八十八話 火のこ落つ
心臓部に得物が深く突き刺さっている。熱いはずなのに、何も感じない。血も流れない。自分が人間では無い何かに変わってしまったことを、改めて実感した。
どこから間違えたのだろう。どうしてこうなってしまったのだろう。死ぬ前からやり直せたら……。そんなことが頭を離れず尽きない。
少年は愛されていた。能力が発現する前までは、確実に愛されていたのだ。自分がそれを実感出来るぐらいには。
しかし、そんな幸せなど短いものだった。儚いものだった。
おかしくなってしまったから、もう幸せなんてない。愛されることも、もうない。
火夜の目からは一筋の涙が流れる。
彼の身体から、炎の刀が抜かれた。身体が崩壊していくのが、目に見えてわかる。今度は本当に、自分が死んでいくのだと実感できた。
––––呆気ないな、自分の死って
そんな事を感じると同時に、
––––寂しい。
自分も弔ってくれる人間なんて、いない。死を目前にして、そんな虚しさを覚えてしまった。
誰かこんな自分を抱きしめて欲しい。温もりが欲しい。そんなことを漠然と考える。
そんな時、ふと身体が暖かいものに包まれた。意識を現実に引き戻すと、八下が自分に抱きついているのがわかる。
なぜ、彼が自分を抱きしめているのか。火夜は本気で殺しにかかってきた者であり、抱擁するような存在ではない。それに、結界が張られているのだから、来れるはずもない。
周りを見てみると、結界は既になかった。雨が当たらないから気づかなかったが、望緒は既に結界を解いていたのだ。
彼女は、寂しげな表情で、二人の様子を眺めていた。
––––火夜が悪くないわけじゃない。でも、同情ができないわけでもないんだよね……。
火夜の身体の崩壊が始まると、八下は言葉にしがたい表情を浮かべた。望緒はそれを見るなり、結界を思わず解いてしまった。
もちろん、その場にいる全員驚くが、何より張本人が一番驚いた。八下はというと、自分が泥に塗れるのも厭わず、火夜の方へ向かい、そのまま抱きついたのだ。
何が起きたかを理解すると、火夜の目からはとめどなく涙が溢れてきた。もう止められないほどに、溢れ出す。
「ごめん、ごめんな。もっとはやく行動してれば良かったな……」
「おっそいんだよ」
悪態をつきはするものの、表情はどこか嬉しそうだった。
誰かに抱きつかれるなど、一体どれだけぶりだろうか。“念”に体温など感じられるのかはわからないが、身体中に八下の温もりを感じる。
火夜は涙を流したまま、身体を崩壊させて消えていった。もう、彼がそこにいた痕跡は、何も残っていない。
◇
望緒たちは、朝日が昇る中、両親たちが待っている屋敷まで戻る。彼らはもちろん、子どもらが戻ってきたことを大いに喜び、抱き合って笑いあった。お叱りも添えて。
「まったく、急に行くって言うんだから、本当に驚いたのよ!?」
真澄は涙を目いっぱいに浮かべながら言った。
「ごめんなさい……」
「でも、本当に戻ってきてくれて良かった……。飛希もね」
彼女が言うと、飛希は優しい笑みを浮かべ、「うん」と穏やかに返事をする。
他の家も似たようなやり取りだ。
「お面もボロボロだね……。新しいの、作り直してもらおうか」
徳彦が飛希の面に触れながら、そう問いかける。飛希は少し口惜しそうな表情をしながらも、その方向で話を進めようとしていた。
彼が常につけている狐の面は、戦いの衝撃により、傷だらけである。今にも割れてしまいそうなほどだ。無理にそれをつけている必要はない。
と、そんな時、後ろから八下が「なあ」と声をかけてきた。
「お前が面をつけてるのって、昔“念”に呪いをかけられたからだよな?」
「え……はい。そうですけど……」
八下がそれを知っているのは、望緒を介して間接的に話を聞いていたからだ。
なぜ今、そんなことを聞いてきたのかわからなかった飛希たちは、不思議そうな表情を浮かべている。
「ちょっと面外して」
「え、いやでも」
「いいから、外して」
引き下がらない八下の言う通り、彼は面を外した。もちろん、片目を閉じたまま。しかし、八下は強引にこじ開けようとする。
「ちょ、なんですか!?」
「いや、目開けないとどうなってるかわかんないだろ」
「呪いかかってるって、八下様も言ってましたよね!? 開けるわけ––––」
「俺に呪いは効かないよ」
「え……」
八下は軽く口角を上げ、話を続ける。
「万一かかったとしても、自分で解呪できるしな」
再度、「ほら、目開けて」と促し、飛希はわけもわからず言われた通りにその瞼を上げた。
八下は小さくなるほどと呟いて、右手で飛希の左目を覆う。優しい温かさを感じられたと思ったら、すぐ後に、八下は手を彼の肌から遠ざけた。
「いいぞ、目開けても」
「えっ、でも……」
渋る飛希に対し、八下はにっこりと笑うだけ。
戸惑いながらも恐る恐る瞳を開けると、望緒は信じられないものを見たような顔をする。
なぜだと思いながら、後ろにいた真澄たちにも顔を向ける。すると、やはり二人も望緒と同じ顔をしていた。
不思議に思いながらも、飛希はあることに気がついた。
前までは、霊力の無い頃の望緒以外は、彼の目を見ると、たちまち精神がおかしくなってしまう。しかし、真澄も徳彦も、今は霊力があって効力を発揮してしまう望緒も、そんな様子はまったく無かった。
「は、え……なんで……」
「なに、ただの解呪だよ」
ただの、なんて言っているが、それが飛希たち人間にとってどれほど技量のいることか。
真澄たちは、そんな飛希に抱きつき泣き出す。抱きつかれた彼の黒い双眸からも、大粒の雫がこぼれ落ちた。
その後ろで、爽玖たちも大いに喜んでいる。
一生治ることのない呪いだとされていたものが、今ひとたび治ったのだ。大歓喜そのものである。
「良かった、飛希。ほんとに良かった––––」
呟く望緒の視界がぼやける。これは涙……では無さそうだ。彼女の視界は次第に遠ざかり、やがて暗転してしまった。




