最初の街でいきなり事件ですの!?
「――まったく、あのクソジジイめ! 覚えてなさいよ、いつかこの私が、世界で一番イケてる最強のお婿様を捕まえてやるんだから……っ!」
ガタゴトと音を立てて揺れる旅の古ぼけた馬車の中で、私はガリガリと硬い木製の壁を爪で引っ掻きたい衝動に駆られながら、不満を盛大に爆発させていた。
「おや、お嬢様。お父上様を『クソジジイ』などとお呼びになるのは、公爵家の気品としてもよろしくありませんよ。」
向かい側の座席で、銀縁の眼鏡をスッと持ち上げながら、ツルリとした涼しい顔で言い放つのは我が同行者の一人――ミリエラ・アルヴァレス男爵夫人である。
彼女は常に完璧な笑みを崩さないが、その口から飛び出す言葉はいつだって容赦がない。
「いいじゃありませんか、もう私は『不慮の事故で死亡した』身分なんですから! 王都の皆様にとっては、私はすでに過去の人間、ただの幽霊ですわ!」
「幽霊にしては、随分と血の気が多くていらっしゃる」
フッ、ミリエラが鼻で笑っていると、御者台の方から豪快な笑い声がする。声の主は我が従者にして、ミリエラの夫である――『鋼鉄の』バトスだ。その分厚い胸板と歴戦の傷跡は、そこらの野盗なら一目見ただけで失禁して逃げ出すほどの威圧感を放っている。
「お嬢。細かいことは気にするな。男なんてのはよ、拳と度胸がすべてだ。道中で変な虫が湧いたら、この俺がその大剣で一刀両断して――」
「ちょっとバトス、物騒なことを言わないでちょうだい。今回はあくまで『お嬢様の婿探し』が第一の目的ですのよ。あまり首を撥ねて回っては、結婚できるものもできなくなります」
「えっ、でもミリエラ、お前が前に行った『悪党の資産を合法的に差し押さえる手続き』の方がよっぽどエグかったぞ……?」
「あら、我が家の生活費を稼ぐためですもの。何か文句でも?」
「いえ、何もございません……」
――あぁ、もう!
この夫婦、私を護衛するという名目で旅についてきているくせに、いつだってこんな調子のノリの良い夫婦漫才を繰り広げている。
これでは、私の厳粛なる「婚活ロード」の雰囲気が台無しではないか。
「……二人とも、少し静かにしなさい。私は今、自分の今後の人生設計と、我が耳の今後の隠し方について深刻に悩んでいるのです」
私がジト目を向けると、ミリエラは小さくため息をついて窓の外へと視線を移した。
「しかし、お嬢様。父君がああまで仰ったのです。『文句なしの最強の英雄を連れて帰ってきたら、家格の壁など粉砕してやる』とね。あれは裏を返せば、生半可な男ではあの頑固ジジイの眼鏡にはかなわないということです。――覚悟はよろしくて?」
ミリエラの言葉に、私はフンと鼻を鳴らして胸を張った。
「当然ですわ! 私が求めるのは、私を『守るべきか弱いお姫様』ではなく『対等な戦友』として愛してくれる、度胸のあるお方です! 」
はぁ、とため息をつきつつ、私は自身の左耳をそっと触った。
耳を隠す「幻惑のイヤリング」は、今のところ正常に作動している。先祖返りのエルフ耳さえ隠していれば、私の美貌と教養は良い方なのだ。問題なのは、王都を出てからというもの、すれ違う男たちが私のオーラに気圧されて誰も近づいてこないことくらい。
「おや、お嬢。前方に何やら小さな街が見えてきましたよ」
御者台からバトスが声を張り上げた。
窓から顔を出すと、荒涼とした平原の果てに、煤けた石造りの壁に囲まれた寂れた国境の町が見えてきた。看板には『ロスベルク』と刻まれている。
「ふむ……。地図によると、ここは王国と隣国を結ぶ中継地点のはずですが、活気がありませんね。それに、衛兵の表情が妙に強張っている……」
ミリエラがスッと目を細め、知性的な瞳で町を観察する。
その時、町の門の近くで、何やら揉め事が起きているのが目に入った。
ひときわ体格の良い衛兵が、ボロボロの服を着た亜人の少女――頭にフサフサとした獣の耳を生やした小さな子供を、容赦なく地面に叩きつけて怒鳴りつけている。
「おい、ぐずぐずするな! お前のような身寄りのない亜人のガキはな、領主様の鉱山で働くのがお国への最大の貢献なんだよ! さっさと歩け!」
「ひっ……! お母ちゃん、お母ちゃん……っ!」
少女が泣き叫びながら地面を這う。周囲にいる町の人々は、その光景を見て見ぬふりをするように、サッと顔を背けて足早に通り過ぎていく。
馬車の中で、私の背筋にスッと冷たいものが走り、そして――フツフツと、マグマのような怒りの炎が沸き上がってきた。
「……バトス」
「おう、お嬢様」
「あの町の衛兵ども、そしてその裏にいる『領主』とやら……真っ黒そうな気配ですわね?」
私はバキバキと指の関節を鳴らしながら、冷ややかに微笑んだ。微笑みとは対照的に私の目は怒りに染まる。
「はい、間違いなく。帳簿を見るまでもなく、あのクズどもの悪臭はここまで漂ってきておりますよ」
ミリエラが静かに扇子を開き、黒い笑みを浮かべた。
「よろしい。我が家を放逐された『死人』の初仕事としては、悪くないエクササイズですわ」
私は馬車の扉を蹴破る勢いで開き、地面に降り立った。
――待ってなさい、領主ども。
この崖っぷち公爵令嬢フィリス・マリエール様の鉄拳と、公爵家の家紋の重みを、その身の毛もよだつ恐怖とともに教えてあげますわよ――っ!!
寂れた国境の町『ロスベルク』。
馬車を安全な宿に預けたあと、私たちは町の中心部にある、いかにも場末といった雰囲気の酒場「酔いどれの息吹」の扉を押し開けた。
店内には、昼間から薄汚れた安酒をあおる荒くれ者や、一癖も二癖もありそうな傭兵崩れどもの姿がちらほらと見える。私たちが足を踏み入れた瞬間、ギョッとしたような、あるいは品定めするような視線が一斉に突き刺さってきた。
「ほう……。なかなかに香ばしい空気が漂っておりますな。王都のサロンとは大違いでございます」
ミリエラ夫人は銀縁の眼鏡を押し上げながら、まるで珍しい虫でも観察するかのように店内を見回している。その傍らで、バトスは不気味な笑みを浮かべ、分厚い腕を組んで周囲を威圧していた。
「お嬢、席はあそこの隅が良さそうだ。あそこに座っている酔っ払いたちは、口が軽そうに見えるぜ」
バトスの指差す方を見ると、泥酔した男たちが何やら声を荒らげて賭け事に興じている。
私たちは誰もいない四人掛けの木製テーブルに腰を下ろし、マスターに最も安そうなエールと干し肉を注文した。
「ふん、冒険者を装うための潜入とはいえ、こんな埃っぽい場所で飲食をしなければならないなんて……。これもすべて、私を死人扱いしたあのクソジジイのせいですわ」
私は文句を呟きながら、自身の左耳を隠す「幻惑のイヤリング」がしっかりと機能しているかをそっと手で確かめた。よし、問題ない。長すぎるエルフ耳は完璧に丸い人間の耳に偽装されている。
「まあまあ、お嬢様。隠れ蓑としての『旅の冒険者パーティー』を演じるのですから、少しはそれらしい顔をなさってくださいまし。――ほら、隣のテーブルの男たちが、ちょうど面白そうな話を始めましたよ」
ミリエラがスッと目を細め、耳を傾ける。私もそちらへ意識を集中させた。
「おい、聞いたか? 最近、北の鉱山送りになる連中が増えてやがるが……あれ、ただの不法労働者じゃねぇらしいぜ」
「しっ、声が大きいぞ! 領主様の裏の仕事に首突っ込む気か? あそこはエルフや獣人の亜人どもを隣国へ密輸する、例の『特大のシジミ(アジト)』だろ……」
「おっと危ねぇ……。だが、あの領主様、最近は王国軍の目を盗んで、人間の子どもまで引っ張ってきやがるって噂だ。何でも、金持ちの貴族に高く売れるとか何とか……」
――ガッ!
隣のテーブルから聞こえてきたその言葉に、私の手の中で木製のジョッキが「ミシミシ」と不穏な音を立ててひしゃげた。
「お、お嬢様……? ジョッキが粉砕されておりますが……?」
バトスが冷や汗を拭いながら小声でツッコミを入れる。
私はふぅ、と息を吐き出し、ひしゃげたジョッキを何食わぬ顔でテーブルに置いた。
「……人間の子どもまで、ですって? 国法で禁じられた奴隷売買だけでも許しがたいというのに、私腹を肥やすために無辜の民まで売り飛ばしているとは……」
私の怒りが頂点に達し、頭上の空気がチリチリと熱を帯びはじめたその時――。
「おや? 見慣れねぇ顔だな、お姉ちゃんたち。この辺じゃあ、あまり見かけねぇ美人だが……もしかして、一攫千金を夢見る新米の冒険者か?」
調子の良さそうな、しかしどこか油断のならないニヤニヤ笑いを浮かべた男が、私たちのテーブルにフラリと近づいてきた。
身なりは汚いが、腰には鋭い短剣を帯びている。どうやら、この酒場を縄張りとするチンピラか、あるいは悪徳領主の手下のスカウトといったところか。
男はジロジロと私を品定めするように見つめ、ニヤリと下劣な笑みを深めた。
「どうだ? アンタみたいな美人が、こんな辺境の街で野垂れ死にするのはもったいねぇ。俺が裏の仕事――それこそ、一晩で大金が稼げる『美味しいお仕事』を紹介してやるよ。なぁ、お嬢ちゃん?」
ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべながら、チンピラの男が私の肩へ馴れ馴れしく手を伸ばしてきたその瞬間――。
「――おや」
涼やかな、しかし氷点下のように冷え切った声が店内に響いた。
「この私を完全に無視して、お嬢様にばかり声をかけるとは……。貴方、よほどご自分の命と、その生い茂った脳ミソの数に未練がないと見えるお方ですこと」
スッと立ち上がったのは、我が同行者――ミリエラ・アルヴァレス男爵夫人であった。
彼女は愛用の銀縁眼鏡のブリッジを優雅に押し上げ、完璧な笑みを浮かべたまま、目の前のチンピラを冷ややかな瞳で見据えた。
「は? なんだよババア、関係ねぇだろ――」
男が吐き捨てたその瞬間。
「……誰がババアですって?」
ミリエラ夫人の足元から、チリチリと空気を焦がすような高密度の魔力が奔流となって吹き上がった。
彼女の美しい黒髪が、突如として発生した魔力の風にふわりと揺らめく。そう、彼女はただの毒舌な知性派官僚の妻などではない。王都の魔術アカデミーを首席で卒業し、かつては要人警護の魔術部隊にすら名を連ねていた、一級の戦闘魔術師なのである。
「ひっ……! な、なんだこの魔力は……っ!?」
チンピラの男が顔面蒼白になり、腰を抜かしたようにその場にへたり込む。
「我が夫であるバトスならいざ知らず、この私の美貌と魔導の才を微塵も映し出さないその濁った瞳――少し、綺麗に洗浄して差し上げますわ」
ミリエラがスッと指先を向けた瞬間、男の足元の床板がバキバキと音を立てて凍りつき、一瞬で彼の足首をガッチリと氷の枷で拘束した。さらに、頭上には目にも留まらぬ速さで小さな真空の刃がピタリと数個、浮かび上がる。
「み、ミリエラ、お手柔らかにな……。跡形もなく消し飛ばしちまうと、後で情報が聞き出せなくなるぞ?」
隣で腕を組んだバトスが、どこか呆れたような、しかし慣れ親しんだ顔で声をかける。
「ふん、わかっておりますよ。耳を少しそぎ落とす程度にしておきますわ」
「ひ、ひぃぃぃっ!! 怪物だ――っ!!」
店内にいた他のチンピラや悪党どもも、ただの旅の一行だと思っていた私たちがとんでもない化け物の集まりだと気づき、一斉に青ざめて逃げ出そうとした。
しかし、私もじっとしていては「公爵令嬢」のプライドが許さない。
「おや、もうお帰りですか? せっかくの温かいお誘いですもの、もう少し私たちと『有意義なお話し合い』をしてからにしていただきますわ」
私はテーブルを軽々と片手で持ち上げると、逃げ出そうとした別の男の進路へそれを豪快に投げ捨てた。
ゴンッ! という凄まじい破壊音とともに木片が飛び散り、男たちは恐怖に引きつった顔でその場にひれ伏す。
「さあ、バトス、ミリエラ。静かな個室にでも移動して、この街の『美味しいお仕事(奴隷売買)』について、詳しくお聞きするといたしましょうか」
私はパレスとスカートの裾を整え、冷ややかに微笑みながら、震えるチンピラの襟首をグッと掴み上げたのだった。




