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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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夏風の茶席

午後になると、庭には丸い卓が用意された。


木陰へ移された卓には白い麻布が掛けられ、

冷えた麦茶と季節の菓子が並べられている。


蝉の声は相変わらず賑やかだったが、

木々を渡る風は思いのほか涼しかった。


女中は盆を抱え、静かに庭へ出る。


「失礼いたします」


湯呑を三つ並べる。

主人は縁側側へ腰を下ろし、妻は向かいへ座った。

女中はいつものように一歩下がろうとする。


「あなたも」


妻が穏やかに言った。


「座りなさい」


女中は驚いて顔を上げる。


「……いえ、そのような」


「今日はお手伝いではなく、お茶の相手をしてちょうだい」


「ですが……」


「命令よ」


妻はいたずらっぽく笑った。


その笑顔には逆らえない。

女中は戸惑いながら、二人から少し離れた場所へ正座した。


主人は何も言わない。

ただ静かに湯呑へ手を伸ばす。

三人だけの時間。


不思議な沈黙が流れていた。


以前なら息苦しかったはずの静けさが、

今日はどこか柔らかい。


風が百日紅の枝を揺らす。

花びらが一枚、卓へ舞い落ちた。


「綺麗ね」


妻がそれを摘み上げる。


「夏の花は、咲く時も散る時も潔いわ」


誰へともなく呟く。

女中はその横顔を見つめた。


妻は花びらを掌へ乗せたまま続ける。


「人の心も同じなら、どんなに楽でしょうね」


主人が小さく苦笑する。


「急には変われんさ」


「ええ」


妻も笑う。


「だから時間が必要なのよ」


その言葉は風へ流した独り言のようだった。

しかし女中には、自分へ向けられた言葉だと分かった。


焦らなくていい。

無理に忘れなくていい。

ただ、今は立ち止まりなさい。


そんな優しさが込められているように思えた。


主人もまた、その言葉を静かに受け止めていた。


湯呑を口へ運ぶ。

冷えた麦茶が喉を潤す。

それでも胸の渇きだけは癒えなかった。


「そういえば」


妻がふと思い出したように笑う。


「あなた、若い頃は随分もてたのでしょう?」


主人は顔をしかめる。


「また急な話だな」


「教えてくださらないもの」


「大した話じゃない」


「それが一番怪しいのよ」


妻はくすくすと笑う。


女中も思わず口元を緩めた。

主人は困ったように頭を掻く。


「昔のことだ」


「昔でも聞きたいわ」


「聞いてどうする」


「嫉妬するの」


そう言って妻は笑った。

その笑い声につられ、主人も小さく笑う。


女中は二人の姿を見つめていた。

夫婦とは、こういうものなのだ。


長い年月を共に歩き、冗談を交わし、笑い合える。

そこへ自分の入る場所など、最初からない。


それが分かっている。

分かっているのに、不思議と今日は胸が少しだけ穏やかだった。


主人と妻が笑っている。

その光景を見て、美しいと思えた。

それは初めてのことだった。


妻は女中へ視線を向ける。


「あなたも笑うと可愛いわ」


女中は照れたように俯く。


「……ありがとうございます」


「そう、その顔」


妻は満足そうに頷いた。


「やっぱり、その方があなたらしい」


女中は返事の代わりに、小さく笑った。

その笑顔はまだどこか儚く、痛みを残していた。


それでも、涙で曇っていた数日前より、

ほんの少しだけ前を向いていた。


夏の風が三人の間を静かに吹き抜ける。

誰も未来のことは口にしない。


けれど、この穏やかな午後だけは、

壊れかけた日常が少しだけ元の姿を取り戻したように思えた。

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