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ひとまずは公爵と夫人の肖像画の制作に取り掛かったネストを置いて、俺は工房に向かった。
絵に向き合っていない時のネストに知られると一緒に来たがるのだが、公爵の庭をスケッチからキャンバスに描き始めたネストは集中していたため、俺が出かけることには気づかなかったようだ。
ネストの世話役として使用人を一人置いてきたので、きっと大丈夫だろう。
離宮とはいえど、城に配備されている使用人なのでみんな優秀だ。
「ケイト、ネストの様子はどうだ?」
工房に入ると、キオさんがそう声をかけてきた。
「相変わらず、絵に夢中ですよ。今も絵に集中しているところを出てきました」
「そうか」
ひとつ頷いたキオさんはトルトを指差した。
「悪いが、オーナーとしてトルトになんか言ってやってくれ」
「また女性問題ですか?」
「そう。今度は熟女に手を出したらしい」
キオさんの言葉に「違いますよ!」とトルトは叫んだ。
「手は出してない! 手を出されそうになったのを拒んでいたら旦那さんが帰ってきて修羅場になりかけただけです!」
そんなトルトの言葉に俺はゾッとした。
「トルト、お前はこの工房を潰す気か?」
「オーナーが皇帝陛下から貴族位を与えられていなかったら危なかった」
キオさんが深いため息をつく。
貴族を怒らせて平民の店が無事なわけがない。
しかし、相手の貴族が怒鳴り込んでこなかったということは、俺が陛下から貴族位を与えられ、特別視されていることをきっと知っていたのだろう。
「今後は、トルトを女性客につかせるのはやめた方がいいと思う」
「えー!? 俺、女性を描く方が得意なのに!? 男性客にも襲われかけたことあるし!」
「お前は宗教画だけを描いていろ!」
キオさんがトルトを小突いた。
「そういえば、ケイトさんとこの前一緒に来ていた若い画家って、公爵様の絵を描くんっすか?」
小突かれた頭を撫でながらトルトがそんなことを聞いてきた。
「どうして、お前がそんなこと知っているんだ?」
「その夫人が言ってたんっすよ! 皇帝陛下が功労者に絵を贈るって」
帝都にいる貴族には肖像画を贈る予定になっているため、まずは功労者に絵を贈るという話は大々的に発表されていた。
「夫人曰く、その公爵の息子は弟殺しだって言ってました」
トルトが何気なく言った言葉に俺は驚いた。
「父親にも母親にも可愛がられているまだ幼い弟に嫉妬して、庭に連れ出して、噴水に落としたって貴族の間ではもっぱらの噂らしいですよ」
「しかし、彼はまだ十二歳だぞ? そんなこと……」
子供が子供を意図的に殺すなど、そんなことあるのだろうか?
俺の言葉にトルトは不思議そうな表情を見せた。
「十二歳なら、三歳なんて簡単に殺せるじゃないっすか?」
「いや、十二歳ならそんなこと考えないだろう?」
「どうしてだ?」
そう聞いてきたのは俺の護衛としてついてきたケイジだ。
「どうしてって、まだ子供じゃないか……」
「子供でも、長男の方はかなり評判が悪かったとも夫人は言ってましたよ? あの子なら、やりかねないって」
「周囲から可愛がられ、母親も健全で守られている存在に嫉妬くらい抱くだろう? それに、評判が悪いという噂があるなら、それなりのことをこれまでしてきたということだし、実父からも疎まれていた可能性もある」
前世の十二、三歳の日本の子供ならば、幼児を害するようなことは決して考えないのではないかと思ったが、この世界では十歳で半分成人したものと見なされて、神の子の化身とされていた幼児の頃とは違って急に働き手の一人として見なされる。
公爵家の子息としてそれまでわがままに育ってきた子供が急に自由を奪われて、公爵家の子息としての勉強なり執務なりを学ばされるようなことになれば、もしかすると、鬱憤が溜まっており、その矛先が小さな子供に向くこともあるのだろうか?
全ては推測の域を出ないけれど、どうやら、貴族たちの間では公爵の長男は容疑者の一人……どころか、犯人だと思われているようだ。
「それなら、どうして事故で片付けられているんだ? まだ容疑者が十二歳だからか?」
公爵が事故と断定したために騎士団の調査は打ち切られたそうだが、公爵は我が子を疑うことはなかったということだろうか?
「公爵邸内で起こったことであり、被害者も容疑者も公爵家の者だから、公爵の意向により、事故として処理することになったのだろう」
それでは、亡くなった子供があまりにも可哀想ではないか。
「公爵が父親なのだろう? それはひどくないか?」
「とは言っても、長男も公爵の子だ。それに、前妻の実家の方が後妻の実家よりも地位が上だ。それに、幼児が亡くなるのは珍しいことではない。病気や事故で、貴族であろうと平民であろうと、毎日、どこかで子供は亡くなっている」
だとしても、意図的に事故に遭わされたり、子供であっても殺意を持って弟に手をかけたというのならばそれはやはり犯罪だ。
前世でもひどいいじめで死んでしまう子はいる。
いじめていた子供たちに悪意があろうがなかろうが、人を傷つけて追い込む行為はやはり犯罪であり、彼らはまごうことなき罪人だろう。
しかし、公爵の長男は父親の権力に守られているという……自分がしてしまった罪に向き合うことがないのならば、それはどこかで歪みを生んでしまう気がする。
「オーナーは賢いのに、やけに純粋なところがあるから心配だ」
キオさんが見守るような優しい視線を向けてきて、なんだか居た堪れなくなる。
俺は純粋なわけじゃない。
時々、前世の感覚がこの世界の倫理観や貴族への理解を邪魔するだけだ。
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