第3話【決別の密約と、深紅の契約】
白銀の王国に捧げる忠誠も、
王位継承者としての義務も、
すべては偽りだ。
俺が守るべきものは、
この王国の王冠ではなく——
目の前に立つ、
この太陽のような女性の未来だ。
翌夜、俺は
人目を忍んで城の北塔にある
メイヴィスの滞在客室を訪れた。
ドアを叩くと、一瞬の警戒の後、
重厚な木枠が静かに開いた。
立ち現れたメイヴィスは、
昼間の着飾ったドレス姿ではなく、
動きやすい革の旅装に
身を包んでいた。
「……待っておりましたわ、オリヴァー王子」
部屋に入ると、
テーブルの上には
すでに新大陸の精密な地図と、
旧王国の詳細な巡察ルートが
広げられていた。
彼女の行動の早さに、
俺は感嘆を禁じ得なかった。
「城の『目撃の魔導士』どもが
動いている。
明日の朝には、
あなたと俺に関する捏造された
醜聞が
王都の回覧板を埋め尽くすはずだ。
王家はそれを利用して、
新大陸への賠償請求と、
あなたの拘束を狙っている」
俺の告白に、
メイヴィスは冷ややかな笑みを浮かべた。
「相変わらず、
腐りきったやり口ですわね。
ですが……
私がただ黙って陥れられるとでも
思っているのなら、
随分となめられたものですわ」
彼女は紫の瞳を強く光らせ、
地図の一点を指差した。
新大陸へ向かう定期船が出る、
最果ての港町「ラグナ」。
「明後日の未明、
私はこの城を脱出し、
港から新大陸行きの船に乗ります。
貴国との外交協定など、
こちらから破棄させていただきますわ」
「一人で行く気か?
王国の密偵や騎士団の手が、
すでに街道に回されているはずだ。
今のあなた一人では、
港に辿り着く前に捕らえられる」
俺が鋭く指摘すると、
メイヴィスは少しだけ言葉を詰まらせた。
彼女がどれほど優秀で度胸があろうと、
この王国の暗部が持つ武力と
裏のネットワークの前では
厳しい戦いになる。
俺は一歩踏み込み、
彼女の真直ぐな目を見つめた。
「俺を連れて行け、メイヴィス」
「……なっ!?」
彼女が息を呑む。
「正気ですの、オリヴァー王子?
あなたはこの王国の第二王子。
ここで王家を捨てて私と逃げれば、
あなたは国賊として
追われる身になりますのよ!?」
「最初から、
この城に俺の居場所などない」
俺は、胸元の
王家の紋章が入ったペンダントを外し、
無造作にテーブルの上に放り投げた。
「十五年前、
母が殺された日に俺の忠誠は死んだ。
俺が
今までこの城にとどまっていたのは、
牙を研ぎ、
逃げる機会を待っていたからに過ぎない。
俺の知識と軍事技術、
そして王国の裏道を網羅した経験は、
あなたの脱出に必ず役に立つ」
メイヴィスは息を殺し、
じっと俺を見つめていた。
その瞳の中で、警戒と戸惑い、
そして確かな熱量が交錯している。
「……私を利用して、
この国から抜け出したいだけ
かもしれませんわよ?」
「それでも構わない。だが、
俺はあなたを守ると誓った。……
あなたの自由と尊厳を脅かす
全てのものから、
俺の命に代えても守る」
俺は右手を差し出した。
「俺をあなたの
『護衛』として雇ってくれ、
メイヴィス閣下。
報酬は……外の世界の空気と、
あなたの隣の席だ」
沈黙が部屋を包んだ。
遠くで城の夜警が鳴らす鐘の音が響く。
メイヴィスは深くため息をつくと、
ふっと不敵で、けれどどこか
愛おしそうな笑みを浮かべた。
そして、その白く柔らかな手を、
俺の手の上に強く重ね合わせた。
「いいでしょう、オリヴァー。
私の専属護衛として、
あなたを雇いますわ。……ただし、
途中で音を上げても
絶対に降ろしてあげませんからね」
「望むところだ」
二人の手が
強く握り合わされたその瞬間、
俺たちの命運は一つに繋がった。
白銀の城に別れを告げ、
冷酷な王冠を捨て去る夜。
俺たちの密やかな逃亡劇が、
今まさに始まろうとしていた。
©[I・G・ε]All Right Leserved.
月が雲に隠れた丑の刻、
城郭の裏手に位置する地下抜け道は、
密やかな足音と緊張感に包まれていた。
「……ここが、かつて
母上が私的に使っていた抜け道だ」
ランタンの仄かな明かりを頼りに、
俺は
苔むした石壁の手触りを確認しながら
先頭を歩く。
この通路は、……。
本日、17:10 に、第4話を投稿します。




