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家の内側、女中の気配が変わるころ  作者: てきてき@tekiteki


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13/21

第13話 家を守るということ

夜――。


妻は寝所へ向かう途中、ふと足を止めた。

廊下の向こう。

書斎には、まだ灯りが漏れている。


「あの人……」


仕事が残っているのだろう。

そう思って歩き出しかけた時だった。


反対側の廊下から、小さな足音が聞こえてきた。

女中だった。

胸に洗い立ての寝間着を抱え、書斎へ向かって歩いてくる。


妻は柱の陰へ身を寄せた。

もちろん、隠れるつもりなどなかった。

ただ、声を掛けるほどの距離でもなかった。


女中は書斎の前で膝をつく。


「旦那様」


「……ああ」


障子が少しだけ開く。


「寝間着を、お持ちいたしました」


「そこへ置いてくれ」


「はい」


女中は畳の上へ丁寧に畳んだ寝間着を置く。

そのまま立ち去る。

ただ、それだけのこと。

それだけのはずだった。


「待て」


亭主の声が聞こえた。

女中の足が止まる。


「はい」


「今日のことだが」


女中は静かに振り返る。


「あいつの言葉を、気にしているのか」


「……少しだけ」


正直な返事だった。


「申し訳ございません」


「謝ることではない」


亭主は穏やかな声で答える。


「あいつは、この家を守ろうとしている。

だから厳しくなる。

お前を嫌っているわけではない」


女中は小さく目を伏せた。


「分かっております」


「奥様には、とても良くしていただいておりますから」


「そうか……それならいい」


短い会話。

余計な言葉はない。


女中は再び頭を下げた。


「では、失礼いたします」


「ああ」


障子が閉まる。

廊下へ戻った女中は、一度だけ深く息を吐いた。

肩の力が抜ける。


その様子を、妻は静かに見つめていた。


叱られたことを引きずっている。

あの子は、まだそういう年頃なのだ。

強く言えば傷つき、優しく言えば安心する。

その繰り返しで、大人になっていく。


女中が廊下の向こうへ消えてから、

妻は書斎の障子を静かに叩いた。


「あなた」


「……おや」


亭主は少し驚いたような顔を見せた。


「まだ起きていたのか」


「ええ」


妻は部屋へ入り、亭主の向かいへ座る。


しばらく、沈黙。

二人とも何を話すべきか分かっていた。

だからこそ、言葉を選んでいる。


やがて妻が口を開いた。


「優しく、諭してくださったのですね」


亭主は一瞬だけ表情を止めた。


「聞いていたのか」


「いいえ」


妻は静かに首を振る。


「聞こうと思ったわけではありません。

廊下で、少しだけ」


亭主は苦笑した。


「そうか」


妻は夫の目を真っすぐ見つめる。


「あなたは、本当に優しい人。

だから私は……少し怖いのです」


亭主は黙って聞いていた。


「優しさは、人を救います。

でも時々、人を勘違いさせます」


「勘違い……か」


「ええ」


妻は視線を落とす。


「あの子は、あなたを信頼しています。

父親のように」


「それは、とても良いことです。

ですが、その信頼が、いつまでも同じ形とは限りません」


部屋に夜風が入り、灯火がわずかに揺れた。


亭主は静かに息を吐く。


「俺も……そう思っている」


その一言に、妻はゆっくり顔を上げた。


「だから距離を置こうとしている。だが……」


亭主は自嘲気味に笑う。


「距離を置こうと意識すること自体が、もう普通ではない」


妻はその言葉を聞き、胸が締めつけられた。

夫は気づいている。

自分の心の揺らぎに。


だからこそ苦しんでいる。

それが分かったからだ。


「あなた」


妻はそっと夫の手に触れた。


「一人で抱え込まないでください。

私も、この家を守ります」


亭主はその手を見つめ、小さく頷いた。


「……ああ」


しかし二人とも知らなかった。


廊下を曲がった先で。

忘れ物に気づいて戻ってきた女中が、

その最後の言葉だけを聞いてしまったことを。


――「私も、この家を守ります」


女中は足を止めたまま、小さく頭を下げる。


(私は……守っていただく側なのですね)


そう胸の内で呟くと、音を立てぬよう静かに踵を返し、

夜の廊下へと消えていった。

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