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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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第25話 人柄という宝

 亭主は足早に町道を進んでいた。

奥村夫人の姿は、まだ通りの角を曲がったばかりだった。


「奥村様」


声を掛けると、老婦人はゆっくり振り返る。


「あら、旦那様」


亭主は軽く息を整え、風呂敷包みを差し出した。


「お忘れ物でございます」


「あらまあ」


奥村夫人は目を丸くした。


「これは失礼いたしました」


包みを受け取り、小さく頭を下げる。


「わざわざ、旦那様自らお持ちいただいて」


「いえ」


亭主も会釈を返した。


それだけなら、すぐに別れてもよかった。

だが亭主は、その場を離れなかった。

奥村夫人も、それに気づいたようだった。


「まだ、お話がおありですか?」


亭主は静かに頷く。


「先ほどは、十分にお伝えできませんでしたので」


朝の町を、人々が行き交っている。

荷を担ぐ男。

野菜を売る農家の女。

その脇で二人は自然と道の端へ寄った。


亭主は静かな声で口を開く。


「奥村様、決して、お話が嫌でお断りしたわけではございません」


奥村夫人は黙って聞いている。


「あの子は、親御さんから預かった娘です。

奉公という形ではありますが、幼い頃から我が家で育ちました。

そのため、どうしても情がございます」


奥村夫人はゆっくりと頷いた。


「ええ、お話を伺っていて、それはよく伝わりました。」


亭主は続ける。


「ですから、縁談を急ぐつもりはございません。」

「本人が納得し、相手の家も心から迎えてくださる、

そういう形で送り出したいと思っております」


奥村夫人は微笑んだ。


「あなたは、本当に親のようですね」


亭主は少し照れたように笑う。


「いえ、親には敵いませんよ。ですが、

預かった以上、親御さんに恥じぬよう育てたいと思ってまいりました」


しばらく沈黙が流れる。

やがて奥村夫人が口を開いた。


「一つだけ、お伝えしておきます」


「はい」


「私は、家柄だけであの子を望んだのではありません」


亭主は顔を上げる。


「昨日、町で見かけました。

あの子が、お味噌屋でも乾物屋でも、誰に対しても丁寧に頭を下げている姿を」


奥村夫人は笑顔を崩さないまま、続ける。


「商売というものは、人柄です。

礼儀は教えられます。ですが、

人を思いやる心だけは、教えようとして身につくものではありません」


奥村夫人は柔らかく笑った。


「あの子は、それを持っている子だと思いました」


亭主は静かに頭を下げる。


「ありがとうございます。そのお言葉だけで、十分でございます。」


奥村夫人は包みを抱え直した。


「今日は、このまま帰ります。ですが。」


少しだけ悪戯っぽく笑う。


「二、三年後に、また伺うかもしれません」


亭主も思わず笑みを漏らした。


「その頃には、本人の考えも変わっているかもしれません」


「ええ。その時は、改めて」


二人は深く礼を交わした。


奥村夫人はゆっくりと歩き去っていく。

その後ろ姿を見送りながら、亭主は小さく息を吐いた。

胸のつかえが、少しだけ軽くなった気がした。


しかし同時に、一つの現実を突きつけられた。

あの子は、もう誰かの目に留まる年頃なのだ。

家の中だけで守り続けられる時間は、決して長くはない。


そう思いながら家へ戻ると、門の前では女中が打ち水をしていた。

亭主に気づくと、柄杓を置いて深く頭を下げる。


「お帰りなさいませ。」


その何気ない笑顔を見た亭主は、奥村夫人の言葉を思い出す。


『人を思いやる心だけは、教えようとして身につくものではありません』


「……ただいま。」


そう答えた声は、いつもより少しだけ優しかった。

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