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【祝祭の色彩:雨月さい】

まだ日も登らぬ神織(かみおり)の宮。

巫女の廓の廊下、自分たちの部屋の前に、一糸乱れず立ち並ぶ、薄衣だけを纏った巫女たち。

一宮(いちのみや)の巫女、あさめが手にした桶で水をかぶる。

それを皮切りに、上位の巫女から順に水をかぶっていく。

二宮(にのみや)黒曜(こくよう)らん、(ますの)きり、はり。

そして五人目として、三宮(さんのみや)雨月(うづき)さい。

汲みたての水の、凍るような冷たさに、背筋が強引に伸ばされる。

さいの祭事は、こうして始まりを迎えた。


濡れたままの姿で、あさめが祝詞(のりと)を謡いあげながら廊下を進む。

頭を低くして通り過ぎるのを待つ。

あさめが徐々に離れていく。

目を閉じ、手を組んだまま、しばしの静寂の中に身を置く。

再び聞こえてくる祝詞。

あさめが廓じゅうを、ぐるりと一周し、元の位置に帰り着いた。

再び、高位のものから、跪き簡単な祈りの言葉を奉る。

順々に、重なる様に下位のものに向かって言葉が連なる。

この言葉を奉った者から、すぐに部屋に戻って着替える。

濡れた服を脱ぎながら、温かいお茶が欲しくなる。

が、もう祭事の期間中は廓では火を起こせない。

あらかじめお湯を用意しておけばよかった、と思いつつ着替えを終えた。

まずは自分で着られる簡素な巫女服。


濡れた服を廊下の籠に放り込み、鑑の間に向かう。

部屋に入ると、すでに一宮くれんが膝を丸めて浮いていて驚いた。

赤子のように丸まったまま、ゆっくりと回りながら、眠そうな目をこちらに向ける。

「おはよお。一番乗り、だね」

「お、おはようございます、くれん様!いよいよですね」

続々と宮の面々が鑑の間に揃ってきた。

日の出を待ち、神器──天津天鑑(あまつあめのかがみ)の前で儀式を済ませ、隊列を組んで、宮の下層、大神殿まで鑑を運ぶ。

居並ぶ役人たちの前を、一言をも発さない黙秘の一団が通る。

これだけの人数の集まりのなか、衣擦れと床板の軋む音だけが響く。

大神殿にて、儀式を済ませ、鑑を納める。

朝の神事はここまでだ。

ふたたび列をなしてと巫女の廓まで帰ると、既に廊下の水や、濡れた着物の籠は片付けられていた。

滅多にない規模の神事なのに、手際が良いものだ。

今日の朝食は、部屋が用意されており、宮の皆さまとご一緒する。

他の巫女たちも大部屋でワイワイと取るようだ。

日常から一歩踏み出したことを感じる。

ぱりぱりの漬物と、温かい粥でほっ、と一息つく。

宮のお姉さま方とのお食事も、そんなにゆっくりとはしていられない。

食事を終えたら、今度は見習いの巫女の手を借りて、儀式用の服に着替える。

いつものとは違う首飾りが用意されていた。

今日の祭事用に用意されたのだろうか。

まだ今日は、自分の舞の前には専用の服にも着替えなくてはならない。

大変だ。


「一番の舞の者は二の門横の控室へ!そちらで着替えを!」

「もう五家(ごか)の皆さまは席にお付きです!」

「宮様方のお着換えは!?」

「食器の片づけはまとめて動きなさい!」

着替えを終えて廊下へ出ると、朝の静粛さとは打って変わって、ざわざわとした騒めきと共に、どかどかと人が行きかっている。

そんな人の波をかき分けて、長い、長い袖を翻しながら門へ向かう。

「あら、さい。見違えたじゃない」

角まで来たところで西宮のきり様に出会った。

「きり様こそ!それが西の正装なのですね」

きりはすこし黄みがかった白衣に、同様の長い袖、ひらひらと布を大量に使った飾り裾。一目でこちらの作りとは違うことが分かる出で立ちだ。

「ええ、参りましょう」

きりに促されて一緒に宮の大門へ向かう。

夜明けから間もないというのに、門の内側から見える門前町の通りが大勢の人で埋まっているのが見える。

「まぁ……!舞台までたどり着けるかしら」

大門の外の特設舞台まで、四、五名の役人たちに囲まれながら、移動する。

「さいさまー!!」「西宮さまー!!!」

群衆から声を掛けられるが、対応してもいられず、微笑みながら人ごみをかき分けていく。

横を歩くきりは、手を振りながら神器の力で虹など振りまいている。

余裕の差と格の違いを感じる。


なんとか特設舞台の脇に据えられた、天幕張りの専用の観覧席にたどり着いた。

既に黒曜らんを始め数名は用意された席に付いていた。

五家の面々も既に揃っており、世間話などしている。

その顔つきは、普段廊下ですれ違う時に比べると、いくぶんか柔らかさを含んでいる。

さいの到着に気づいた父、雨月霖雨(りんう)が、立ち上がるとさいの元にやってきた。

「おめでとうございます、お父様」

「ああ、おめでとう。うむ、新調した飾りも良く似合っておる」

「まあ、この飾りはお父様でしたのね。ありがとうございます」

父は笑いながら元の席へ戻っていった。

あの厳格な父でさえ、祭で浮ついているのかもしれない。

そう思うと少しおかしくなった。


観覧席の周りに集まる群衆の間から、ひと際大きなざわめきが起こる。

人々の視線が宮の門の方へ流れる。

一宮あさめが、その姿を現したらしい。

やがて群衆から引きはがされるように観覧席にたどり着いたあさめは、五家の面々の前に優雅に一礼すると席についた。

これが、一宮様……。

そう思った直後、町の人々のざわめきが、さらに熱狂した叫びへと変わった。

ぎょっとし、何事かと思い、腰を浮かせかける。

くれん様だ。

人々の口から、一宮くれんが現れたのを知る。

しかし、視線が先ほどのあさめの登場とは違う。

くれんは、もはや人ごみをかき分けず、宮から直接、特設された舞台の中央に降り立った。

五家の面々も驚き立ち上がりかけて中腰となっている。

そんな様子は素知らぬ顔でその脇を浮かびながら通り抜け、席についた。

こ、これが……一宮様……。


やがて。

舞台の横に据えられた大太鼓が、腹に響く音を立てる。

徐々に間隔を短く叩かれるその音に合わせ、巫女たちが舞台に順に上がっていく。

一番の舞。

祝祭の始めを飾る巫女たちの舞だ。

日の光を返す銀糸を編んだ衣装を纏った巫女たちが、太鼓の音に合わせて立ち位置を入れ替えながら、流れるように舞う姿を見て、今更ながら高揚感を覚える。

舞台の最前では太鼓に合わせた手拍子まで起きている。

一番の舞の巫女たちは、舞を終えるとそのまま流れるように舞台から去り、合わせて天幕の面々は一斉に立ち上がった。

少し立ち上がるのが遅れた。

あさめを先頭に、宮の位の巫女たちが舞台へ上がる。

全体祈祷だ。

人々のざわめきは止み、衣擦れの音だけが辺りを覆う。

あさめの声が、低く、それでも遥かへ響くかのように鋭く、響き渡る。

次第に高く、祝詞を謡いあげる。

この祝詞も、この祭事のために書き下ろしたらしい。あさめはまるで古くからあるかのようによどみなく謡いあげていく。

さいは、目を閉じ両手を組みながら、遠く北の地へ赴いているという、姉を思う。

どうぞ、ご無事で。

そして、平和が、安寧が、豊穣がこの仙境を包みますように。

祈祷が終われば、巫女たちは一列となって、役人の作った通路を抜け、宮の門まで退く。

熱を帯びた民衆が、役人の作る壁に殺到する。

後ろから、五家の言祝ぎが始まるのが聞こえてくる。

一番最初は父だった。

この順番も、五家で揉めたであろうに。

少し誇らしくなりながら、熱狂の中を通り抜けた。


大門の内側では、各種団体の個別祈祷が始まるようで、こちらも順番待ちの団体でワイワイとしている。

それを横目に宮の中へ抜け、ようやく一息つくことができた。

前を歩く黒曜らんに肩を並べ話しかける。

「らん様、一番の出番ですね。やはり緊張されますか?」

らんは口元に手を当て、斜め上を見やる。

「緊張……当然です。」

しかしすぐに顎を引き締め、堂々と続けた。

「ですが……栄えある一番手を任されたからには、務めてみせますわ」

頼もしい限りだ。

「次のあなたが霞むくらいに、ね」

こちらに向けて軽く顎を上げながら目を細める。

意地悪だ。

「あらあら、緊張だなんて、らしくもない。いつものようにふてぶてしいぐらいでちょうどよいのでは?」

さいを挟むように横から桝きりが並んできた。

「あらぁ……?そう言う西の田舎者は縮こまっているのかしら?宮の大舞台の使い方、お見せしてあげましょうか?」

は、始まってしまった。

「お、お二人の舞、楽しみでございます、ねぇ……」

言いながら歩みを早め、戦場を抜け出す。

後方ではまだなにやら言い合っているようだが、実は仲が良いことは知っている。


実際のところ、あまりのんびりはしていられないのだ。

祭事の間は、宮の各所がそれぞれの控室としてあてがわれている。

自分用に用意された部屋に入ると、既に着替えの準備が行われていた。

本日3度目の着替えである。

共通の儀式用の衣服から、自分の舞のためだけの専用の衣装へ着替える。

白と鮮やかな水色でまとまった衣装は、自分でも気に入っている。

人の手を借りないと着れないのが難点だが。

着替えを任せながら、化粧の合間に固く焼かれた餅をかじる。

早めにお腹に入れておかないと、出番の直前で苦しくなるからだ。

着替えを終えたら、奥の広間で振りの確認を……らん様の舞は袖から見れるかしら……。

などと考えていると、帯をぎゅうぎゅうと締められて、一瞬息が止まる。

されるがままに頭をがくんがくんとしながら、ぴたりと帯が留められる。

後方の飾り結びを任せながら、最後のひとかけの餅を口に放り込む。

湯飲みの水を飲み、お腹をさする。

よし。


どこか空いた場所は無いかと廊下をウロウロし、手近な広間へ差しかかった。

そこにいたのは、二宮はり。

舞の名手と名高い彼女は、既に着替えを終え、振りの最終確認をしているようだった。

その表情は、舞の中の笑みを乗せてはいるが、目の輝きには鬼気迫るものを感じる。

キレのある身の返し、流れるような体重移動、おそらく目の動きから指先までも計算されつくしたその舞に、恐ろしさすら感じる。

とても声を掛けられる雰囲気ではない。

音を立てぬように後にした。

幸い、中庭に面した広間が空いていたので、そこを舞台になぞらえ振りを確認する。

最前の、はりの姿が瞼に焼き付いている。

あの身のこなし、指先までも使った表現力。今更真似られるものではない。

これまでに身に着けたものを出すしかない、とは分かってはいても、あの境地に憧れを抱かずにはいられない。

せめて、指一本でも。

意識しながら振りを確認する。


汗をかかぬ程度に一度通したところで、すぐに自分を探す声が聞こえてきた。

進行がやや押し気味とのことで、二番手であるさいも、舞台袖で待機しておいて欲しいとのことだった。

おおかた、五家のご当主様方のご挨拶に、熱が入っているのだろう。

高鳴る鼓動を無理矢理押さえるため、意識的にゆっくりと歩きながら、再び大門へ向かう。

昼が近づき門前町はさらなる賑わいを見せている。

町の方でもいろいろと出店が出ているのだろう、通りの端々に、屋根までの(のぼり)が立てられているのも見える。

どこかに大道芸も来ているのだろうか、風に乗って、拍子の外れた笛の音まで聞こえてくる。

再び付き添いの役人たちに囲まれて、熱狂の海をかき分ける。

群衆とは板で隔てられた舞台袖にたどり着くと、黒曜らんが目を閉じ腰掛に座っていた。

段上では、五家、沓掛(くつかけ)の当主、一斎(いっさい)が熱弁を振るっている。

よかった、袖から舞台の上は見えそうだ。


ひと際大きな拍手が起き、沓掛老人が演説を終えたことを知る。

演台が動かされ、舞台の清めが入る。

巫女や役人たちが、舞台上をあちこちに動くさまを見ていると、自然に手を固く握ってしまっていた。

座っていた黒曜らんが目を開け立ち上がった。

舞台に上がるための段に向かう、その横顔には緊張の色も見えず、静かなものだった。

そして、大太鼓が叩かれる。

今度は小太鼓の音も合わさり、これから始まる一番を盛り上げる。

ひと際大きく叩かれた太鼓の音を合図に、らんが、静かに手を合わせる。

そのとたん、舞台が、影で覆われる。

沸き起こる歓声。

らん様の神器。影を作る力を、登場する前に?

らんは、意を決したように、段を上り舞台へ上がる。

姿を見せた黒曜らんに向けた、観客の熱狂の叫びが、舞台裏を隔てる板を震わせる。


光と影、滑らかな動きとキレのある姿勢、陰と陽を対比させる舞。

露わになった長い脚での蹴り上げ。

停止した下半身とは裏腹に、拍子をとった腕の動き。

これは……拍手を、煽っている??

その動きに合わせて観客達は手を叩きだす。

足踏みで拍子を取りながら、自ら作った影から、日向に歩み出る。

腰をくねらせた姿勢で静止。

影を操り再び日陰に。

逆向きに再び歩み日向に出る。

再び静止。

動きを止めるたびに観客から嬌声が上がる。

特設された大舞台の端から端までを見事に使う壮大さ。

これは……私の知っている「舞」ではない……!

観客の作る拍動が新たな拍子を生み、それに合わせて舞台を跳ぶ。

再び舞台全体を覆う濃い、黒い影。

影の中での回転、翻る長い袖。

そして、跪き両手を広げると共に、追い払われる影と差し込む日差し。

舞を終え、動きを止めた黒曜らんに、拍手と声援が地響きとなり押し寄せる。

姿勢を正し、深々とお辞儀をするらん。

いつまでも鳴りやまない拍手。

頭が真っ白になる。


息を切らせながら、らんが舞台を降りてきた。

「やるだけ、やってきたわ。あなたも、思いきりやりなさい」

肩に手をかけ、そう小声でささやく声も、どこか遠くからのものに聞こえる。

太鼓が鳴る。

目の前の段に、一歩、足を踏み出す。

~二殿の報告書~

いよいよ祭事の初日を迎える。

当日は「特別任務」に当たる。

別途報告。

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