第19話 守れる場所、守れない場所
女中は風呂敷を抱え、足早に家路を急いでいた。
町の賑わいは少しずつ遠ざかり、
人通りもまばらになっていく。
「お待たせしてしまうかもしれない……」
妻は時間には厳しくない。
それでも、頼まれた仕事を早く済ませたい。
それが女中にとっては何より大切なことだった。
やがて見慣れた門が見えてくる。
思わず胸をなで下ろした。
「ただいま戻りました」
戸を開けると、台所から妻が顔を出した。
「お帰りなさい」
「無事に済みましたか?」
「はい」
女中は風呂敷を開き、一つひとつ品物を並べる。
味噌。
乾物。
薬種屋の包み。
妻は書き付けと見比べながら頷いた。
「全部揃っていますね」
「よくできました」
その一言に、女中の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます」
「町はどうでした」
妻が尋ねる。
「とても賑やかでございました」
「少し迷いそうになりましたが、お店の方が親切で……」
初めて見る町の様子を、少し興奮気味に話す女中を見て、
妻は静かに微笑んだ。
まだ少女らしい表情が残っている。
その無邪気さに、少し安心する。
「何か困ったことは?」
女中は一瞬だけ言葉を止めた。
仕事先の男と会ったことが頭をよぎる。
隠すようなことではない。
そう思い、正直に話した。
「途中で、旦那様のお仕事先の方とお会いいたしました。」
妻の手が止まる。
「……そう」
「少しお話を」
「そうでしたか」
妻は穏やかな表情を崩さなかった。
「何か困らされませんでしたか」
「いいえ。道を尋ねられた程度でございます」
女中は少し考えてから続けた。
「旦那様は優しい方ですね、と、
そのようなお話をされました」
妻は静かに息を吐く。
「あなたは、何と答えたの」
「その通りです、と。
奥様にも良くしていただいております、と申し上げました。」
妻は安心したように微笑んだ。
「それで十分です」
女中は首を傾げる。
「何か、ございましたか」
妻は少しだけ考え、首を横に振った。
「いいえ……ただ、
外では、家のことを話し過ぎないようにね。」
「はい。」
「悪気のない人でも、話はいくらでも広がるものだから」
「……はい」
女中は真剣な表情で頷いた。
その様子を見て、妻は改めて思う。
この子は、本当に素直だ。
だからこそ、周りの大人が守らなければならない。
--夕刻。
亭主が帰宅すると、妻は昼間の出来事を静かに伝えた。
「町で、あなたのお仕事先の方に会ったそうですよ。」
亭主は草履を脱ぐ手を止めた。
「誰だ。」
「お名前までは。ですが、先日いらした方だそうです。」
亭主は難しい表情になる。
「……そうか。」
妻は夫の顔を見つめる。
「心配ですか。」
「少しな。」
亭主は苦笑した。
「町で偶然会うこともある。それは仕方がない。
だが、仕事先の者まで、あの子へ興味を持ち始めている。」
その言葉には、自分自身への戒めだけではない、
外の男たちへの警戒も滲んでいた。
妻は静かに頷く。
「ええ。だから今日、一つ安心したことがあります。」
「何だ。」
「あの子は。あなたや私のことを、とても自然に話していたそうです。
自分の居場所が、この家なのだと。」
亭主は静かに目を閉じる。
「……それならいい。」
だが胸の奥では、別の思いが芽生え始めていた。
家の中だけなら守れる。
しかし、一歩外へ出れば、
この娘を一人の若い女性として見る男はいくらでもいる。
それは、自分がどれだけ目を逸らそうとしても変えられない現実だった。
その夜、庭では風鈴が小さく鳴り続けていた。
夏は、まだ始まったばかりだった。




