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一、前林周二、参上!

   一、前林周二参上!

 一九九〇年四月。四国の田舎のとある進学系の高等学校の入学式。伝説はここより始まる。

式が中盤にさしかかった頃であった。会場の体育館の出入口から一人の男子生徒が勢いよくドタバタと現れる。一同振り返りその方を見る。髪を鋭利に立てて固めたハリネズミのような頭、シャープな顔の輪郭、相手を睨みつけるような瞳孔の開いた目、痩せ型ではあるが引き締まった体躯、ボタンが一つも付いていない学ランを纏い、餓えた野獣のような危険なオーラを漂わせていた。

一同唖然とする。彼は皆の注目などお構いなしに中央に向かって歩き始める。猫背の姿勢で足を引き摺るような不健康な歩き方である。会場にざわめきが起こり始めると、ジャンパーにジャージ姿の背の低い中年教師が小走りで彼に近寄ると、いきなり彼の頬にビンタを浴びせる。会場の空気が張り詰める!

生徒は呆然とした表情を浮かべ、左頬を手で押さえる。中年教師は彼を怒鳴りつける。

「お前はアホか!」

叩かれた生徒も生徒であるが、その中年教師もとても当たり前の人物には見えなかった。500人を超える生徒とその親たちが出席している厳かな入学式にラフすぎる服装で臨み、遅れて入ってきた生徒に唐突にビンタを喰らわせたのだ。

中年教師は続ける。

「アホ!ボケ!カス!お前のような周りの迷惑考えんクズは入学せんでええわ!」

生徒は中年教師を睨みつける。中年教師はその態度に一層苛つき二発目のビンタを浴びせる。次の瞬間である。生徒の体が宙に舞い、華麗な飛び蹴りを中年教師の胸元に喰らわすと、中年教師の体はものの見事に吹っ飛んでゆき、会場からは無数の悲鳴があがる。

床に転がった中年教師は呆然とした表情でしばし固まり、頭を整理し徐々に状況を理解してゆくと、凄まじい怒りの形相になってゆく。

大勢の教職員たちが慌てて二人の元へ駆け寄って行くと、中年教師に追い討ちをかけようとする生徒と、反撃しようと試みる中年教師を分けるように取押さえる。生徒はかっと目を見開いて叫ぶ。

「ぶち殺すぞ、こら!」

中年教師も負けじと怒鳴り返す。

「おどれ、ミンチにしたる!」

その様はまるで闘犬のごとくであった。勝負がついているのに未だ興奮が収まらず、人間たちに双方のサイドに分けられてゆく画であった。会場は軽いパニック状態になる。

二人は会場の外に連れられてゆき、しばらくして学年主任の東郷が壇上に上がると、なるたけ冷静で穏やかな風を装い言う。

「たった今皆さんが目撃された出来事は、大した事ではございませんのでどうかご安心下さい。些細な戯れにございます。」

しかし誰一人として彼の言葉に納得する者はなく、一同驚愕と戦慄の入り混じった表情でざわめいている。

しばらくしてなんとか騒ぎが収まると、式は再開され、それが終了すると新入生たちは各々決められたクラスの教室に向かってゆく。


一年十組に決まった生徒たちが教室に足を踏み入れた瞬間、仰天する。

黒板にチョークで『前林周二参上!』とでかでかと書かれていたからだ。生徒たちは口々に叫ぶ。

「な、何なこれ!?誰な!?」

「さっき暴れた奴か!?」

「わからん・・・。」

入学式からの一連の流れが、まるで安っぽい劇画のようであった。

担任教師は、木村という大学出たての若い男性で、中肉中背の体躯、頭が天然パーマ、色白の肌に黒縁の眼鏡、澄んだ瞳のふっくらとした頬。世間知らずの田舎のボンボンといった風だ。

彼はおどおどしながら自己紹介を始める。

「み、みなさん、はじめまして。こ、これから一年間担任させていただく木村浩と申します。ね、年齢は22歳。い、以後・・・お見知りおきを。」

 極度の緊張の為か、その強烈に吃った変てこな挨拶は生徒たちのくすくす笑いを誘う。彼は顔をひどく赤らめ、恥じらいを誤魔化すように続ける。

「だ、誰が書いたのかはわかりませんが、さ、先程黒板に書かれていた前林周二君は、じ、実は皆さんのクラスメイトです。み、皆さんもご存知の通り入学式にて些細ないざこざがあり、あ、明日から登校するそうです。」

 その衝撃の事実に一同絶句する。


 翌日。例の風雲児は周囲の不安をよそに何事もなかったかのように平然と登校する。黙って着席しているだけで周囲を威圧・緊張させていた。まるでマグマを溜めこんでいる休火山のようである。

 朝のホームルームの時間になり、担任の木村は意を決するように言い放つ。

「い、今から名前を呼ぶ者は、前に出てくるように。前林!玉木!笹田!平尾!」

 名前を呼ばれた者たちは皆ガラの悪そうな連中で、それぞれ不思議そうな顔でしぶしぶ前に出てゆく。木村は彼らを着席している生徒たちと向かい合うように横一列に並べると、着席している生徒たちに向かって信じられない言葉を発する。

「み、みなさんの前にいる四名は、我がクラスの要注意人物です。過去に問題を起こしてきました。よって、この子らとは距離をおいてつき合うように。」

 一同木村の言葉を理解出来ない様子である。彼は続ける。

「しょ、正直この事をみなさんに伝えるかどうか悩みました。でも決断しました。過去に悪かった人間は、か、必ず再びトラブルを巻き起こし周囲に迷惑をかける。自然の法則です。そ、それを未然に防ぐ為の策です。」

 教室は重い空気で沈黙する。やがてその静寂の中で軽やかなメロディーの口笛が聞こえ始める。

 木村はぎょっとし、きょろきょろと生徒たちを見回しながら怒鳴る。

「だ、誰な!?こんな大事な話の時に!不謹慎な!」

 そしてその口笛の出所が前に立たされている前林だと気づくと、木村はワッと叫び声をあげる。前林は木村を蔑むような目でクールに語り出す。

「こんな非常識な先生は初めてお会いしました。高校に入学して、これからみんなと仲良くやっていこうとしている時にこんな・・・。差別です。人権侵害です。僕の心は取り返しがつかないくらい傷つきました。訴訟をおこし、必ず追い詰めてみせます。」

 入学式で壮絶な乱闘騒ぎを起こした者とは思えない丁寧で理知的な言い回しであった。

 木村はたじろぎながらも必死で言い返す。

「な、何―!脅しか!お、お前はクズじゃ!」

 教室の空気がきな臭くなる。二人が言い合いを続けていると、騒ぎを聞きつけた隣のクラスの担任の長谷が教室に入ってくる。

「何の騒ぎです?」

 長谷はすらりとした長身に温和で上品な顔立ち、都会的で洗練されたベテラン中年教師といった雰囲気で、木村とは対照的だ。

 前林は長谷に言う。

「その前に木村先生に教室から退去してもらいたいです。頭に血がのぼられて話になりませんし、このままだと乱闘になりかねませんから。」

 前林の話の通り、木村は目をかっと見開き、顔を紅潮させ、額に血管を浮き出させて叫んでいる。

「ば、馬鹿生徒!馬鹿生徒!」

 長谷はゆっくりと木村の元に駆け寄り木村の両肩を軽く掴むと、彼を教室の外に誘導してゆく。

「まあまあ、木村先生。どうか冷静に。ここは私に任せておきなさい。」

 木村を教室の外に出した長谷は、教室に戻ってくると入口の戸を閉め前林の話に耳を傾ける。

 話の一部始終を前林から聞かされた長谷は困った表情で言う。

「それは確かに木村先生に非がある。前林君の言ってる事が正論だ。」

 そして教室の皆に問う。

「みなさん。彼の言っている事は全て事実ですか?」

 一同、一斉に頷く。

 その時、前林は突然入口の戸に近づいてゆくと、一気に戸を横にスライドさせて開ける。すると、戸の外側で戸に耳を当て体重をあずけるようにして中の話を窺っていた木村が前のめりに倒れこむ。彼は狼狽して叫ぶ。

「ま、前林!」

 一同、爆笑する。前林は半ば呆れた様子で長谷に言う。

「見てください。これがこれから僕たちが一年間身をあずける担任教師の真の姿ですよ。」

 長谷は溜息をつくと、前林に謝罪の言葉をかける。

「前林君。本当にすまなかった。我々の不手際だ。木村先生には厳重に注意しておくから、なんとかこの場は収めてくれないか。」

 そう言うと、長谷は前林に対して深々と頭を下げながら木村に言う。

「木村先生。君も謝りなさい。」

 木村は弁解しようとする。

「だ、だって、こいつが・・」

 長谷は木村を一喝する。

「木村!」

 木村は体をビクッと反応させると、断腸の思いで前林に謝罪する。

「す、すいませんでした。」

 社会の荒波を経験していない育ちの良い真面目で思いこみの激しいおぼっちゃんが、初めて社会に出た感動と興奮で、幼稚な冒険心から斬新な教育改革を試みようとし、大きな墓穴を掘ってしまい、お灸を据えられた瞬間であった。

 前林を恐れ、蔑み、敬遠していた生徒たちの顔の表情は、まるで英雄を讃えるかのような尊敬と憧れのものに変貌していた。


 事が一件落着し、一人廊下を歩いていた前林を長谷が呼び止める。長谷は周囲に誰もいないのを確認すると、意地悪げな笑顔で尋ねる。

「前林君。あれ、実は全部芝居だったんだろ?」

 前林は驚愕の表情を浮かべ答える。

「え?何の事ですか?」

 彼は愉快そうに前林の肩を手で軽く押しながら言う。

「またまたー。」

 前林が軽く狼狽し言葉を失うと、彼は追い打ちをかける。

「あんまり若い先生おどかすなよ。退屈しのぎに。」

 彼はそれだけ言うと身をくるりと反転させ、前林に背を向けて去ってゆく。前林はショックと苛立ちの入り混じった顔色でそれを見送る。


 後日。木村は帰りのホームルーム時、皆の前で前林に言う。

「ま、前林よ。当校はもうお前と一切関わらん事にした。こ、これ以上トラブルは御免じゃ。」

 前林は尋ねる。

「untouchableってことですか?」

「ん?」

 英語の教師である木村はすかさずそのスペルを黒板に書くと、それを眺めてしばし思索した後、『un』の部分だけ消し、『touchable』に変えると、右腕を前林の方に伸ばし手の平を広げ、狂気染みた表情で言う。

「前林。まだ手は届くぞ。」

 教室の窓の外に見える空には、どんより雲が垂れ込めていた。


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