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【竜のひげを断ちしもの】

赤毛牛は汗をかきながら車を引く。

その車の中で、五家(ごか)の一角を占める、鳥陽家(ちょうようけ)、その若き次男──たけみは、使命に燃えていた。

世間を見てくるとよい、そう言って送り出す父。侮られているようで腹立たしい。

オレとてもう神織(かみおり)の文官だ。職務とあればどこへでも行くが、父のおぜん立てというのが気に食わなかった。

窓の外に流れる田畑の景色には目もくれず、もう一人の乗客である武官を見る。

雨月家(うづきけ)のすい。

神織において、武の頂と謳われる女。

人をして、文の鳥陽、武の雨月、と言わしめる、雨月家だけあり、静かなたたずまいのなかにも、隙を見せぬ感がある。

たけみは、彼女に今回の任務が任された意味を、正確に理解していた。

不死の巫女。

その信じがたい存在が、神織に牙をむいたとき、それを制圧するための「切り札」となる。父たちが、いかにその存在を重要視しているかの表れだった。

「……鳥陽の、たけみ様」

たけみの視線に気づいたすいが口を開いた。

「この任、あまり乗り気ではなさそうですな」

「まさか、逆ですよ。オレは任されたからには真剣です」

すいは意外そうな顔をする。

「父君とずいぶんと言い合っておられたようだが」

「聞こえていましたか」

たけみは悪びれずに答える。

「当然です。神器(じんぎ)髭切(ひげきり)』などという、規格外の力が野に在るなど、神織の統治の根幹を揺るがす事態。それを、父上たちは、使者を送るなどという、悠長な…」

「礼を尽くすのは、当然のことかと」

すいの、静かで、しかし有無を言わせぬ声が、たけみの言葉を遮った。

「相手がどのような存在であれ、まずは、敬意を払う。それが、神織のやり方です。力で捩じ伏せることだけが、強さではありません」

お堅いことだ。この人選から、使者とは建前であることは知れている。たけみはそれ以上は何も言わず、窓の外に顔を向けた。

畑で働く夫婦。あの作物も市を経て我らの口に入るのだろう。世はそうしてめぐっている。

やがて、車は目的の村へと到着した。


村の者を見つけ、神織からであると伝えると、村長と言われる男が、腰を低くしてやってきた。

村長の案内の元、村を抜ける。

村の中は、やぐらや飾りが据え付けられたまま、まだ祭の空気が残っている。

広場を抜け、社の裏手、件の件の「竜のひげ」が巻き付いていたという、神木へと向かう。

しかし、そこには青々とした葉を茂らせた大木が静かに立っているだけだ。

事件の跡はどこにも見られない。

村人たちへの聞き取りも、芳しい成果は得られなかった。誰もが口を揃えて言うのは、「眠たげな一宮(いちのみや)様が、ふわりと山へ飛んでいって」「小さな女の子を連れて帰ってきたら、あっという間に、ばらばらに…」という、まるで、お伽話のような証言ばかり。


「…どう思われますか、すい殿」

村人に教えられた、コトワが出て来たという山道を、歩きながら、たけみはすいに問いかけた。

「にわかには信じがたいが……村の者たちが嘘をつく理由もわかりません」

「まったく、不思議なものですな」

たけみは思ったままを口にする。

「一宮の巫女の報告一つで、こうして五家肝いりの使者が派遣される。かと思えば、その報告の真偽すら、定かではない。いったい、何のために来ているのやら」

すいは、聞いているのかいないのか、ただ前を見つめて静かに歩を進める。

徐々に足元の道は細くなり、足元を覆う草木はより鬱蒼としてきた。

やがて、木々が途切れ、陽の光が差し込む、開けた場所に出た。

その庵は、まるで、ずっと昔からそこにあったかのように、静かに佇んでいた。

おもわず、ごくり、と息をのむと、庵の呼び子を、叩いた。

「…何用じゃ」

ぎぎ、と重い音を立てて開いた門の隙間から現れたのは、あまりにも、小さな少女だった。

噂には聞いていた。しかし、その幼い姿を目の当たりにして、思わずあっけにとられた。

たけみは、一瞬の動揺を押し隠し、あえて威圧的に、それでいて礼は失わぬよう、慎重に言葉を選ぶ。

「神織の宮よりの使者である。不死の巫女、コトワ殿に、お目通りを願いたい」

少女は、つまらなそうに、二人を上から下まで、品定めするように見つめると、やれやれ、といったふうに、重い門を、完全に開いた。

「わたくしが、コトワじゃが」

通された庵の縁側で、たけみとすいは、改めて、コトワと名乗る少女と、向き合っていた。

一見すれば大人ぶった少女にも見える。が、底知れぬ瞳と、凪いだ湖のような佇まい。確かに、只者ではないようだ。

「して、何の用じゃ。神織とやらに、今更、何の関わりもないはずじゃが」

コトワは、湯気の立つ茶を、ちびり、とすすりながら、気だるげに言った。

たけみは、単刀直入に、用意していた言葉を並べる。気圧されてはおらぬ。早口とならぬよう注意が必要だった。

「貴殿が所持するという、神器『髭切』。それを、我ら神織の管理下に置いていただきたい。あるいは、コトワ殿、貴殿自身が、神織に帰参されるというのであれば、我らは、相応の待遇を、お約束いたします」

コトワは、ぴくり、と眉を動かした。

「断ったら、どうする気じゃ?」

「従ってもらいます。力づくで、とは、なりましょうが」

ここまでは、事前に想像した範疇を出ない。

それを聞いたコトワは、ふ、と笑った。心底、おかしそうに。

「それが、できるか? おぬしに」

言うが早いか、コトワは音もなく立ち上がり、庭へ出た。

その手には、いつの間にか、そこらに落ちていたであろう、一本の、ただの木の棒が握られていた。

たけみは、カッと頭に血が上るのを感じた。この小娘が…!一歩、前に出ようとした、その時。

「お下がりください、たけみ様」

静かな、しかし有無を言わせぬ声が、彼の肩を制した。すいだった。

彼女は、たけみの前に、すっ、と立つと、コトワに向き直る。

「馬鹿に、しているのですか?」

すいの声には、侮辱されたことへの、静かな怒りがこもっていた。

コトワは、そんなすいには目もくれず、棒を左右に振りながらたけみを見つめる。

「ほれ。従わせるのでは、なかったのか?」

分かりやすい挑発だ。この場で、五家の自分が、得体のしれない少女相手にみっともない姿を晒すわけにはいかない。

すいは、仕方がない、となかば呆れたような顔で、背に負った刀に手を伸ばす。

「こちらは冗談ではないことを……」

そう言いかけた、その瞬間。

コトワの姿が、消えた。

そう見えた。

気づいた時には、すいの首元、コトワの握る木の棒の先が、ぴたりと差し向けられていた。

「なっ…!?」

すいは、動けない。

静寂──そして、風が、森の木々をざわつかせる。

勝負は、ついていた。

「つまらん」

コトワは、そう言うと、木の棒を、ぽい、と庭に投げ捨てた。

「さて、小僧」

コトワは、縁側に腰を下ろすと、まだ湯気の立つ茶を、再び、すすった。

「話の、続きじゃったな。…わたくしは、退屈が嫌いでのう。おぬしたち神織が、わたくしを、楽しませられるというなら、考えておいてやらんでもないが」

その言葉は、もはや、たけみの耳には、届いていない。

彼の脳裏に焼き付いていたのは、ただ、目の前で繰り広げられた、あまりにも、理不尽で、圧倒的な、「力」の光景だけだった。


たけみとすいは、追い出されるように庵を離れ、村へと続く山道を、ただ、無言で歩いていた。

鳥のさえずり、木々のさざなみ。

もはやすいの耳にはそんな音は届いていない。

不覚、不覚、不覚。

交渉を有利に進めるための、脅し。その程度の認識だった。

だが、それ以上に。

明らかな、油断があった。

相手が小娘であること。武器が、ただの木の棒であること。

武人として、決してあってはならない慢心。

相手の獲物が短刀であれば?私は今ここを歩いてはいまい。

思い返そうとしても、思考がまとまらない。

気づいた時には、喉元に、あの冷たい感触があった。

完敗だった。言い訳のしようもない、完全な敗北。

神織の宮に戻り、父たちに、何と報告すればいい。

「不死の巫女は、こちらの手に負えませんでした」と?

雨月家の名に、自らの「武の頂」という名に、泥を塗るだけの、無様な結果。

唇を強くかむ。血の味が、口の中に広がった。


村に着くころには、日はすっかりと傾き、夜の闇が迫っていた。

たけみは、先ほどまでの不遜な態度は鳴りを潜め、どこか消耗した様子で、出迎えた村長に、一言だけ、告げた。

「…今夜は、ここに、宿をとらせていただく。明日の朝、宮へ戻る」

村長に連れられた一軒の家では、”よし”と名乗る男の一家が、二人を温かく出迎えた。

夕餉に用意された素朴な食事にも、二人は、ほとんど手を付けようとはしない。

沈黙は、まだ、続いていた。

先にそれを破ったのは、たけみだった。

「…すい殿」

「…はい」

「明日の報告は…私が、行います。貴殿は、何も…」

「いいえ」

すいは、きっぱりと、その言葉を遮った。

「敗北は、敗北です。神織の使者として、ありのままを、ご当主方に、報告する義務があります」

その声には、震えも、迷いもなかった。

ただ、武人としての、揺るぎない覚悟だけが、そこにあった。

たけみは、そんなすいの顔を、じっと見つめた。

そして、ふ、と、自嘲するように、息を吐いた。

「…そう、ですな。私も、どうやら、少し、頭が冷えたようです」


用意された宿の一室。

たけみは寝具に横にながら、天井を見つめる。

たけみは、混乱していた。鼓動が高まったまま、収まらない。

五家の権威、神織の宮の威光、それらを背負って乗り込んできたはずだった。

それが、どうだ。

得体のしれない、小娘一人に、完全に手玉に取られた。

いや、そもそも、相手にすら、されていなかった。

すい殿は、油断していた、というのもあるだろう。だが……。

脳裏に、あの光景が焼き付いて離れない。

木の棒。ただの、そこらに落ちていたであろう、木の棒。

それで、仙境最強と謳われる武人を、いとも容易くあしらってみせた、あの少女の動き。

目は離さなかった、はずだ。しかし、追えなかった。

……あれが、不死の巫女……。あれが、神織の管理下にない、力……。

たけみは、知らず、拳を強く握りしめていた。

感じたのは、恐怖ではない。

屈辱。そして、自分の知る世界の「狭さ」に対する、どうしようもない苛立ちだった。

あの甘い父に、責められるだろうか。

考えても仕方がない、しかし。

いつの間にか、外では鳥が鳴き、白白とした光が、夜の闇をかき消そうとしていた。


重い空気と共に(みや)へ帰り着いたたけみとすいを、鳥陽家の長男であるたけるが、父・たけおみの代理として出迎えた。彼の表情は、気遣わしげでありながらも、どこか弟の失敗を予期していたかのような、複雑な色を浮かべていた。

たけるは、二人を執務室へと招き入れた。

上質な茶が、そっと、差し出される。

「ご苦労でしたな、私が報告を承ろう」

報告は、たけみが淡々と、そして、すいが、自らの敗北を含め、一切の言い訳をせずに、ありのままを告げた。

「二人とも、大変だったな。そもそもが、一宮様の、お伽話のような報告だったのだ。その実在が確認できただけでも、お前たちが行った甲斐はあったというものだ」

たけるは、努めて穏やかに、二人を労った。その言葉は、弟の心の傷を慮る、兄としての優しさから出たものだった。

「…ありがとうございます、兄上」

たけみは、力なく、そう答えるのが精一杯だった。

しかし、すいは、違った。

彼女は、差し出された茶には目もくれず、ただ、一点を、見つめていた。

その瞳の奥には、消えることのない、静かで、しかし、燃えるような光が宿っていた。

……任務は、果たせていない。

彼女にとって、この結果は、到底、受け入れられるものではなかった。

神器の回収、あるいは、コトワの帰参。そのどちらも、成し遂げられていない。

武官として、神織の命令を、完遂できていない。

このままでは、終われない……。すいは、心の内で、固く、誓っていた。

もう一度、あの庵へ向かう。

何度でも、向かう。

そして、今度こそ、あの不死の巫女に、神織を、私の力を、認めさせてみせる、と。

それは、もはや、神織の命令を超えた、彼女個人の、武人としての、誇りを賭けた戦いの始まりを意味していた。

たけるは、そんなすいの、尋常ならざる気配に気づきながらも、あえて、何も言わなかった。

ただ、弟の、かつてないほどに沈んだ横顔を、憂いを帯びた目で見つめるだけだった。


この一件は、神織上層部の判断により、しばらくの間、凍結されることとなる。

しかし、関わった者たちの心に灯った、小さな、しかし、決して消えることのない炎は、静かに、次なる時代の到来を、待ち続けていた。

~二殿の報告書~

昨日、五家の雨月家および鳥陽家の二名が宮を出た。

本日帰還。

詳細は不明だが、二者ともに疲労が見えたとのこと。

五家が二家も関わることから、重大案件の懸念あり。

要調査。

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