幕間六【その巫女、規格外につき】
二殿の巫女すずさは、今日も墨の匂いで充満する執務室で書類の山と戦っている。
慎重に神織の朱印を押す。
次。
このところ、宮の話題は、例の「不死の巫女」様で持ち切りだ。
印を押す。
次。
そういえば、もうすぐ故郷の村での祭も迫っている。そろそろ舞の練習もしておかなくてはならない。
印を押す。
次。
今日の昼過ぎならばその時間も取れそうか。
印を押す。
次。
宮の中腹の林、あそこであれば誰も来るまい。
印を押す。
カラリと音を立てて執務室の戸が開いた。
手が止まる。
「すずささん、ちょっとよいですか」
その声に、すずさは顔を上げた。戸口に立っていたのは、一宮のあさめだった。
朱がつかぬよう袖を抑えながら、静かに印を置き、声の方へ向き直った。
「あさめ様、このようなところへ……いかがなされましたか?」
あさめは、長い袖を翻すと顎に手を当てながら、眉を寄せて少し困った顔をする。
「あなたにも、会議に出てほしいのだけれど」
会議。
宮の上層部ではこのところ「不死の巫女」の処遇を決めかね、たびたび会議が開かれているという。
「もう、次で三回目、でしたか」
「そう、堂々巡りになっているわね」
「そこに私も、ですか?五家の方々のいらっしゃる会議ですよね」
なぜこのような下っ端に声がかかるのか。
「ええ、記録係として、でよいわ。発言は求められなければする必要はありません」
図りかねていたが、もはや決定事項らしい。
「いえ、構いませんが、またどうして」
「そうね、近くにいてくれたら心強いからかしら」
あさめは、いたずらっぽく微笑みながら言う。
微笑み返すこともできず、片側の口角を上げた複雑な表情になってしまった。
あさめが去ると、すずさはしばらく背もたれに身を預け、天井を眺めていた。
ふと、思い出したように右手の引き出しを開ける。
そこに入っていた小さな小箱。たいせつな。
その箱を、そっと開けると、ふうわりと、懐かしい花の香りがした。
故郷である西部にしか咲かない花の、優しい香り。
私の神器──封神匣。首から下げたその小さな飾りの力によって、花のその香りだけがあせずに残っている。
再び、静かに箱をしまうと、勢い良く立ち上がり、部屋を後にした。
昼が過ぎ、大階段を上って枢機庵へ行く。
見習いの頃に掃除をして以来だろうか。
薄暗い室内には、鳥陽家の長男、たけるがすでに席についていた。
たけるは、こちらを見ると軽く頭を下げた。
すずさは、背筋を伸ばし返礼する。
あさめさまは……まだ来ていない。
気まずい沈黙の中、戸口に立ち、会議の面々を待った。
やがてぞろぞろと連れ立つように、神織の宮、その中枢を担う、そうそうたる面々が集まってくる。
あさめもその中にいた。
あさめはすずさに気づくと、簡単に労い、戸口のそばの席を指し示した。
大方の面々が席に着いたことを確認し、音をたてぬよう気を付けながらそっと腰を下ろした。
会議が始まり、最初に口を開いたのは強硬派で知られる黒曜家の当主、宗厳だ。
「何度も言うが、危険な力であることは分かっている。だからこそ、こちらの武力の中に組み込み、その力を管理することが必要ではないのか」
強硬的な黒曜らしい、真っすぐな意見を言う。
反発しているのは、黒曜とは対照に、穏健派の鳥陽家の当主たけおみである。
「しかし、その根拠が、あの不可思議な報告では、判じきれまい」
彼は、その意見を言いながら、武門を束ねる雨月の当主霖雨の方を、ちらり、と見る。
霖雨は両腕を組んだまま、その視線にも動じていない。
あさめが、静かに手を上げ、自分の意見を言う。
「髭切、報告が確かであれば、まごうことなく神器。それを扱う巫女であるからには、巫女の位を、それも相応の位が求められましょう」
それを受けて、霖雨が組んだ腕をほどきながら答える。
「いずれにせよ位は必要であろう、機嫌を損なってまた出ていかれては元も子もない。巫女様方の元に、というのが筋にはなろうが」
確か、不死の巫女は雨月家のすい様がお連れしたという。そのせいもあってか意外にも控えめだ。
「二宮、三宮という五家の娘たちと同じ位に立てる、と?それともまさか一宮に着けるわけにもいきますまい」
文官を代表する高官が、五家の均衡を意識した発言をする。このような場での発言、苦労がしのばれる。
会議は紛糾する。
他の二家の当主たちは、ただ腕を組み、口を閉ざしたまま、この嵐がどちらに転ぶかを、値踏みするように見守っている。すずさには、彼らの腹の底までは読めなかった。
やがて、意を決したように、あさめが手を上げた。
「皆様。コトワ殿を、既存の階級のいずれにも属さぬ、新たな宮号でお迎えするのはいかがでしょう」
視線が、一斉にあさめに向かう。
あさめは淡々とその意図を説明した。
「新しい宮号は『九宮』。これはコトワ様の規格から外れるそのお力を示すものです。究極や完成を意味し、序列を乱さず、特別待遇であることを示すにはちょうど良いのではないかと。」
さすがはあさめ様、妙案だ。五家の面々はどうでるか。
「なるほど、巫女様方の中でもこれまでにない特別な位置についてもらう、と」
すぐに肯定的な判明を示した、たけおみ。
霖雨もそれに続く。
「それであれば体裁も整う上に、これまでの秩序も維持できよう。落としどころとしては丁度よいのではないか?」
そのほかの面々も、それぞれに頷いている。
決したか。と、すずさが思ったその時、声を上げたのは宗厳だった。
「形としての収まりはよいが。しかし、巫女様方でその力を管理しきれるものか?」
なるほど。我々巫女は武力を持たない。「髭切」という明確な力を抑えることができるのか、という懸念ももっともである。
「そうですね、宗厳様のおっしゃることも、ごもっともです。実務的な観点から見て、果たして管理が可能なのか…」
あさめは、困ったように少しだけ眉をひそめる。
そして、わずかに視線を泳がせた後、真っすぐとすずさの方を見つめた。
「すずささん」
私?なぜ今ここで私の名前が呼ばれるのか。
「あなたはこの宮の『現実』を、誰よりもご存知のはず。一介の巫女としての、率直な意見を聞かせてもらえませんか?」
「は!?は、はい」
焦って立ち上がる。
いや、発言を求められたのか。
今、この場で最適なのは何か。
すずさは、言葉を組み立てながら、ゆっくりと意見を述べた。
「わたくし個人の見解、というよりは、あくまでこの宮の二殿として、実務的な観点から申し上げますと…『九宮』という位は、その高貴さを示す点では申し分ないかと。また、宮としての実権を与えず管理下に置くという意味では、機能としても十分ではないかと、考えます」
頭の中は真っ白である。合っていたか?
あさめ様、発言は求められなければする必要はない、とはなんだったのか。
「ふむ、飼殺すというわけか……」
宗厳は顎に指を当て考え込む。
「下手に組織に組み込むよりもちょうどよいかもしれんな」
そして、ようやく頷く宗厳。
腰を下ろし、周りに悟られぬよう、鼻から長い息を吐く。鼓動がやけに早い。
大勢は決し、これまでの討議が嘘のように、淡々と粛々と、具体的な手順が組まれていく。
すずさは、次々と決まっていく事項を手元で書き留めながらも、あさめの横顔をみつめる。
さすがにこれ以上、私の役目はあるまい。
その翌日からは、あわただしかった。
新たな「宮」の位の創設。その叙任の式の準備である。
奇しくも会議の場に同席していたすずさに、その指揮の多くが任される。
「あなたは九宮様のお着換えの手伝いに」
「あなたは神器を預かって神前の台を整備なさい」
「塩は。神饌の手配はどうなっていますか」
宮の中層にある神殿を、慌ただしく出入りする巫女たち。
その合間を縫ってあさめがやってきた。
「ありがとう、首尾は良さそうね」
「あさめ様……」
思わず唇がとがってしまうが、仕方ないというものだ。
「コトワ様は相変わらずでした。手の隠れる袖の長いお着物は嫌だの、池のある庭付きの部屋をよこせだの……」
あさめは肩に手を当てながらぼやいた。
「それは、それは……」
此度迎える九宮様、思っていた以上に奔放な方のようだ。
準備のために宮を奔走する。
宮の上層、文官たちの執務室が立ち並ぶ一帯。普段はほとんど足を踏み入れない。
あの角は、確か鳥陽のたける様の部屋か。枢機庵で会釈した姿が思い出される。
その近くまで通りがかると、中から言い合うような声が聞こえてくる。
「兄上、兄上は『九宮』についてどう思われる!」
この声は、次男のたけみ様か。お二人とも文官であられるからな。
「うむ、巫女さま方のことにはあまり口を出せぬが、妙案であったと思うぞ」
威勢のいい弟に比べ落ち着いた声色だ。
「兄上までそんなことを!」
この場にとどまるのは、得策ではない。余計なことには首を突っ込まないが吉だ。
「なに、宮に付いたとてそれも名ばかりのこと、実権を与えぬよう押さえつけるためのものさ」
開け放された窓からは遠慮なく声が届いてくる。
もう少し周りにはばかってもらえないものだろうか。
「そういうものなのでしょうか」
「決まったことにあまり文句を言うものではないよ、たけみ。お父様たちが話し合って決めたことだ」
……ほとんど聞こえてしまった。
足早に立ち去る。
その後も何か言い合っているようだが、聞こえないふりをした。
式典まで、もうあまり時間はない。
~二殿の報告書~
枢機庵会議へ記録係として出席。
急遽発言を求められる。
あさめ様は容赦がない。
新たな宮号の設立に伴う業務の発生。
祝い言については宮にて作成。
式典の段取りを進める。