【コトワとすいのあの世探訪 一】
木々がざわめいている。
ふと立ち止まり、重なり合う枝により狭くなった天を見上げる。
この景色も、随分見慣れてしまった。踏み固められた山道を今日も登っていく。
古びた庵、その呼び子を鳴らす。応答はない。
門を開け庭先に進むと、コトワが縁側で裁縫をしているところだった。
掛けた眼鏡を軽く上げならこちらを見る。
「なんじゃお主、また来ておるのか」
「は……私は職務を終えるまで、引き下がるわけにはいきませぬ」
すいの返事は決まっている。
「難儀な生き方じゃの」
コトワはすぐに視線を落としながらそう言った。まるでこちらには興味を向けていない。
何度この門をくぐったか分からないが、分かってきたことがある。
この人は、素直な求めには応じない人だ。
今日は、いつもとは違う話題から入ろう。
「コトワ様。このところ、この世の裂け目が不安定なのはご存じでしょうか」
「……ほう?」
意外なほどの反応に、少し戸惑う。
「辺りでは瘴気が湧き、世にあふれる禍イモノの数も増えてきております。」
気取られぬようつづけた。
「……それで?」
彼女はこちらを見る。やはり世の脅威には関心があるのだろうか。
「は、このような不安定な場合にこそ、コトワ様のお知恵、そして神器のお力が、我々神織には……」
すいの言葉をさえぎるように出てきた言葉は、すいの理解を完全に超えていた。
「ふむ。おぬし、あの世へ行ってみる気はないか?」
「………は?」
思わず聞き返してしまう。
「今お主が言ったではないか。瘴気が増え、禍イモノが増えておる、と。裂け目の向こう、あの世にその原因があるかもしれぬぞ」
畳みかけるように紡がれる言葉に、頭が追い付かない。
「は、確かに、そうは申しましたが…」
すいの返事はしどろもどろになる。
「わたくしもちょうど探し物があるし、ちょうどよいのう」
「探し物、ですか…?」
「なに、庭の池が寂しいと思っておったのよ」
一向に話が見えてこない。彼女は何を言っているのだ?
戸惑っていると、コトワはテキパキと手元の裁縫道具を片付けだした。
「……ええと……」
必死に返答を組み立てようとしている間に、コトワは立ち上がると、眼鏡をはずしながら続けざまに言い放った。
「来ぬというのであればわたくし一人で行って来よう。ではな」
「お、お待ちください。……お供、いたします……」
考える間もなく、そう答えるのが、精いっぱいだった。
「大げさなことを……」
コトワはそう言いながら、設けられた柵をよじ登る。
「こ、ここは禁域とされていますので……」
ためらいはしたが、この人は待ってはくれない。
すいも柵をまたぎ後を追う。
禁域、この世の裂け目のある古戦場へ足を踏み入れた。
瘴気の影響なのか、あたりに生える草は、宮のそばの野原で見るものとは全然違う。
ごつごつとした岩石の合間を赤黒い背の低い草が、覆っている。
すいは、背に負った刀をそっと右手で撫でると、少し遅れて後を追った。
前方には、大きく隆起した台地と、そこに広がる果てしない暗闇をたたえた裂け目が待ち構えている。
立ち止まったコトワは、目を細めながら裂け目を見つめている。
「この場は、常識が通用せんからな」
「それは、どういう……?」
すいはその背に追いつきながら聞き返す。
「じきに分かろう」
それ以上多くは語られなかった。
この世の裂け目。
近づくにつれてその異様さが際立ってくる。
はじめは巨大な洞穴だと思っていた。しかし、近づき見上げた時にめまいを覚えた。
この巨大に隆起し口を開けた裂け目は、奥、そしてそれから”上方”に続いているのだ。
この深淵を覗いていると、自分がどこに立っているのか、思わず足踏みし、足の下に広がる大地の踏み心地を確かめる。
「ゆくぞ、足を踏み外すなよ」
「は、はい…」
一歩、一歩と進むにつれ、不思議な感覚に陥ってくる。
気づけば、さっきまで壁だと思っていたところに足を降ろしている。
後方にあったはずの裂け目の入口が、今は天上に見えている。
風が渦を巻きながら頬をなでる。
足元の岩に滴る水滴が、天に向かって落ちていく。
もはや、圧倒的に、理解が及ばない周りの状況。
すぐ前には慎重に進むコトワがいる。しかしその背には果てしない距離を感じる。
すいは、コトワの踏んだ足跡を一歩ずつ、確実に辿ることしかできなかった。
「ここまでくれば、よかろう」
コトワの言葉で初めて辺りを見渡す。
そして、自分達が険しい崖を降りてきていたことにようやく気付いた。
裂け目の入り口はもはや見えない。
天は濁った煙に一面覆われているが、不気味に輝いている。
「どうじゃ?」
コトワはこれまでになく楽しそうに問いかける。
何も答えぬ、答えられぬすいを見て、不思議と満足そうな笑みを浮かべると、崖とは反対を目指し歩き出した。
「しかし、あの世がこのような場所だとはのう」
今、この人はなんと言った?すいには聞こえぬふりをして後を追うことしかできなかった。
あの世に入ってから、どれだけ歩いただろうか。
赤茶けた岩だらけの荒野を、目印もなく歩いている。
つい先ほど崖を離れた気もするが、何日も歩いている気もする。
不思議と腹は減らないが、喉ばかり乾く。
数歩先を歩くコトワの背を見つめながら、立ち止まり腰に下げた水筒の水を口に含む。
早足に追いかけ、再び歩き続ける。
右手に林が見える。
そのねじ曲がった木々を見ると足が止まりそうになるので、見つめるのをやめた。
左手には、沼地だろうか。流れはなく濁った水だ。岸は不気味に泡立っている。
前を行くコトワが、こちらを向いて立ち止まっている。
すいが追いつくと、コトワが言う。
「限界のようじゃな。休むとしよう」
その言葉に、膝の力ががくりと抜け、思わずその場にしゃがみこんでしまった。
息が切れている。何日もの行軍は、訓練でも問題なかったはずだ。
コトワは、すいに林の枝を集めるよう命じると、すいの腰にある水筒を奪い、林とは反対の方向へ迷いなく歩いていく。
すいはしゃがみこんだまま、どこかへ立ち去るコトワの背をそのまましばらく眺めていた。
膝に手を当て立ち上がる。
とぼとぼと林に近づき、足元の奇妙な形の枝を拾う。
火を起こすなら枯れ木がよかろう。なるべく乾いた枝を選び、腕の中に集めていく。
風はない。耳を割くような静けさだけが、すいを包んでいる。
ふと林の外を見ると、いつの間にかコトワが戻ってきている。
集めた枝をコトワの脇に音を立てて落とす。
少し乱雑になってしまったが、気には掛けない。
すいはその場に腰を下ろした。
コトワが水筒を手渡してくる。
どこで汲んできたのか、満杯だ。
「安心せい、飲んでも大丈夫じゃ」
聞いてもいないのに、そうコトワは言った。
おそるおそる、水筒を口に近づける。
冷たい。
冷たい水を一口、口に含んだ。
長い、長い息が口から出る。
パチパチと音を立てる火を見つめていると、なんだか、この世のものではない気がする。
煙の臭いに少し安心している自分がいる。
なんだかふわふわしている。体の疲労ではない。
この理解しがたい一日、一日?もはやそれすら定かではない。
この状況を頭が理解していないのだ。
コトワは何も語らない。
ここは、どこなのか。この世の裂け目とは。
聞いたところで求める答えはくれないだろう。黙って地を見つめる。
コトワが立ち上がる音で意識を取り戻した。
いつの間に眠っていたのか、自分でも分からない。
不覚。
立つコトワの横顔を、焚火の火が薄暗闇に浮かびあげる。
「どうやら、お客様のようじゃな」
コトワの言葉にハッとなり、頭を振りながら即座に立ち上がる。
背に負ったままだった刀を下ろし、静かにかまえる。
そこで初めて林の奥から、ガサガサ、ガサガサ、という音が響いてくることに気づいた。
禍イモノ……いや、人か……?複数だ。
音がやんだ。
途端に、焚火の枝がひときわ大きな音を立てて爆ぜる。
その瞬間。
「何者か!!」
低く太いしゃがれたような大きな声が響き渡る。
~二殿の報告書~
雨月家、すい様の長期不在。
「不死の巫女の勧誘」がうまくいっていないよう。
勧誘における神織の狙いは不明。
文官方面からの情報収集の強化。




