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三話 零の魔法使い

明かされる【零の魔法使い】の伝承と、鳴冬の真実。

 零の魔法使い


 船は静かに最終寄港地を目指して海を進む。


 ここ最近、海上は時化ることが多くなっていた。


 時化という単語は魔法地理学に出てきたけれど、海が荒れることをいう。


 魔法に守られた船内の床が揺れることはないけれど、窓の外に見えるのは荒れ狂う波だけだった。


「元々この辺の海域は荒れやすいんだ」


 イサパで買い込んだ本を置いてハルが言う。


 イサパを後にしてから早いもので五日が過ぎていた。


「確か海魔の影響だっけ。海底に巨大なタコとかイカみたいな伝承種残滓がいて、定期的に荒れるとか」


「美しい海の魔女の姿って説もあるな。距離的にはもう最終寄港地に着いてるはずだったんだけど」


「天候がこれじゃ仕方ないよ」


 今朝、船内新聞で到着が遅れますとの謝罪文が各部屋に届いていた。


 到着見込みは二日後だ。


「そういえば、あの魔法使いについての話は……」


「ああ、そういえば……いい加減教えとかないとな……」


 ハルは真剣な顔で僕を見つめた。


「すべては、【零の魔法使い】が生きていた時代にまで遡る」


 **


 【零の魔法使い】はウシュマルを築いた。


 しかし、街にはまだ誰も住んではいなかった。


 【零の魔法使い】は自らの魂を切り離して砂と混ぜ、分身を作った。


 【零の魔法使い】と分身は街に迷い込む人を受け入れ、街はやがて国になった。


 ウシュマルが国になり、人間の王が即位した日。


 華やかな宴の陰で、【零の魔法使い】は人間たちに殺された。


 城の裏、深い深い井戸の底。


 誰にも知られることがないはずのその凶行を、分身の少年は物陰から見ていた。


 理由は魔力。


 枯れかけたオアシスを永遠に保つための魔力の楔。


 ウシュマルのオアシスの底に、【零の魔法使い】は永遠に囚われている。


 けれども、【零の魔法使い】は人間を憎まなかった。


 むしろ時歪帯で人間を狙う存在への対策も取った今では、


 人の世界に伝承種である自分は不要だと思っていた。


 彼はウシュマルを、人間を愛していた。


 ――俺は、絶対に許さない。


 だけど、分身の少年は違った。彼は、ウシュマルの王の血族に呪いを残し、オアシスに美しい青色の、けれど毒を持つ石を沈めた。いつか、この怒りが憎しみがオアシスを染め上げて、湧き出る泉が止まるように。そして大切な親のような存在を、輪廻の輪に乗せられるように。


 そのあと――人ではない分身は、月夜に泉へ身を投げた。


「じゃあ、オアシスの水質汚染は……」


 ハルが静かに頷く。


「ああ。【零の魔法使い】の解放が近い。今のオレはあくまで人間だけど、全ての記憶を受け継いでいる。とりあえず、オレの出自についてはこんな感じだ」


「……あの魔法使いは、【零の魔法使い】を殺した王家の一員なの?」


 ハルは何も言わずに頷く。


「【零の魔法使い】は人間を憎まなかったし、不信感はあるが、民のために動く現王を恨もうとも傷つけようとも思わない。ただし、あの魔法使いは……阿淵は例外だ。あいつは……」


 この時のハルの悲しそうな瞳は僕の心に焼き付いた。


「……【極南の神子】に手を出したんだ。極南の氷の城で静かに眠っていた……あいつに」


 **


 【零の魔法使い】には友人がいた。


 世界をふらふら飛び回っていた時に偶然出会ったのだと言っていた。


「……こんにちは」


「……はじめまして」


 昔、極南の地は緑に満ちていた。


 氷鳥たちもあの頃はフォルステリと呼ばれていた。


 森の中で【極南の神子】は【零の魔法使い】に出会った。


 ふたりはすぐに仲良くなった。


 しかし、殺された【零の魔法使い】は当然ながら極南には行けず、分身の少年が知らせをもって極南にたどり着くまでには長い時間がかかった。


 知らせを受け取った神子は、心を閉ざした。


 豊かだった森は色を失い、悲しみと喪失に囚われた神子は、氷の城で眠りについた。


 それから長い時の果て。


 生まれ変わった分身は、極南のことを知ってすぐに神子の元へ向かった。


 変わり果てて凍てついた大陸を突き進んで、森のあった場所にあった城へ。


「……結界が解けている」


 胸騒ぎを覚えて城を駆け上り、最上階で見たのは――


「……なんだ、これは……」


 神子は昔と変わらない姿で部屋の中央で眠っていた。


 ――神子と同じ姿をした培養槽の人形に見下ろされながら。


「……素晴らしいだろう。こんなところまではウシュマルの断罪魔法使いたちの手も及ばない。【鉱石人形】――ホムンクルス。実験を重ねに重ねたこの一体は【極南の神子】の器たりうるだろう」


「素晴らしいわけあるか。即ウシュマルの断罪魔法会に報告するからな。重罪王族阿淵!」


 無詠唱で魔法をぶつける。当然防御されるが狙いはそこではない。


「……こいつは貰っていく」


 俺の狙いはあくまで培養槽の器だ。ここにいては何をされるかわからない。


 【極南の神子】の記憶を持つ者として、【零の魔法使い】の縁者として。


 俺はどうしても培養層の中の彼を守りたかった。


「ちっ!そいつはくれてやろう。どのみちいずれ極南に戻ってくるのだからな!」


 極南のかつての森はいつしかこう呼ばれるようになっていた。


「神によって成る冬」――カミナルフユ。


 だから俺は器にこう名付けた。


 ――鳴冬、と。


 **


「え」


 ――僕は、人間ではなくて。


 目の前が真っ暗になった。鉱石人形。ホムンクルス。


【極南の神子】の偽物。かわり。


 じゃあ記憶は?学園に入学したことも偽りの記憶?


 だって、あるわけないんだ。


【鉱石人形】は、ホムンクルスは成長しない。


「フユ。これだけは誤解しないでくれ。オレはフユが何者でも、人間じゃなくても気にしない。お前だから友達になったんだ。記憶をいじったのは、人間として生きて欲しかったからで……」


「……ごめん、少し独りにして。ハルの本心はちゃんとわかってる。だけど飲み込めないんだ」


 ハルは悲しげに頷いて、部屋を出ていった。


 ――極南に行かなければ、人間として生きられたのだろうか。


 そうは思わない。きっとどこかで阿淵に捕えられて、利用されていただろう。


 セイバルは言っていた。


【零の魔法使い】は時歪帯を作ったと。そして、それを誰も消せなかったのはきっと。


【零の魔法使い】は害するためではなく守りたい思いで時歪帯を作ったからだ。


【零の魔法使い】が生きていない今、【極南の神子】のみが古代魔法に干渉できる。


 その上に、成功作である僕は、おそらく貯蔵魔力自体は桁違いなのだろう。


 ――ハルの言葉で気づくべきだった。


 ハルが時歪帯を消したくないのは、時歪帯が消える時、オアシスが枯れ、【零の魔法使い】が輪廻の輪に乗るからだ。


 阿淵の目的はその逆なのだろう。


 だけど、どちらにも古代魔法と莫大な魔力がいる。


 それができるのは僕だけだし、どちらを選んでもおそらく僕の魔力も体も耐えられないだろう。


 それに、鉱石人形の寿命がどれぐらいなのか。


「……せめてこの魔力は、ハルのために使いたいな」


 ふと、思ったのだ。【零の魔法使い】と同時期の【極南の神子】の魔法なら【零の魔法使い】が失われた後も、ウシュマルのオアシスを保てるのではないかと。



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