【狐の雨と、だんまり巫女】
今日も元気なまるやのむすめ
あたまの上にはおだんごふたつ
ぴかぴかひかる串さした
かんばんむすめのまちちゃんさ
その日は変なお天気だった。
空はからりと晴れているのに、どこからか、しとしと、と、不思議な雨が降っている。
山が消え、天が裂け、神さまがおっこちてきた、なんていうとんでもない出来事があった後。
「あらまあ、へんなお天気」
神織の宮、その門前町の甘味処「まるや」の看板娘、まちは店先に干していた手ぬぐいを、急いで取り込みながら、つぶやいた。
店の中は、客たちのひそひそ話でいっぱいだ。
もちろん、噂の中心は、あの「天が裂けた日」のことばかり。
「なんでも、神さまを天に返すとき、巫女さまがひとり、一緒に、消えちまったんだと!」
「まあ、こわい!」
まちは、そんな噂話に耳を澄ませながら、いつもの席に目をやった。
店の、いちばん隅の席。
連れ立って来ている巫女さまたちも、その席を、ちらり、と見ては、ひそひそ、と顔を寄せささやき合う。
その席には、一宮の巫女、くれん様が、ひとり、ぽつんと座っていた。
なんだか、今日のくれん様は、いつもと様子が違っている。
目の前のお皿には、まるや自慢のお団子が乗っているのに、それがちっとも減っていない。
ただ、しょんぼりと、お団子をじっと見つめている。
いつも眠そうにしている目が、今日はさらに薄く閉じられている気がする。
山が消えた、あの、「きつねつき」事件。
それを起こしたのが、当のくれん様であるという噂は、もはや公然のものだった。
まちは、とてとて、とくれん様の席に近づきます。
「くれん様、どうかなさいました? もしかして、今日のお団子、おいしくなかったですかい?」
くれん様は、ゆっくりと顔をあげると、ふるふると、くびを横にふりました。
「…そんなこと、ない」
そうは言うけれど、その声にはいつものけだるそうな響きもない。
ただ、どこか、遠くを見ているような、さびしい目をしているだけだった。
普段のぼんやり、とは違う、張り詰めたものを感じる。
客のひそひそと話す声、しとしとと降る雨音。
まちは、なんとかくれん様を元気づけようと、一生懸命、考えた。
やがて、えへへ、と頭をかきながら、話しはじめる。
「実は、あたしも、今日は、朝から、しょんぼりしてたんです」
盆を両手で前に持ち、ぽつぽつと続ける。
「このあいだ、新しい蜜の作り方を試してみたんですけどね、ほんのちょっぴり、まちがえちまって! そしたら、いつもの味と、ぜんぜん、違っちゃったんですよお! もう、がっくりです!」
まるや自慢の味を、もっと良くしようとしたのに、うまくいかなかった。
そんな、小さな小さな失敗談。
くれん様は、黙ってお茶を一口、ずず、とすすりながらまちの話を聞いていた。
そして、ぽつり、と、つぶやいた。
「『よくない』より、『いい』方が、『いい』」
「…へ?」
思わず、きょとんとしてしまう。
くれん様は、手にした湯飲みを置くと、確かめるようにゆっくりと話す。
「だから……。よくないこと、かんがえるより、いいこと、かんがえたほうが、いい」
それは、あたりまえ、といえば、あたりまえの、言葉。
でも、くれん様の、真っすぐな目を見ていたら、心のもやもやが、すうっと、晴れていくようだった。
「……そうですよね! そうだ、そうだ! やってみなくちゃ上手くいくかなんて分からないですもんね!」
まちは、なんだか照れくさくなって、早口になった。
くれん様に励まされた、それが嬉しくて、思わず笑顔になる。
「 よーし、あたし、もっともっとおいしい蜜、作っちゃいますよ! くれん様、ありがとうございます! なんだか、元気でてきました! ね、お茶のおかわり、どうです? すぐ、とってきますね!」
そう言うと、まちは、ぱたぱたと厨房へ向かって駆けていった。
ちらりと振り返ると、ひとり残されたくれん様は、お皿の上のお団子を、もう一度、じっと、見つめている。
新しいお茶を入れ席に向かう。
くれん様は自分の言葉を、もう一度、自分に言い聞かせるように、ちいさく、ちいさく、つぶやいた。
「『よくない』より、『いい』方が、『いい』……」
その言葉をかみしめる様にたたずんでる、と思うと、残っていたお団子を、一口で、ぱくり、とたいらげ、すくっと、席を立った。
ちょうど、お茶を出そうとしたまちに、くれん様は、言う。
「そのお茶、あげる。…のんで、元気だして」
そう言うと、さっさと代金を置いてお店を出ていってしまった。
「へ? あ、ありがとうございます…?」
ぽつん、と残されたまちは、手にした湯飲みを、しばらく、眺めていましたが、やがて、こくこく、と、そのお茶を、飲み干しました。
うーん、やっぱり、ふしぎな、お方だなあ……。
やっぱり、あの一宮様の考えていることは、さっぱり、わからないのだった。
しかし、その目はあの一宮様の「いつも」の感じが戻ってきた、そんな気がした。
雨は、いつの間にか、止んでいる。
~二殿の報告書~
鑑の儀に関わる西宮への書簡の確認を実施。
西宮との調整には緊張感が伴う。
事件以来閉じこもるくれん様を見かねて、あさめ様が暇を与えたらしい。
あの人にとっては、いつも暇みたいなものだろうに。