【消えた山】後編
何が、起きた?
二殿の巫女すずさは、血に染まった九宮コトワと共に、ただ必死に、長い廊下を駆けていた。
先ほどまで廊下から見えていた雄大な山が、消えた。
前触れもなく、跡形もなく。
信じがたいことが立て続けに起こる。
何?どうなってる?
「……まずいのう」
そうつぶやくコトワの横顔から、いつも浮かべていた余裕が、消えた。
前を行くコトワを追い、宮の中層、せり出した舞台へたどり着く。
振り返り見上げると、月に照らされる白い姿。
一宮くれん。
その背後には消えた山が描く、不自然な星空が広がっている。
「降りてくる!」
コトワは叫ぶと再び駆けだした。
切れる息を抑えながら、必死に追いかける。
「あれは、一体、何が!?」
走りながら問う。
「よよこうだ。くれんの身体でよよこうを使っておる」
コトワは振り向きもせず答えた。
よよこう。数代に一度しか適合者が出ない、最高位の神器。
くれん様が空を舞うための、神器。
息が上がり、足が止まる。柱に寄りかかり息を整える。
前を行くコトワが、振り返った。
「何をしておる!」
待たれて、いる?
「お主がおらねばアレはどうにもならんぞ!」
「そ、それは、どういう……?」
「お主の神器じゃ。封神匣でやつを封じる」
「え……」
「何も知らんのか。これだから神織は……とにかく行くぞ!」
くれんを追い、たどり着いたそこは、宮のはずれの倉庫だった。
円形にくり抜かれた、扉のあるべき場所を前に、足がすくむ。
コトワは怖じずに中に踏み込む。
数歩遅れて、恐る恐る足を進めた。
明かりもなく暗い蔵の中央。
天窓から差す月明かり。
くれんのその後姿を、浮かびあげる。
くれんは、宙に浮いたまま、こちらへゆっくりと、向き直る。
そのくれんの背後には、横になっている、ヒト?
寝台の脇には、精巧な人形が寄り添うように座らされている。
五匠、曲家の、『曲いさり』と、その人形、『■■■』……。
くれんと対峙したコトワが語り掛ける。
「にがさんぞ……!」
その声にはこれまで聞いたことのない怒気が含まれている。
くれんは不思議そうに小首をかしげたまま、ぴくりとも動かない。
見開かれた目が、恐ろしい。
コトワが片足を引き、髭切を構える手に力をこめた。
「すずさ! お前の神器『封神匣』をだせ!」
突如の呼びかけに、肩が跳ねる。
震える声で答える。
「コトワ様、でも、これは、そんな力は……」
「ちがう! わたくしを信じよ! 」
打ち消すようにコトワが声を上げる。
「神器に、ありったけの祈りをこめ、『封じよ』と、つよく、つよく、願うのだ!」
封じる。つよく。願う。
分からない。今日の出来事が、全て分からない。
封じる。つよく。願う。
考えが、まとまらない。言葉が出ない。
封じる。つよく。願う。
くれんが片腕を静かに上げる。
つよく。
首から下げた『封神匣』が照り返す月の光が、つよくなった。そう感じた。
「ぬ…? オモシロい…が……」
くれんが、その場でぶるぶると震え出した。
「今じゃ! なにか、『イれモノ』になるものをさがせ!」
コトワが叫ぶ。
『入れ物』。
最前見ていた、人形■■■。
これしか、ない。
両腕を、その人形に向けて伸ばす。
考えた行動ではない。身体が動いていた。
「封じる……!!『封神匣』……!!」
言葉が、溢れてきた。
一瞬、光が視界を覆ったように感じた。
と同時に、どさり、と音を立て、くれんが地に落ちる。
何が起きたのか、自分でも分かっていない。
「よくやった」
コトワが、くれんに向かって歩を進めながら、こちらも向かずにそういった。
何をやったのか。何がやれたのか、分からない。
ただ、呼吸が浅く、手が震えている。
コトワはしゃがみこんでくれんの身体を見ている。
「息はあるのう……。封神匣を使えたのなら、おそらく大丈夫じゃろう」
「あ、あの、一体何が……」
「何に封じたのじゃ?この人形か?」
髭切の柄で、人形をつつく。人形は、こてん、と倒れた。
動きは、無い。
「た、多分、その人形しか、見えませんでした……」
「動けぬ人形の中ならば何もできまい。よくやったぞ」
コトワは、改めて労う。
その言葉はすずさには何も響かなかった。
「きい」が封じられ、蔵の周りにようやく静寂が戻ったのも束の間、現場は新たな混乱の渦に叩き込まれた。
呼び笛を聞きつけ、ようやく駆けつけた神織の高官たち。
血の海と化した中庭の惨状、そして何より、忽然と姿を消した山の威容を目の当たりにして、言葉を失っていた。
「何の騒ぎだ! いったい何が起きている!報告は!」
文官の一人が、怒声とも悲鳴ともつかぬ声で叫ぶ。
「そ、それが…! 我々にも、何が起こっているのか、さっぱり…!」
現場の指揮を執るべき武官たちは、目の前の現実離れした光景にただ慌てふためくばかりである。
「誰が仕切っているのだ! 報告をさせよ!」
その怒号が飛び交う中、当事者であるコトワとすずさが、蔵の中から姿を現した。
役人たちが、勢いよく二人に詰め寄る。
「 無事か!何があったのか!説明を!」
しかし、コトワは集まったお偉方たちを面倒くさそうに一瞥すると、ただ一言、吐き捨てた。
「ひとまず終わった事だ。あとは好きにするとよい」
そう言うと、彼女は、ふい、と顔をそむけ、まるで散歩でも終えたかのように、さっさとその場を去って行ってしまった。
「なっ…! あの無礼者め!」
「待てと言っている!」
怒号が飛び交うが、コトワは振り返りもしない。
全ての視線と期待、そして詰問が、残されたすずさ一人に集中した。
「こ、コトワ様…!」
すずさは、助けを求めるようにコトワの背中を見つめたが、その背はあっという間に人混みに消えていく。
すずさは、観念して、震える声で報告を始めた。
「きょ、脅威が現れ、その…山を、消してしまった、のです。が、コトワ様のご助言で、わ、私のこの神器で、あの…ふ、封じ込めた、と…思います……。ひとまず、騒ぎは終わった、よう、です」
しどろもどろの説明に、役人たちは眉をひそめる。
「山を消した? 脅威を封じ込めた? 一体、何を言っているのだ」
「私にも、何が起こったのか、その、さっぱりでして…」
すずさが狼狽し、俯いた、その時。
「皆様、お静まりください」
凛とした声と共に、一宮あさめが人垣を割って現れた。
彼女は、疲弊しきったすずさの肩を優しく抱き、かばうように前に立った。
「すずささん。コトワ様に言われて動いていたのですね。大変でしたでしょう。もう大丈夫ですよ。明日、落ち着いてからお話を聞きますから、まずはお部屋でお休みになってください」
あさめの穏やかで、しかし有無を言わせぬ声に、すずさはこくりと頷き、見習いの巫女に支えられてその場を後にする。
次に、あさめは役人たちに向き直った。
「お役人様方。ご覧の通り、彼女はひどく疲弊しております。これ以上、今ここで問い詰めても、正確な情報は得られませんでしょう。詳しい話は明日にしてはいかがでしょうか」
そして、冷静に続けた。
「今は、宮の周りにこれ以上の異常がないか、被害の全容を確かめることこそが、急務かと存じます」
その言葉に、混乱していた役人たちも、はっと我に返る。
「そ、そうだな。その通りだ…」
「よし! 手分けして宮全体の確認を急げ! 負傷者はいないか!」
「町の方にも人をやれ! 何か変わったことがなかったか、報告させろ!」
あさめの一言で、ようやく現場は指揮系統を取り戻し、役人たちはそれぞれの持ち場へと走り出した。
蜂の巣をつついたような騒ぎは、まだ続いている。
~二殿の報告書~
報告できず。




