幕間五【退屈な宮とマジュツの手習い】
コトワは、退屈に飽いていた。
神織の宮に入って、何日が経っただろうか。
初めのうちこそ面白味はあったが、こう閉じ込められていては。
書庫を見せよと言えば、許可が下りず。町へ出せと言っても、許可が下りず。ちょっとした道具を取り寄せようにも、許可が下りず。
宮の中でも決まった一角しか通されない。
無視してやってもよいが……。
共に宮へやってきたりふぁをちらりと見る。
りふぁは見る物すべてが新鮮なようで、今も楽しそうに文机に乗った紙の束を見つめている。
「コトワ様、紙が白いです」
などと本気で驚いているから幸せそうである。
無理を言ってでも宮に入る前に庵から生活道具を持ってくるべきであったか。
聞くところによればコトワの処遇を未だ決めかねているようだ。
建物ばかりキレイになって、そういうところは相変わらず動きが遅い。
寝椅子に横になって、廊下の赤い柱を見るとはなく見る。
そこへ、武官のすいが、真剣な顔で通りかかった。
りふぁがすかさず声をかける。
「すいさまー!おーい!」
気づいたすいは、部屋の前に立つ武官に礼などし、入口までやってきた。
「りふぁ、宮での生活はどうだ」
口元に笑顔を作ってはいるが、眉間のしわが取れておらんぞ。
コトワも横になったまま声をかける。
「宮は、退屈なところじゃの」
「コトワ様。そうはおっしゃられますが……」
すいの言葉は、どこか歯切れが悪い。おおかた、連れてきた相手が退屈を持て余し、きまりが悪いのだろう。
すいの顔を見ていると、ふと思い出した。
「そういえば」
先日すいをあの世へ連れて行った時のことだ。
「以前、『自分にも神技を使えるか』と聞いておったな」
すいは床をじっと見つめると、神妙に答える。
「はい。……神器がなければ、適わぬ、とも」
あの時も思ったが、異様な深刻さを帯びている。
神織の武官であれば、神器を持たぬことなど些末なことだろうに。
コトワはゆっくりと身を起こし、すいに向かって座りなおす。
「うむ。しかし、マジュツであれば、おぬしでも使えるかもしれん、と思うてな」
「それは……本当ですか?」
すいは上ずった声で返事をした。
「コツはいるがの。あまりにも暇なので、教えてやろう」
たまには年長者として導いてやるのもよいだろう。
しかし、すいは横に立つ武官の顔をちらりと見ると、言葉を濁す。
「あの、今は少し、職務の途中、ですので……」
「つまらん。もうよい、行くがいい」
つまらん。再び横になる。
「あ、いえ、あの……また、改めて、お伺いします」
などとおためごかしを言っている。
顔も向けずに手を振った。
変わらず、退屈な午後を過ごしている。
文机に突っ伏し、指先で紙の束を手繰る。
りふぁは、赤毛牛の毛でできた筆を、あらゆる角度から眺めている。
突如、部屋の外から声が掛かった。
「コトワさま、いらっしゃいますか」
すい、か。お堅いつまらぬ娘。
「なんじゃ、きたのか」
机から起き上がりながら入口を見る。
そこにはすいと、その後ろには見知らぬ娘が立っていた。
巫女装束に、手を覆い隠すほどの長い袖。高位の巫女のようだ。
「その者は?」
「一宮の、あさめと申します」
静かに、しかしその声は凛として、空気を華やげる響きを帯びている。
一宮、また大層なモノが出張ってきおった。
「すい様が、コトワ様にご用事があると伺いましたので、その付き添いとして参りました。ご無礼、お許しください」
要するに監視、か。ご苦労なことである。
「まったく、窮屈なことじゃ」
そのまま声に出していた。
すいが、改まってコトワに向き直った。
「して、コトワ様。先ほどおっしゃっていた、マジュツについて、お教えいただけると……」
この律義さ。どこまでもお堅いようだ。
「まあ、火を出すだけの、小手先のモノじゃがな」
石金を叩くよりは便利だろう。
「それでも、私にとっては、知らぬ世界の理です」
その言葉に、隣の一宮が興味深そうに身を乗り出した。
「なにやら、面白そうなことを始められるのですね」
その瞳の奥には、探るような光が宿っている。
手習いは、マジュツの力の源となる「符」を作成することから始まった。
並んで座る一宮の巫女に武官、いつの間にやらりふぁまで混ざっている。
ふむ。
異様な光景を見渡しながら、着物の袂から眼鏡を取り出し、掛ける。
「本物は、特殊な墨を用意せねばならんが、今はそれも叶わん。見かけだけの手習いじゃ」
三人とも墨を擦りながら殊勝に聞いている。
まずは手本を見せる。
あの偏屈ものに教わってから、これまで何枚も書いてきた、その記号を紙に書き起こす。
「この記号は『火』を意味し、こちらは『集う』。そして、この線が『我が意のままに』という理を示す…」
こうして直接教わったものしかコトワも知りえぬ、神織とは、この仙境とは異なる世の、異なる理。
できた符を見本として見せてやり、実際に書かせてやる。
りふぁも興味津々で筆を握るが、小さな手ではなかなか思い通りに線が引けない。
「むむむ……むずかしい……」
彼女の作った符は、どこか愛嬌のある、いびつな形になっている。
横に目をやると、すいが難しい顔をしている。その眉間には、先ほどよりも深い谷が刻まれていた。
刀は握るが、筆を取るのは慣れていないのか。力の入れ具合、線の運び、そのどれもがぎこちなく、彼女の符もまた、りふぁのそれと大差ない出来栄えだ。
「ふ、筆の、修行からやり直します……」
がっくりと肩を落とす、すい。
これは、マジュツ以前の問題のようだ。
もう一方の一宮様は、とみると……
「ほう……」
思わず声が出た。
背を正した彼女の描く線には、迷いがない。筆を走らせる様は流れるように美しい。そうして、手本を写したかのように正確な符が、次々と生み出されていく。
この異なる世の理の、真意を汲み取ったかのように正確だ。
「おぬし、筋が良いのう」
素直に感心した。
「これならば、素材さえあれば実用できよう」
「恐れ入ります。巫女として、筆を扱うことには慣れておりますので」
あさめは、口元には変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、その視線は手元の符に描かれた、不可思議な記号の連なりから外されなかった。
「符ができたら、あとは言葉、だが……素材がそろったらまた教えてやろう」
焦ってもしかたあるまい。当分退屈な日々が続くだろう。
「それまでに符を描けるようになっておくのじゃな」
コトワは眼鏡の下で片眼を細め、ニヤリと笑った。
手習いを終え、コトワの部屋を辞すると、すいはあさめに丁寧に礼を言い、去って行った。
あさめは、すいの背中を、角を曲がり姿が見えなくなるまで見つめていた。
先ほどの光景が脳裏に焼き付いている。
符に込められた、未知の法則。そして、それをこともなげに語る、あの少女。
我々の知る神器などの理とは、まったく質が異なる、不可思議な力。
彼女、コトワという存在は、神織の宮がこれまで培ってきた常識や秩序の中に、到底収まるようなものではない。
危険、いや、異質。
彼女はこの神織そのものを根底から揺るがしかねない存在だ。
いや、だからこそ。
あさめは、きゅっと唇を結ぶと、踵を返し、一宮の執務室へ帰っていった。
誰もいなくなった廊下で、欄干に止まる鳥の鳴き声だけが響いた。
~二殿の報告書~
不死の巫女の宮入り。
実態としては軟禁中である。
付き人の見慣れぬ容姿に宮中にざわめきあり。
あの世の鬼、との噂。
直接の接触は様子を見ることとする。




