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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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35/48

第35話  見ていてくださった

──翌朝。


女中は誰よりも早く目を覚ました。

まだ空は白み始めたばかり。

井戸で水を汲み、庭へ打ち水をする。


飛び石を一枚ずつ濡らし、箒で静かに掃く。

朝露に濡れた庭は、どこか昨日までとは違って見えた。


(今日は……)


今日こそは失敗をしない。

昨日のことを思い出すたび、そう心に決めていた。



朝餉の支度も終わり、亭主が帳場へ姿を見せる。

女中は膳を運びながら、そっと様子をうかがった。


昨日のことを気にしているだろうか。

いや、それとも、もう忘れてしまわれただろうか。

そんなことを考えている自分に気づき、慌てて頭を振る。


(仕事に集中しなければ)


湯呑を置く。

箸を揃える。

一つひとつ確かめる。


「ご飯を」


亭主が茶碗を差し出した。


「はい」


女中は丁寧によそい、両手で差し出す。

その時。


「今日は落ち着いているな」


亭主が何気なく言った。


「昨日より、手元がしっかりしている」


女中は思わず顔を上げた。


「……はい。昨日、教わりましたので」


亭主は小さく頷く。


「それでいい。人は、一日で変われるものだ。」


それだけ言うと、食事へ戻った。


ほんの短い会話。

それなのに。

女中の胸には、朝日が差し込んだような温かさが広がる。


(見ていてくださった)


昨日の失敗だけではない。

今日の仕事ぶりも。

ちゃんと見ていてくださった。



その日一日、女中の足取りは軽かった。

廊下を拭く。

洗濯物を干す。

帳場を掃く。

どの仕事も、不思議なくらい苦にならない。


「今日は元気ね」


妻が笑う。


「はい」


思わず返事も弾む。


「何か良いことでも?」


「……。」


女中は答えようとして口を閉じた。


「いえ。今日は、お天気が良いので」


妻は不思議そうに笑った。


「そう……」


それ以上は聞かなかった。



──夕方。


女中は帳場の障子を拭いていた。

少しでも曇りが残らないよう、何度も布を替える。

その様子を、妻は廊下から見ていた。


(ずいぶん熱心ね)


以前から真面目な子だった。

けれど最近は、真面目というより、

自分へ厳しくなったように見える。


仕事が終わっても、もう一度見直す。

気になる場所があれば、誰に言われなくてもやり直す。

その姿は頼もしくもあり、少し心配でもあった。


妻は静かに声を掛ける。


「もう十分きれいですよ」


女中は振り返る。


「ですが……。

もう少し磨けば、旦那様も気持ちよくお仕事ができるかと」


その言葉に、妻は一瞬だけ表情を止めた。

すぐに穏やかな笑みへ戻す。


「そうね。きっと喜ばれます」


女中は嬉しそうに頷き、もう一度布を絞った。

その後ろ姿を見つめながら、妻は胸の内で小さく息をつく。


(この子は……)


仕事が好きなのではない。

誰かに喜んでもらうことが嬉しいのだ。


そして今、その「誰か」が少しずつ一人へ傾き始めていることに、

妻だけが薄々気づき始めていた。


一方の女中は、そんな自分の変化にまだ気づいていない。

ただ一つだけ確かなことがあった。


今日も旦那様に「落ち着いているな」と言っていただけた。

その一言があるだけで、また明日も頑張れる。


その思いはいつしか、仕事への励みを超え、

自分の心を支える大切な拠り所へと、

静かに変わり始めていた。

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