第1章: はじめまして、ロック・ロズウェルです
1505年、大崩壊から数えて最初の日。
ヴィッセニアは静寂に包まれていた。
しかし、その静けさは、一通の手紙によって破られようとしていた。
「どういうこと? ヴァージルがいなくなった?」
そう口にしたのは、現在の学院長であるアビゲイルだった。
「申し訳ありません、学院長。私も、ここへ呼ばれるまで知りませんでした」
そう答えたのは、ヴァージルの元弟子の一人、ノックスだった。
二人がここにいるのは、ヴァージル本人から届いた「失踪」の知らせについて話し合うためだった。
どうやらヴァージルは、ある希少な魔法道具について確認するために学院を離れたらしい。
問題は、その出て行き方だった。
まるで、積み重ねられたカードの束から一枚を抜き取るようなものだった。
皮肉なことに、残された知らせそのものも一枚の手紙だった。
「あなたは私よりも彼のことをよく知っているでしょう。戻ってくるまで、時間がかかると思う?」
ノックスは黙ったまま、手紙に書かれた最後の一文を見つめていた。
『私が留守の間、かつての弟子であるロックを呼んでくれ。ノックスなら、彼がどこにいるか知っている』
「どうやら、またあの馬鹿の面倒を見ることになりそうだ……」
ノックスは考えに集中するあまり、アビゲイルの質問に答えていなかった。
普段は礼儀正しいノックスのそんな様子を、アビゲイルは不思議そうに見つめる。
「今、何て言ったの?」
自分の考えていたことを口に出してしまったことに気づき、ノックスは一瞬驚いた。
「ああ……いえ、何でもありません、学院長。お気になさらず」
「そう。……まあ、ヴァージルについて今できることもあまりないし、そのロックという子のことはあなたに任せるわ。知り合いなんだから、問題ないでしょう?」
ノックスの目は、遠くを見るように虚ろだった。
まるで、過去に起きた嫌な出来事を思い出しているかのように。
「ええ、知り合い……です」
「どうしたの、ノックス教授?」
「いえ、大丈夫です。私が何とかします」
「よかった!」
ノックスはまだ彼女の部屋にいた。
顎に手を当て、考え始める。
――あの間抜け、今どこにいる?
「一つお聞きしてもよろしいですか、学院長。現在、エーテル・プリマは何個残っていますか?」
エーテルとは、現在知られている中で最も純粋な形で凝縮された生のエネルギーである。
そこから、マナ、気、チャクラなど、エルムンドの各民族に広がる様々なエネルギーが生まれている。
「子供たちを私たちに託してくださった貴族たちからの援助のおかげで、ほぼ千個あります。必要になった場合、彼らの子供たちを家へ帰すためのものよ」
「それなら、二つくらい減っても問題ないでしょう」
「なるほど。リヨン家の転移陣を使うつもりね?」
「その通りです。ロックがどこにいるのかは想像がつきますが……アウローラ・キュステからは、かなり遠い場所です」
「どこなの?」
「それは……」
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オルラ・デッラ・スパーダは、ハルパリン大陸に位置する広大な地域である。
その土地には、料理、教育、建築、軍事力など、世界中に広く知られている様々なものが存在する。
しかし、他の、より厳格で独裁的な地域が欲しがるものも一つあった。
重大な罪を犯した者に対して行われる、残酷な拷問の技術である。
その拷問が行われる場所は、それを有する王国の誇りとさえされていた。
その誇りには、名があった。
トゥッリアヌム――ローマの苛烈なる監獄。
ローマは、オルラ・デッラ・スパーダを支配する四大王国の一つであり、その中でも最も優れた軍事・戦闘の知識を持つ国だった。
そして、その名声は先ほど述べたものだけに留まらない。
拷問の地であると同時に、そこは安全の象徴でもあった。
脱獄することなど、ほとんど不可能と言われるほどに。
巨大なクレーターの内部。
人工的に造られた巨大な川に囲まれ、その中央には巨大な金属製の建造物がそびえ立っている。
その土台は、地面から伸びて天へと昇る巨大な腕のような形をしており、その先では二枚の皿を持つ天秤を支えている。
――そこに、彼はいた。
ノックスは遠くから監獄を見つめ、どうやって目的の人物をそこから連れ出すかを考えていた。
ロック・ロズウェル。
(くそ……あの馬鹿をここから連れ出すのに、こんな二度手間になると知っていたら、三か月前に助けを求める魔法通信を送ってきた時に来ていたのに……)
それが、監獄を眺めるノックスの頭に浮かんでいたことだった。
その件について正確に言えば、こういうことだった。
ヴィッセニアが存在する島、ソルディアガ。
その島全体の代表者たちが集まる会議の日と重なった時、ノックスのもとへ魔法通信が届いた。
しかし、ノックスはその時忙しく、通信を無視してしまった。
そして、そのまま放置した。
そもそも、ロックが投獄された理由は、何世紀も前から放置されていたダンジョンで発見した、何キロ、何キロもの大量の金貨を所持していたからだった。
そして、その金貨と共に、魔法道具やアーティファクトなども発見されていた。
もしそれらが別の王国へ持ち込まれれば、大きな問題になる。
現在の世界は魔法に関してかなり無知ではある。
それでも、支配者たちの中には、その存在を知っている階級が存在する。
そして彼らは、魔法道具、アーティファクト、魔術師など、自分たちが持つものを、緊急時の切り札として利用している。
ノックスは監獄へ渡るための小さな港へ近づいた。
そこには何人かの衛兵が集まっていた。
どうやら全員、かなり気が緩んでいるらしく、カードゲームに興じている。
「俺の勝ちだ! へへへ!」
衛兵の一人がそう言いながら、テーブルの上にあった金貨をすべて自分のところへかき集める。
ノックスは彼らがあまりにも無防備なのを確認すると、素早く魔法を使った。
耳を小さくし、肌の色を変える。
彼は夜エルフだった。
そして、この地域では普通のエルフでさえ、人々の中に紛れて生きるのは難しいことがある。
ましてや、夜エルフともなれば……。
この種族は、ここ数十年に起きた犯罪によって非常に悪い評判を得ていた。
そのため、現在ではその大半が影の中に身を潜めて暮らしている。
彼がかなり近くまで来ると、衛兵たちは一瞬驚いた。
上官かもしれないと思ったのだ。
しかし、ただの一般人だと気づくと、すぐに安堵の息を吐いた。
「こんにちは、旦那様! 何かお手伝いできることはありますか?」
全員が敬意を示すため、ノックスに向かって姿勢を正す。
だが、その動きはあまりにもバラバラだった。
鎧の一部がずれていたり、装備が足りなかったりする者までいる。
(無慈悲な監獄で、優秀な拷問官が揃っているという評判なのに……こいつらは一応、礼儀正しくしようとはしているらしいな)
(……それとも、監獄の中の仕事には使えない間抜けだから、川のこちら側に置き去りにされているだけか?)
ノックスは好印象を与えるため、非常に自然な、しかし偽りの笑顔を浮かべた。
「少し面会をお願いしたくて来ました。ここにしばらく前、知人が投獄されたもので」
「ああ、なるほど。もちろんです。囚人の名前は?」
「ロック。ロック・ロズウェルです」
その名前を聞いた瞬間、四人の衛兵は顔を見合わせ、笑い始めた。
ノックスは少し困惑した。
自分の言葉のどこに笑う要素があったのか、まったく理解できない。
「ああ、ロックの兄貴か」
「兄貴……?」
「そうそう。あいつ、めちゃくちゃいい奴だぜ。俺たちがドラゴン・ドレイカーでボコボコにされてる間に、知ってるカードカウンティングの戦術を全部教えてくれたんだ」
ノックスの頭の中では、その話がまったく理解できなかった。
この監獄に収監された者が、自由時間を与えられているはずがない。
ましてや、衛兵たちとカードゲームをするなど。
「……彼が投獄されているのに、どうやってそんなことを?」
「投獄? ロックが? いやいや。あいつなら、その週のうちに釈放されたぜ。王国の領土内で見つけた宝を全部手放して、それを隠した場所まで教えたんだ」
「ああ、なるほど……では、彼がどこにいるのか教えていただけますか?」
「ああ。そこの衛兵小屋の中だよ」
「そういえば面白かったぜ。あんたが来る一分くらい前まで、あいつすげえ心配そうな顔しててさ。それで急いで出ていって、『任務報告書を一つ忘れてた』って――」
衛兵が最後まで言い終えるより早く、ノックスは一瞬で小屋へ向かって駆け出した。
素早く手を動かし、いくつもの呪文を唱える。
そして、闇のように真っ黒な四羽の鷲を召喚した。
夜だったため、なるべく目立たないようにするためだ。
鷲たちは異常な速度で散開し、数秒のうちに上空に一平方キロメートルの、目には見えない正方形を形成した。
「なあ、ロック。お前は人を騙すのが上手いかもしれないが、俺はお前より何年も先を行っている」
「任務報告書だって? 本気で言ってるのか?」
「黄金港には、『知らない奴なら買ってみろ』っていう諺があるんだぞ」
ノックスは十分に大きな声で話していた。
今や百メートルほど離れた場所にいる衛兵たちにさえ、その声は聞こえている。
「それと、草むらの中でじっとしていても無駄だ。マナを隠すことはできても、俺のカラスには見えている」
ノックスがそう言うと、辺りは静寂に包まれた。
衛兵たちは何が起こっているのかよく理解できないまま、ただ見守っている。
聞こえる音は一つだけ。
――風。
草も、花も、木々の葉も、風の奏でる音楽に合わせて揺れている。
ノックスの魔法が、その一帯すべてを探っていた。
そして――
標的が突然動いた。
その一瞬の動きが、居場所を明らかにした。
ノックスは右手を動かし、外套の下から三本の刃を指の間に挟む。
振り返ることなく、それを後方へ投げつけた。
三本の刃は、正確にロックへ向かって飛んでいく。
しかし地面から、黒く、わずかに透けた球体が現れた。
それはロックの前に展開され、刃が彼へ届くのを阻む。
そして刃は、凄まじい力によって地面へ引きずり落とされた。
ロックは魔法で攻撃を無効化すると、笑みを浮かべた。
「よう、ノックス。久しぶりだな」
ノックスは、彼が使った魔法を見つめた。
まるで、何かを思い出させるような魔法だった。
(重力魔法……まさか、こいつ、こんな魔法まで覚えたのか)
考えを切り替える。
この時点で、ノックスは最初の目的を達成していた。
ロックを見つけること。
あとは、彼を連れて帰るよう説得するだけだった。
「おやおや。どうやら、お前の盗みの才能にも磨きがかかったようだな――『魔法泥棒』?」
ノックスはロックを挑発した。
彼が、盗みや泥棒を連想させる称号を嫌っていることを知っていたからだ。
そして、その挑発は見事に成功した。
ロックの額には血管が浮き出ている。
無理やり笑顔を作ろうとしているものの、その苛立ちは明らかだった。
「そんなこと言うのも、俺の魔法習得能力が羨ましいからだろ?」
「何しろ、ヴァージル曰く、俺こそが最高の才能の持ち主なんだからな。そうだろ?」
「羨ましい」という言葉を聞いた瞬間、ノックスは嫌悪感を露わにし、しばらく無表情になった。
そして、すぐに我に返る。
「そういえば、ここへ来る途中、お前があいつから連絡を受けている可能性について考えていた」
「今なら、俺の予想が正しかったと分かる。お前も師匠から手紙を受け取ったんだろ?」
「さあな。どうだろう」
二人の間に張り詰めた空気が漂う。
遠くにいる衛兵たちは、これから始まるかもしれない戦いを期待するように身構えていた。
「だが、お前も分かってるだろ? こういう学業上の責任とかいうのは、俺には向いてない」
「その点では、お前のほうが適任だと思うぞ」
「俺はもう、あそこで二年近く教授をやっている」
再び、風の音だけがその場を満たした。
「え……そんな時期に誘われた覚えがないんだけど……」
ロックは少し不満そうだった。
「まあ、お前と同じで、師匠のヴァージルも分かっていたんだろう」
「俺たち二人なら、俺のほうが有能だってな」
「それに、あいつはお前のこの芝居に付き合って、最終的にお前を承諾させるための、とんでもない労力を使う必要もない」
「最初の会話で済むことだからな」
ロックは右腕を伸ばしながら、さりげなく同じ方向へ視線を向ける。
「別に、俺はお前が言ってるようなことをするつもりじゃ……」
明らかな嘘だった。
「まあ、そういうことなら、さっさと行こう」
「結局、ヴァージルからの頼みだからな。あいつはお前にも、俺にも、たくさんのことをしてくれた」
「今のお前にできる最低限のことくらい、引き受けてやれ」
「分かった、分かったよ……」
「よし。じゃあ行こう。アビゲイルが待ってる」
ノックスは背を向け、帰り道へ向かおうとした。
しかし、ロックはついてこなかった。
それどころか、その場に立ったまま、両手の中に炎の球を作り始める。
そして、それをノックスの背中へ向けて放った。
空にいる鷲たちの目が、紫色へと変わる。
ノックスの瞳と同じ色だ。
炎の波が迫ってくる。
しかし、ノックスは素早く横へ跳び、それをかわした。
「背後から攻撃とはな。お前らしくないじゃないか」
「ああ、ほら。俺の攻撃に対するお前の反応速度が、今でも変わってないか見たかったんだよ」
遠くにいた衛兵たちは、ノックスに向けて魔法を放ったロックに声援を送っていた。
彼を恐れている様子はない。
むしろ、こういう光景を見慣れているようだった。
「まったく、頭空っぽだな」
「何だよ、豆色ジョアン」
「お前、魔法の存在を知ることを許されているのは、あの中にいる衛兵たちだけだって分かってるよな?」
「うん!」
ロックは、何かやらかした時でも、自分が間違っている時でも、即答できる男だった。
「お前、本当にどうしようもないな……」
「まあ、仕方ないだろ? それに、俺のファンに誰かの言いなりになってるなんて思われるわけにはいかないからな」
「じゃあ、さっきの攻撃はそれが理由だったのか?」
「その通り!」
「本当に?」
「てっきり、俺たちの対戦成績が五十対三十なのを気にして落ち込んでるのかと思ったんだが……」
「は? 五十? 大半は――」
ロックが最後まで言い終える前に、ノックスは彼の周囲に無数の短剣を召喚した。
ロックは瞬時に身を低くし、その勢いを利用して後方へ跳ぶ。
攻撃をかわした直後、素早く呪文を唱え始めた。
そして、詠唱を終える。
ロックは巨大な雷を呼び出した。
雷はノックスへ向かって一直線に走る。
それに対してノックスは、雷よりも速く、大きな魔法陣を展開した。
雷がその魔法陣に衝突する。
その瞬間、二つの魔法がぶつかり合い、誰もが知る現象――**「魔法衝突」**が発生した。
外から見ているだけでも、その光景は圧倒的だった。
衛兵たちは、目の前で繰り広げられる光景に口をあんぐりと開け、ロックを応援する言葉さえ出てこない。
二人の魔力は凄まじかった。
しかしノックスは、このまま魔法のぶつかり合いを続ければ、自分が不利になる可能性が高いと理解していた。
だからこそ、自分の体勢を整え、優位に立った瞬間――
魔法を発動する言葉を口にした。
「魔法無効化」
ノックスの魔法陣から小さな白い閃光が伸び、雷を伝ってロックへ向かっていく。
ロックは、自分の魔法が無効化されたことに驚いた。
「ずいぶん強くなったな」
「つまり、教授になるとこんなメリットまであるってことか?」
ノックスは手を伸ばし、ロックへ向けて死霊の雷を放つ。
ロックはそれを難なくかわした。
「いつまで無駄話をしてるつもりだ?」
「それとも、負けを認めるか?」
ロックの自尊心を刺激すること。
それこそが、彼を無謀に動かすための最良の武器だった。
そしてノックスは、それをよく知っていた。
ロックは怒りを滲ませた真剣な表情で、凄まじい速度でノックスへ突進する。
唱えられた呪文から、ノックスは彼の指先が石化していることに気づいた。
おそらく、前回の二人の戦いで自分がロックを石化させたことへの仕返しとして、今回は石化魔法を使うつもりなのだろう。
しかしノックスは、触れることを必要とする魔法に対して、すでに対策を用意していた。
ロックとの距離が九メートルまで縮まった、その時。
ノックスの影から、雲のような姿をした何かが立ち上がった。
そしてロックへ向かっていく。
ロックは、それを予想していなかった。
その生物は歪んだ姿をしており、冷たく恐ろしい気配を放っていた。
さらに、その絶望に満ちた呻き声は、聞いた者の心を蝕む。
矢のような速さで、その生物はロックの目の前へ到達した。
ロックが攻撃することを考えるよりも早く、その生物は周囲へ暗黒のオーラを広げた。
次の瞬間。
地面が、生きているかのように蠢く、泡立った影へと変わった。
その影から、黒い手がいくつも伸びてくる。
まるで、絶望的な場所から逃げ出そうとしているかのように。
ロックはそれを気に留めなかった。
そして、目の前にいた生物が、地面に影が現れた瞬間に消えたことに気づく。
それでも彼はノックスへ向かって進み続けた。
しかし、その動きは影から伸びた手によって止められた。
無数の手が、必死にロックへしがみついてくる。
それらに意識を向ければ向けるほど、その者たちの苦痛がロックの精神へ入り込んでくる。
彼らの苦しみと、苦悶が見えてくる。
「よくやったな、ロック」
「ただ一つ忘れていたな。俺が『幻術の達人』と呼ばれていることを」
ノックスは、ロックへ向けて強烈な氷の奔流を放った。
幻術に囚われているロックには、もはや何もできなかった。
その氷の奔流は凄まじかった。
クレーター内部の広範囲にわたって、草の先端に小さな霜が生まれる。
空気そのものが冷え込み、周囲には短い雪まで降り始めた。
そして、ロックがいた場所には――
凍りついたロックの像が残されていた。
ノックスには、また一つ仕事が増えた。
彼を運ばなければならない。
そのためにノックスは、ロックの下へ浮遊する円盤を作り出した。
円盤はゆっくりと浮かび上がる。
「さて、これでまた一つ、俺の勝ちが増えたな」
ノックスが歩くと、浮遊する円盤も後ろからついてくる。
これですべて終わった。
ノックスはそう思っていた。
しかし――
円盤の上に乗せられた像が、ゆっくりと前へ倒れ始める。
ノックスが何が起きたのか確認するため振り返ろうとした、その瞬間。
石化魔法がまだ残っていたロックの手が、ノックスに触れた。
そして――
ノックスも石化した。
そのまま二人は地面へ落下する。
一人は氷の像。
もう一人は石の像。
すべてを失ったような状況でも、最後まで戦い続けるその精神に、衛兵たちは感動していた。
目から流れそうになる「汗」を必死に堪えながら、ロックへ拍手と歓声を送る。
石像になっている間も、二人にはその声が聞こえていた。
そして、衛兵たちのその姿を見たノックスが思ったことは一つだけだった。
(……こいつら、馬鹿の集団か?)
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石化と凍結が解けてからしばらくして。
ノックスは遠くで待っていた。
ロックが自分のファンたちと別れを惜しみ、感動的な別れをしている間。
そして、ようやく彼のもとへ歩いていく。
「いやはや、随分といい取り巻きを手に入れたみたいだな」
「こういうの、嫌いじゃなかったのか?」
「別に、俺が対象になるなら嫌いだとは言ってないだろ」
「ただ、あの鼻高々な連中がやってるのが耐えられなかっただけだ」
「苦しい言い訳だな……」
ノックスは二人分の乗騎を召喚した。
そして二人は、ローマ王国にある魔法学院へ向かって出発した。
その学院はヴィッセニアとも良好な関係にあり、ノックスがここへ来る際に使った転移門もそこにある。
「つまり、お前、ヴィッセニアで教授になったのか?」
「それを知ってたなら、もっと早く出発してたのに」
「学院の転移門を使えるなんて、反則扱いにするべきだろ」
「よりによって、詐欺師で泥棒のお前がそんなことを言うとはな……」
「だから言ってるだろ。俺は泥棒じゃない」
「エルムンド史上最高のトレジャーハンターだ!」
「はぁ……」
「こういうお前の言葉遊びを聞かなくてよかった時代が懐かしいよ……」
「少なくとも、詐欺師の部分は否定しなかったな」
「まあ、『詐欺の一つもできなきゃ、街じゃ踊らされる』って言うだろ?」
「なあ、“シャドウ”? そうだろ?」
「ずいぶんと懐かしそうだな」
「また俺に負けたせいで、昔を思い出したんじゃないか?」
「負けた?」
「あれは引き分けだ!」
「それに、負けた奴を一人選ぶっていうなら、敵に対して警戒を解いたお前のほうだろ」
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それから数時間。
二人はようやく、ローマの魔法学院――『スキエンティア・トリヴィアエ』、通称トリヴィア学院へ到着した。
トリヴィアは、ローマでは魔法の女神として知られている。
しかし、彼女を信仰する者は少なかった。
「ようやく着いたな」
ノックスはそう言うと、先ほどまで召喚していた乗騎を解除した。
あまりにも乱暴に解除したため、勢い余って顔から地面に倒れそうになる。
「……なんで俺、わざとやったように思えるんだろうな?」
「気のせいだ。ほら、行くぞ」
ノックスは学院へ向かって歩き始める。
しかし、ロックはその場から動かなかった。
「さっきみたいなことを繰り返すなよ」
「同盟関係にある学院で、悪い手本を見せたって理由で始末書を受けるのは御免だからな」
「安心しろ。そういうことじゃない」
「じゃあ、何だ?」
ロックの視線は遠くへ向けられていた。
すでに夜は明けようとしており、彼は空を見上げていた。
「……いや、何でもない」
「ただ、あのアイテムがどれほど価値のあるものなのかって考えてただけだ」
「ヴァージルが自分の立場を俺に託してまで、それを探しに行かせるくらいなんだからな」
「なるほど」
「まあ、ヴァージルだからな」
「あいつは、互いに衝突すると問題になりそうな事柄は、いつも分けて考えていた」
「もしかすると、学院をこの件に巻き込むのは得策じゃないだけなのかもしれないな」
「そうだな。お前の言う通りかもしれない」
トリヴィア学院は、大都市からかなり離れた場所に建っていた。
その周囲には魔法を宿した巨大な壁が築かれている。
その魔法によって、学院を見る許可を持たない者から、その存在そのものが隠されていた。
「これは興味深いな……」
「何だよ、陽気な馬鹿」
「生徒の中で、人間が少数派だ」
「俺たちが学生だった頃のヴィッセニアとは全然違う……」
「……って、お前今、俺のこと何て呼んだ?」
「それは忘れろ」
「だが、お前の観察は正しい」
「お前は俺たちが卒業してから三十年間、学院関係の事情から離れていたから知らないんだ」
「何を?」
「どうやら理由は分からないが、近年、エーテルに変化を持った人間がますます多く生まれているらしい」
「その変化によって、マナにアクセスできなくなる」
「いくつかの研究では、それは『アクセスできない』のではなく、そもそも生まれた時から一滴たりともマナを持っていないのではないか、とも考えられている」
「それって、結構まずいんじゃないか?」
「一見するとそう思えるかもしれない」
「だが、ヴァージルもアビゲイルも、これを良い兆候として見ている」
「エルムンドの人口の大半は人間だからな」
「そして、その人間たちは魔法を戦争の兵器として利用している」
「なるほど」
「確かに、マナがなくても、戦闘面ではかなり上手くやっているみたいだな」
「俺たちもそう認識している」
「だからこそ、彼らの体からマナが失われていくことは、むしろデメリットではなく、メリットだと考えられている」
「そう言われれば、確かにお前の言う通りかもしれないな」
「それで、ヴィッセニアはどうなんだ?」
「そうだな」
「アウローラ・キュステは、地下に非常に高濃度のマナが存在する場所の一つだ」
「だから世界の他の地域と比べれば、あそこにはまだマナを持つ人間がかなり多い」
「それに、ヴィッセニアは世界最大の魔法学院と見なされているから、あらゆる地域の貴族が自分たちの子供を送り込んでくる」
「だから結局、理由はどうあれ、まだ人間はかなり多いんだ」
「なるほど」
(……長い独演だな)
(このまま続けてたら、聖典の一節でも読み上げ始めるんじゃないかと思った)
それが、ロックの頭の中に浮かんでいたことだった。
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その後、二人はようやくヴィッセニアへ転移した。
こうしてノックスは、自分の任務を無事に果たした。
学院へ到着すると、二人は学院長室へ向かった。
部屋に入ると、アビゲイルが机の前に座っていた。
そして机の上には、それぞれ名前が記された三つの書類の束が置かれていた。
その名前は――
アデュー、ベヌ、エルドリン。
そしてアビゲイルの隣には、黒みがかった青色の立派なスーツを着た男性が立っていた。
その中でも特に目を引くのは、見事な口髭だった。
「おかえりなさい、ノックス。ということは、こちらが……」
「はじめまして、学院長。ロックと申します。以後、お見知りおきを」
「まあ、礼儀正しいのね。はじめまして、ロックさん」
「それでは、ノックスからすべて説明を受けていると思うから、手短に済ませるわ」
「ヴァージルが学院を離れる前、この三人の少年を彼が担当する予定だったの」
アビゲイルは、机の上に置かれていた三つの書類の束をロックのほうへ滑らせた。
「知っていると思うけれど、私たち学院側は、生徒たちに大きな期待を寄せている」
「特に、『プロディジー』と呼ばれる生徒たちにはね」
「だから、この子たちには信頼できる教授を選び、その成長を支えてもらうの」
「小さな種が、やがて立派な大樹へと成長するようにね」
ロックは困惑した表情を浮かべていた。
そして、ノックスの能力を疑ってしまいそうな質問をしようとしていた。
その時、ノックスは考えた末、魔法を使ってロックへ直接、精神を通じて語りかけた。
『今でいう“プロディジー”というのは、俺たちの時代に“シンギュラー”と呼ばれていた者たちのことだ』
その情報によって、ロックはすべてを理解した。
ノックスが何を伝えたいのかも分かった。
「なるほど。つまり、俺はこいつらにとってのヴァージルになればいいんだな」
「ヴァージルが俺やノックスにしてくれたように」
「その通りよ」
「それなら先に言ってくれよ」
「じゃあ、誰から始めればいい?」
「その前に、ギルバートがあなたに学院の規則、教授としての礼儀作法、そしてプロディジーたちを担当するために必要な情報を教えるわ」
「何しろ、ギルバートはこれまで最も多くの『プロディジー』をその翼の下で育ててきた教授だから」
ギルバートは一歩前へ出る。
そしてロックへ手を差し出した。
「お久しぶりです、ロックさん。またお会いできて光栄です」
「えーっと……よう、ギルバート」
「あら、もう知り合いだったのね」
「それなら、少し安心したわ」
「それでは、話もまとまったことだし、あなたたちはもう下がっていいわ」
ノックスとギルバートは敬意を示すために頭を下げた。
ロックは少し遅れて、二人の真似をするように頭を下げた。
そして、三人は学院長室を後にした。
ロックには、これからギルバートから学ばなければならない長い道のりが待っている。
一方のギルバートは穏やかな目をしていたものの、その表情には、何か心の中で気を取られているものがあるようにも見えた。
ヴィッセニアの授業開始まで、残り一か月。
その日までに、一体どれほど多くのことが起こるのか――。
それは、まだ誰にも分からなかった。




