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日常が戻ってきた。もう二度と帰ってこないつもりだったのに、どうして自分は学校にいるのだろう。
聞く予定のなかった授業を受け、食べる予定のなかった弁当を食べる。あの時墓地で死ねていれば、今自分がここにいることはなかった。水野にとって、これは余生のようなものだ。本来なら過ごすことのなかった時間が、無為に流れている。
未成年が自殺する理由の中で多いのが、人間関係だ。いじめ、というと子供のじゃれ合いの延長のように軽く聞こえる。持ち物を隠す、集団で暴行を加えるなど、サル程度の知能さえあれば思いつくやり方だ。しかし実際はもっと陰湿で、被害を受けた生徒が二度と立ち直れないような非道ないじめが横行している。
ちょうど水野の学校でも、ある女子生徒が命を絶ったばかりだった。売春の疑いをかけられ、あることないこと吹聴された結果、多くの生徒が通学に使っている路線がラッシュ時に止まった。飛び散った女子生徒の肉片は、加害者の制服を汚すくらいの報復しか出来なかったらしい。
飛び込み自殺は、水野の選択肢には無かった。残された家族に金銭的な負担を強いるのは本意ではない。家族に恨みがあって死を選ぶのなら、鉄道会社から何億でも請求されてしまえと思うが、父とも母とも特に不仲でもなんでもなかった。
飛び降り自殺もなしだ。ビルから飛び降りた先が、アスファルトとは限らない。何の罪もない通行人が巻き込まれたという事故の記事をネットで見た。水野に他人を巻き込んで死ぬような、テロリズム的思想はない。
「死に方を選ぶのって、案外難しいな」
朝の教室は、人がまばらだ。騒がしい連中が登校してくるまでには、まだ時間がある。朝練から引き上げる運動部の声が聞こえてくる妙に静かな教室で、水野はぽつりと独り言を漏らした。
そう、独り言のつもりだった。誰に聞かせるわけでもない、脳内の言葉をそのまま口にしただけ。朝の爽やかな空気にには似合わない物騒な言葉は、しかし一人のクラスメイトの耳に入ってしまった。




