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二、最強の刺客

   二、最強の刺客

その一連の闘争は、日本史の最初の授業より始まる。

 年の頃二十代後半、眼鏡をかけた色白のインテリ面にひょろ高い体躯の教師の山野は、授業開始早々鼻高々に自慢話を始める。

「えー君たちが受けた入学試験の社会科の問題。それを作ったメンバーの一人が何を隠そうわしなんじゃ。」

 生徒たちの反応はいまひとつで別段驚きもしない。彼はおかまいなしに続ける。

「どうだ。凄いだろ、ええ?この若さでそんな偉大なプロジェクトに参加出来たんぞ。無茶苦茶頭がきれる証拠とちゃうか、ええ?そんな優れた人物にこれから一年間教わる幸運に感謝せえよ。」

 生徒たちの顔には尊敬や感激の色は微塵も見られず、皆一様に苛立ちと軽蔑の入り混じった不愉快な表情をしている。彼は追い打ちをかけるようにつまらぬ冗談を言う。

「安心しろ。別にわしの授業だけ10倍の授業料取ったりしないから。ははは!」

 その時、教室の何処からか人を小馬鹿にした様な頓狂な声が聞こえる。

「バカヤロ。」

 山野はきょとんとする。その声は繰り返す。

「バカヤロ。」

 山野の顔は一瞬で強ばり、威圧感たっぷりに皆に問う。

「今言うたん誰な?」

 教室に緊張が走る。すると眼光の鋭い男子生徒が座ったまま堂々と言い放つ。

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い?」

 一同驚いてその方を見る。その生徒は、入学早々数々のトラブルを巻き起こした、学園の風雲児、地獄のプリンスなどの異名を持つ前林周二であった。

 山野は紅潮した顔で彼に問う。

「どういう事な?」

 前林は至って冷静に答える。

「まずいきなり安っぽい自慢話から始める厚顔無恥な部分。そして一つ尋ねる。入試問題の第何問目かの写真を使っての問題はお前が考えたんか?」

 山野は怒りを押し殺して答える。

「ほ、ほうじゃ。ほれがどしたんな?」

 前林は軽く溜息をつくと説明に入る。

「写真は小船に乗って移動している大勢の人たちの画で、問題は『このようにベトナム戦争で家を失い、戦禍から逃れようと船に乗って海外に脱出する人たちの事を何と呼びますか?カタカナ七字で答えなさい。』とあった。そして試験後に新聞に掲載された答えを見て愕然とした。『ボートピープル』とわな。」

 山野は語気を荒げて言う。

「何でな!?いい問題でないか!?」

 前林は続ける。

「お前は本当の馬鹿か?ボートピープルというのは、旧共産圏の中国、キューバ、ベトナムなどの国々から、政治的迫害、社会主義思想を嫌う人の他、経済的貧窮を逃れ新天地を求めようと漁船・ヨットなどの小船に乗って脱出する人々の事を言うのであって、何もベトナムの戦争難民のみを指してないぞ。」

 山野は虚をつかれたような表情になり言葉を失う。

 前林はなおも続ける。

「あの糞問題のおかげで俺は悩み多くの時間を費やした。結果その部分は空欄のまま提出してしまった。どうしても適当な言葉が出てこなくてな。犠牲者は俺だけじゃないだろう。責任を取れや、ボケ!」

 山野のストレスは極点に達するが、言い返す言葉が出てこない。生徒たちは胸の空くような前林の弁舌に感動し、心の中で拍手を送る。

 前林は口撃の手を緩めない。

「お前のようなアホを知ったかぶり言うんじゃ、こら!お前のような最低の教師に教わる事は何もないわ!」

 彼はゼーゼーと荒い息になりながら前林に尋ねる。

「お、お前の名前は?」

「前林、前林周二。その腐ったど頭にしっかりと叩きこんどけ。」

 彼は前林を凄まじい形相で睨みつけながら言う。

「前林周二・・その名前忘れんぞ。覚えとけよ。」

 彼はそれだけ言うと教室から出てゆく。


 次の週の日本史の授業。生徒たちの胸は期待と興奮で一杯であった。前回の初回の授業にて、スーパー高校生前林が、山野なる不愉快な勘違い教師を屈辱のどん底に叩き落とし、今からそのスリリングな対決の第二幕が見られるやも知れぬのだ。退屈な学校生活を忘れさせる極上のエンターテインメントを、皆今や遅しと待っている。

山野が教室に入ってくる。一同の心の中で開演のブザーが鳴る。

 彼は手に持った指導書等を教卓に置くやいなや前林を指差して勝ち誇ったかのような笑顔で口火を切る。

「前林と言うたな。お前の過去を徹底的に調べさせてもろたわ。そしたら出てくる出てくる、悪行の数々が!中学の時、教室で包丁振り回したり、歩道橋から道行く車に小便ひっかけたり、原付で校舎の廊下を走行したり」

 前林の顔はみるみる青ざめ、泣きそうな表情で山野に乞う。

「先生!やめてください!」

 山野はさも愉快そうに続ける。

「何なお前。自分が攻撃される側になったらそれか。だが甘いぞ。みんなの前でたっぷりと暴露したる!」

「やめてください!お願いです!」

「水道管の上でダンスを踊ってそれを破裂させて辺り一帯を水浸しにするわ、裸で運動場を走り回るわ、高校の入学式では教師と殴り合うわ、お前ほんまもんのアホとちゃうか?」

 前林はショックの為か俯き体を震わせている。

 山野はその様子に満足する。

「な、結局お前はその程度の人間なんよ。『偉い先生に逆らって御免なさい。』とみんなの前で言えば許してやる。ははははは!」

 前林はしばしの間、無言で羞恥と屈辱に耐えている。クラスメイトたちにとってこんな状態の彼を見るのは初めてであり、ある意味彼を英雄視していた者たちは少なからぬショックを受けていた。

 その時である。俯いていた前林が顔を上げると俄かに自信に満ちた表情に変わり、はっきりとした口調で山野に言う。

「先生。僕はみんなの前で耐え難い中傷を受けました。『やめてください。』と懇願したに関わらずです。生涯消えない心の傷を負いました。」

 山野は余裕たっぷりの態度で言い返す。

「おん。それがどした?はは!先週お前にされたリベンジじゃ。」

「名誉毀損で裁判に訴えさせてもらいます。」

「な?」

「嚇しではありません。必ずやります。幸い証人の人たちもこんなにおりますし。」

 山野の顔が曇りだす。

「な?ほ、本気か!?」

 前林は力強く頷くと山野を追い込んでゆく。

「教師と16歳の新高校生。裁判はどちらに有利に傾くか・・。あとマスコミが騒ぐかも。」

 山野は慌て始める。

「そ、そんな事してただで済むとでも?」

「ただで済まないのは先生のほうです。」

「や、やめとけ・・。」

「絶対やります。」

「ぐっ」

 一寸間をおいた後、山野はひどく動揺した様子で叫ぶ。

「で、出来るもんならやってみい!」

彼はそれだけ言うと教室から逃げるように去ってゆく。

そして前林の発した次の一言が、教室の張り詰めた空気を緩和させ皆を爆笑させる。

「奴はまともに授業出来たためしがないなあ。」


 そしてまた次の週の日本史の授業。同級生たちは前回以上に胸をわくわくさせて第三幕を待っていた。

 山野が教室に入ってくる。一同の五感が研ぎ澄まされる。

 彼は眼鏡の奥の瞳を輝かせて言う。

「たれこみが入った。持ち物検査を行う。」

彼は力強い足取りで一直線に前林の席まで歩いてゆくと、机の脇に引っかけてある前林の鞄を乱暴に取り上げ、それをひっくり返して中身を机の上にばら撒ける。一同唖然とする。

そして彼はばら撒けた物の中に煙草の箱を確認するとにやりと微笑み、それを手に取り前林に厭味っぽく尋ねる。

「これは何かなあ?前林君。」

 前林は訳がわからないと言った様子で呆気にとられる。山野は続ける。

「これはいけないなあ。高校生が煙草なんて喫ってちゃあ。」

 前林は状況を把握できないまま山野に答える。

「何なんすか、これは?意味がわかりません。」

山野はさも愉快そうに言う。

「それはこっちのセリフじゃ。お前が煙草を喫っているのを密告してくれた正義感溢れる生徒がおってな。半信半疑で調べてみたらこの様じゃ。まあ停学は確実かな。さあどうする?はは!」

 前林はこの時嵌められた事を悟るが、どうする事も出来ず下唇を噛む。クラスメイトたちは彼のこの絶望的危機を手に汗を握って見守る。

 この時の山野の顔は、追い詰めた蛙を飲み込もうとする大蛇のようであった。

 前林はなるたけ気持ちを落ち着け、なんとかこのピンチを切り抜けようと思考を始める。

 誰だ?俺の鞄にこんな地雷入れくさったのは?可能性があるとすれば、教室に誰もいない体育の時限。あの時体調不良とかで授業を休んでいたのは、田宮、玉木だ。いや他のクラスの奴かも知れないし、山野本人かも知れない。

 彼はまず体育の授業に出ていなかった二人の観察から始める。田宮は体の小さな真面目でおとなしいタイプだ。彼は前林と目が合うと、驚いたようにサッと目を逸らす。奴はそんな大それた事をやれるタマではない。次に玉木を見る。体格の良いガラの悪そうな不良生徒で、授業を病気で休むよりサボりで休んだと考えたほうがしっくりくる。彼は前林と目が合うと、途端におどおどし始め目が泳ぎ出す。

 前林は犯人を確信すると勢いよく立ち上がり、物凄い剣幕で玉木に向かってゆく。

「お前か、こら!ぶち殺っそ!」

 玉木も相当なワルであったが、彼の迫力に怯える。

「ヒィー!お、お許しを!」

彼は玉木の胸座を掴み詰め寄る。

「白状せんとマジでいてまうぞ、このガキ!」

「い、言いますから、命だけは!」

 教室は騒然となり、山野は慌てて「玉木!」と叫ぶ。

 玉木は泣くように懺悔を始める。

「じ、実は俺が入れました!や、山野先生の命令で!俺がトイレで煙草喫ってたのを彼に見つかって・・。その場で彼に取引を持ちかけられて・・。」

前林は山野の方に振り向き怒鳴る。

「黒幕はやっぱお前かー!」

 山野は開き直ったかのように腕を組んで答える。

「ど、どこにそんな証拠があるんな!?憶測だけで適当にもの言いよったら名誉毀損で訴えるぞ!」

 その時、前林の中学時代からの悪友尾崎が、ヘッドホンステレオを手に立ち上がり大声で言う。

「証拠ならあります!」

 一同静まりかえる。尾崎は説明する。

「わいは校則違反を承知でこれを学校に持ってきて音楽を聴いとった。ある日授業中にトイレに向かった時、トイレの奥から山野先生と玉木の会話が聞こえてきた。実に興味深い内容だったので、見つからないようにこれでこっそり録音した。」

 前林は興奮して叫ぶ。

「ブラボー!今すぐ聞かせてくれ!」

 尾崎は自分の鞄から一枚のカセットテープを取り出すと、ヘッドホンステレオにセットし、前林に手渡しにゆく。山野の表情は凍りつく。

 前林は両耳にイヤホンをつけ再生ボタンを押す。一同固唾を呑んで見守る。

 しかしこの時前林の耳に聴こえてきたのは陽気なポップスであった。テープを間違えたのかと尾崎の顔を見やると、彼は軽くウィンクをする。前林は瞬間的に尾崎の機転を悟る。前林はすぐさま意識的に激しい憎悪の表情を作ると、山野に向かって言い放つ。

「山野、こら!おどれ、よくも!」

 前林は全身から殺気に満ちたオーラを放ちながら山野に近づいてゆく。

 山野は恐怖で後ずさりしながら全身を震わせる。そして前林が手前まで来ると土下座をして叫ぶ。

「すまん!こ、これしか・・これしか方法がなかったんじゃ!」

 山野は号泣する。


 前林が職員室に入ると、学校の教職員全員が集まっており、それぞれの席についている。物物しい様子に彼は内心吹き出しそうになる。

 校長が立ち上がり愛想笑いを浮かべながら揉み手で前林に近づくと、奇妙な質問をする。

「前林君と言うたな。行きたい大学ある?」

「え?」

「行きたい大学ある?もし君が望むなら、当校に割りふられた大学の推薦枠を、今のうちから君の為に空けておけるんよう♪」

 前林はその意味を理解すると毅然とした態度で答える。

「大学入試には正々堂々と実力で挑みます。そんな提案をされること自体不愉快です。」

 校長は恥ずかしそうに言う。

「ごめんごめん。そんな意味でのうてね。当校として何らかの罪滅ぼしをさせてくれんかと。」

「ご心配にはおよびません。僕は今回の件を裁判に訴えたり、マスコミにリークしたりはしません。もう済んだことです。」

 校長の顔には歓喜と安堵の色が浮かび、俄かに丁寧な口調になる。

「そうですか!ありがとうございます!」

「ただし、一つだけ条件があります。」

「はい!何でしょう!?」

 前林は職員室の隅で床に正座させられている山野を指差して言う。

「山野先生に一切の処分を下さない事です。」

 一同耳を疑う。前林を卑劣な手段で破滅させようとした山野を、許すだけでなく救おうと言うのか?

 前林は続ける。

「僕もその時はかっとしましたが、こんな事で前途ある若い先生の人生を狂わせたくありません。どうです?要求を呑んでくれますか?」

 校長は信じられないといった表情で答える。

「あなたさえよければ・・。でも、本当にいいんですか?」

「はい。」

 下を向いて憔悴しきっていた山野は顔をあげると、驚きと感激で目をかっと見開き体を震わせる。

 前林は「では。」とだけ言い、校長に背を向ける。

 前林が出口に向かって歩いてゆくと、一人の教師が立ち上がり、ゆっくりと拍手を始める。そして一人また一人と立ち上がり、やがて全ての教職員がスタンディング・オベーションをする。前林は一瞬足を止めるが、はにかむ笑顔を見られぬようにと、敢えて振り向かずその場を立ち去る。

 校舎から出た少年は空を見上げる。雲一つない青空が果てしなく広がっていた。


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