葉だけが胸の中で何度も繰り返される。


奉公人として。

それは分かっている。


主人は仕事を褒めただけなのだ。

それ以上の意味などあるはずがない。


なのに胸が熱い。

息が苦しい。


あれほど静まっていた火が、薪をくべられたように揺らぎ始める。


料理を運ぶ手がわずかに震えた。


「失礼いたします」


声だけは乱さない。

それでも、自分の心までは抑えきれなかった。



 宴も終わり、客を見送る。

冷たい夜風が酒の熱をさらっていく。


主人は玄関で最後の客へ頭を下げる。


「ありがとうございました」


客が帰ると、屋敷は急に静かになった。


「やれやれ」


主人は肩を回す。


「少々飲み過ぎたかな」


妻が笑う。


「珍しいことです」


二人は穏やかに話しながら座敷へ戻っていく。

女中は一人、玄関先へ残った。


吐く息は白い。

冬の空には、細い月が浮かんでいた。


(欠かせない……)


また、その言葉が蘇る。

女中はぎゅっと胸元を押さえた。


「いけません……」


小さく首を振る。


「また……」


ようやく静まったと思っていた心が、再び波立ち始めている。

主人は何も変わっていない。

変わってしまったのは、自分だけだ。


その時、廊下の奥から奥様が静かに振り返った。

女中は慌てて視線を落とす。

奥様は何も言わない。


ただ一瞬だけ、女中の胸へ添えられた手と、

その苦しげな表情を見つめていた。


その穏やかな瞳だけが、誰にも気づかれぬ小さな変化を、

静かに見逃さずに受け止めていた。

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