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「そういう時はさ、気持ちを文字にすればいいんじゃない。頭の中でずっとグルグル考えてても無駄。紙に書いて吐き出しちゃえば、案外自分の気持ちって理解できるもんだよ」
「意味ないですよ、そんなの」
「なんですぐに否定すんのさ。やってみないと分からないでしょ。私だってこう見えて結構悩んでてさ、書いてみたノートあるよ。見る?」
水野が答える前に、A4サイズのノートがテーブルの上に置かれた。表紙の端が破けており、水を吸って変色した跡もある。
「こういうのって普通、人に読ませるものじゃないのでは」
頭の中を覗かれて気分のいい人間などいない。気持ちを書き綴ったノートを、会ったばかりの他人に見せるなど、水野には考えられなかった。
しかし香坂は、その汚いノートを押し付けてきた。顎をしゃくり、開いてみろと促してくる。
「じゃあ読みますけど…」
一ページ目には、余白を贅沢に使って大きな文字でこう書かれてた。
『死にたくない』
それだけ。たったそれだけだ。次のページを開いても、また次のページを開いても、出てくる言葉はその6文字。ページによって筆跡は少し異なっており、文字がまっすぐの時もあれば、みみずがのたくったような文字の時もある。煙草を吸いながら書いたと思しきページには、箱を包んでいたビニールの切れ端が挟まっていた。
「香坂さん、これ…どういう意味ですか」
「ん?どういう意味って、そのまま」
ふと、テーブルの上にあった錠剤が目に入った。先ほどはあまり気に留めなかったが、なにか重篤な病気を抱えていて、間もなく死期が迫っているということなのだろうか。
水野の視線に気づいたのか、香坂がケラケラと笑って錠剤をつまみ上げた。
「ああ、これ?そんな深刻な顔しないでよ。ただの薬だし、私って別に不治の病に犯されて、余命あと数か月とかそんなんじゃないから。悲劇のヒロイン気取んなとか思った?」
「別にそんなことは」
「いーよ、顔に書いてあるもん。マジで薫くんって表情に出やすいわ」
何がそんなに面白いのか、香坂は涙を流しながら笑った。そういえば大人が泣くのを見るのは初めてだ。これを泣いている事にカウントしていいのであれば、だが。
「私さ、アル中なんだよ。アルコール依存症、知ってる?」
アルコール依存症は、もちろん聞いたことがある。具体的にどんな症状なのかは知らないが、いわゆる中毒の一種。酒が切れれば手が震え、まるで人肉を食らうゾンビのように、アルコールを求めてしまう。人間の尊厳などそこにはなく、生きているというよりは酒に生かされているだけの生き物。そんなイメージだった。
目の前で明るく笑っている香坂と、尊厳を捨て去った人間の末路は結びつかないが、出会ってからの数時間、彼女がずっと酒を手放さないことが何よりの証明だった。おそらく水野がベッドで寝かされている間にも、何本か酒を開けていたに違いない。
「アルコール依存症って、死ぬんですか」
「私はこのままだと死ぬって先生に言われちゃった。結構体中ガタが来てるみたいでさ。肝臓がやばいのはもちろんなんだけど、心臓病?のリスクも高いらしくて、今すぐ酒を辞めないと、もう数年ももたないんだって。でもネットで調べたんだけどさ、酒やめても3割くらいは死ぬらしいよ」
「香坂さんは、死にたくないんですよね」
「うん、死にたくない。生きてたい。世の中のこと、そんな嫌いじゃないし」
「そんなふわっとした理由なんですか」
「悪いかよお」
ああ、そうか。この人は自分と正反対で、なんとなく生きたいのだと水野は思った。なんとなく死にたい水野と、なんとなく生きたい香坂。互いの人生を交換できれば、どれだけ良かっただろう。




