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数日後、学校に登校してきた鈴音は、いつもと変わらぬ何気ない日常を過ごすはずだったのだが――。
「あッ、星さんッ! おはようございますッ」
教室の入り口をくぐった途端、ケータに爽やかな笑顔で挨拶をされるが、普段と違う彼の態度に嫌悪感を抱く。
「…おはよう」
鈴音のそばで志保はポカンとした表情で立ち尽くしており、おそらく付き合いの長い彼女も初見だったのだろう。
「ご機嫌斜めのようですが、何かありました?」
「別に…」
違和感しかない相手に短い返事をし、そそくさと自身の席へと退散して行く。
珍しい光景に、周囲は不穏な空気と化したのだった。
「どうしたケータ!? 最近のお前おかしいぞッ!?」
鉉が唖然とし、席に座るケータに声をかけた。
「ん? 何が? ただ挨拶をしただけだよ?」
「いや、いつもだったら気怠げというか、やる気がないというか、ぐったりと机に突っ伏してるじゃねェかッ」
「それ、オレ死んでない?」
毎朝、周りからどういう風に見られているのか自覚したケータだった。
「要は、星さんと何かあったのかって話だよ」
「そうッ! それッ!!」
あまりにも不自然な彼の振る舞いに、鉉と未来は問い詰める。
「いやいや、何もありませんけど?
ほら、同じ部活だし、オレなりに仲良くなる努力をしてるだけですよォ」
ケータが微笑みながらはぐらかしている様を、鈴音は頬杖をついて横目で眺めていた。
あの日、校門を出たアタシは、坂の下から甲高いブレーキ音が耳に入り、何事かと見下ろした。
すると、ケータが自転車で女の子を引く瞬間を目の当たりにしてしまったのだ。
あの時のアタシは、ショックの連続で脳疲労が激しかったため、思考を停止している間に犯人の逃走を許してしまったのである。
しばらくして追跡を試みるが、彼の姿はなく、捜査は断念かと思われた。
その時、ふとコンビニの窓に犯人の存在を視認し、すぐさま駆け込んで犯人に詰め寄った。
犯人こと高校生Kは――。
――えっと、急いでいてスピードを上げてたら、目の前に集団下校の列が見えて、急ブレーキをしたんですが、その、ブレーキが利かなくなってしまって…。
――それで、轢いたと?
――いやッ、あのッ、轢いたっていうか、避けきれなかったっていうか…。
――轢いたよね?
あッ、ハイ、すいません…。
――と、テレビの警察特番張りのドキュメンタリーがあったのだ。
あの後、高校生Kは深く反省し、この件に関して他言無用ということで、事を荒立てることなく終息したのだが、翌日から一変、アタシに会った途端、態度を改めて積極的に接してくるようになったのだ。
結果的に弱みを握った形となってしまったため、アタシの機嫌を損ねないよう行動しているつもりになるんだろうが、アタシだけじゃなく、周りも不審に感じて仕方がない。
姿勢は間違ってないけど、行動が裏目に出てるし、あそこまで露骨にグイグイ来られると、アタシも更に近寄り難くなってしまう。
何より気味が悪い。
そして、チラッと窓際を見ると、隣の席のナベショーと目が合った。
「おッ、おはよう、星さん」
「…うん、おはよう」
ぎこちない愛想笑いをする彼に、若干気まずさを感じる。
ナベショーとは、あの件以降、この調子で続いている。
彼だけではなく、未来や志保にも謝罪をしたが、皆大丈夫だ、気にすることはないと、むしろアタシの方が大事がないかと心配されてしまった。
3人とも危ない目にあったにも関わらず、アタシに気を使う器量に感謝と罪悪感で複雑な気持ちとなってしまう。
そして言葉と裏腹に、ナベショーはアタシに必要以上に話しかけなくなった。
いつも気楽で場を和ませる彼がここまで大人しくなってしまったのは、間違いなくアタシのせい。
アタシが原因でトラウマになり、ナベショーの脳天気さが失われてしまったのは、心が苦しいし何より寂しい。
人に頼るなんてらしくないことをしたから、皆との関係が崩れていっている気がする。
アタシ、台風の目みたい。
自身で心を抉り、自己嫌悪に浸る鈴音であった。
――休み時間に入り、鈴音が廊下に出ると、ケータが声をかけてきた。
「あッ、星さん! ちょうど良かった。
さっき自販機で買い間違えてしまいまして、良かったら――」
「いらない」
ミルクティーを差し出されたが、速攻で断り、そのまま立ち去った。
アイツ、アタシの気も知らないでヘラヘラと…。
空気が読めないケータであった。
その後も体育の時間でジャージに着替えると――。
「あッ、星さん、ちょっと見ないうちに痩せたんじゃないですか!?」
ピキッ。
ケータが無邪気に両手で顎のラインをアピールしてみせる。
「出たよ…」
鈴音は、ため息まじりの呆れた口調で俯くが、キッと鋭い視線をケータに向ける。
「アタシ、そういうの一番嫌いなんだからァッ!!」
火に油だった―――ッ!!
普段、冷静な彼女に珍しく声を張り上げさせてしまった。
『私、今までそんなこと言われたことないんだけど!?』
まさかの飛び火――ッ!?
彼女のそばにいた志保も高速でスマホを打ち、感情のこもった文章を見せつけた。
「――あの、星さん」
放課後、ケータが沈痛な面持ちでスズメの席に訪れた。
「…何?」
荷物をまとめながら懲りずに来た相手に対し、眉間にシワを寄せる。
「誠に申し訳ないのですが、この後、お時間よろしいでしょうか?」
かなり下手に接してくるケータに、ますます苛立ちを隠せなくなっていく。
「なんで?」
「ここでは、ちょっと…」
萎縮しつつも、めげずに耐えるケータに、鈴音は以前、魁祥に言われたことをふと思い出した。
“あいつは人を頼るということが苦手なんだ。
もし、あいつが困ってることがあれば、話を聞くぐらいはしてくれないか?”
もしかして、こいつ、今まで煽ってきた理由ってこのためだったんじゃ――。
意味に気付いた鈴音は、しばらく思考を巡らせる。
「…余程のことなの?」
「まあ、その…、星さんにしか頼めないというか…」
浮かない表情の彼に、とうとう心が折れ、肩の力が抜けた。
「…手短にね」
そう告げた途端、ケータの顔は晴れ、胸を撫で下ろした。
「何? 遅れんの?」
ナベショーは、窓際でカバンを背負い、2人の会話に耳を傾けていた。
「ごめん、直樹にも言っといて」
「どうもすみませんね」
2人は軽く謝罪を済ませ、カバンを持って席を立つと、近寄ってきた志保にも一言伝える。
「志保、ごめん。
野暮用ができたから先行ってて」
志保は小さく頷き、2人が教室を出るのを見送ったのだった。
「――やっぱ、アイツおかしくね?」
放課後、特設帰宅部に集まったナベショー、未来、直樹、志保は、ここ数日のケータの行動に違和感を察していた。
ホワイトボードには、“最近のケータなんかおかしくね? 調子狂うんですけどー会議”と記されており、このネーミングセンスのない議題を基に話し合っていた。
「バイトに専念してるのかと思いきや、サッカー部に行ってたり――、特に星さんに対しておかしくね!?
なんか、やけに積極的というか…」
「ああ、バイトや部活はともかく、確かにね。
星さんに関しては、以前より距離感バグってるっていうか…」
どういう心境の変化か、周囲は憶測を展開していく。
『いじめられてたところを鈴ちゃんに助けてもらったとか?』
「それで恩を感じていると?」
「う~わ、アイツならありえそうだけど~、ありえなさそう」
ケータならと可能性を導き出すが、しっくり当てはまらない。
「つかアイツ、イジられ過ぎててどれがいじめかわかんないな」
「ない?」
私の知らないところで何やってるの?
2人は顔を見合わせ、心当たりがありすぎるのか、見当もつかないようだった。
そんな中、直樹は、スマホで小説を読んでおり、以前ケータとのやり取りを想起していた。
――それは、一週間前に遡る。
害虫駆除で2人1組となり、直樹とケータでペアを組んだ時のことである。
「――しばらく休みたい?」
「うん」
夜、2人はガードレールに寄りかかり、その前を大勢の客が飲み屋街を飲み歩いていた。
そんな光景を眺めているケータの隣で、直樹はスマホをいじり、小説アプリを開いては、長い文章に目を通していた。
「…わかった」
「ごめんね、なんか…」
唐突に告げられた活動休止に、しばらく沈黙が流れ、直樹は短く受け入れる。
「ケータ君」
「ん?」
「ケータ君が今、何を悩んでいるのかオレは訊かない。
でも、1人で抱え込みすぎるのは程々にしなよ」
その言葉にハッとしたケータは、直樹の方へとゆっくり向く。
「ケータ君の周りには、話を聞いてくれる人はいるんだから、その人達の意見も参考になると思うよ」
やがて、直樹はスマホの電源を切り、一息吐いては遠くを見つめる。
「人間が持つ悩みや不安は、深く言えば恐怖に当てはまるんだ。
その恐怖をどういう方法で消すかは、ケータ君がこれから探すしかないんだよ」
直樹に諭され、ケータも同様に人の波を見渡す。
「…見つけられると思う?」
「それは、ケータ君次第だよ」
「はッ、難しいことさらっと言うなァ。
…ありがとね」
ケータは鼻で笑い、幾分か気分が晴れたのか、直樹に礼を言ったのだった。
――鈴音は、ケータの後をついて行き、階段を降りると、1階の教室から出てきた1年生とすれ違う。
やがて、渡り廊下まで連れてこられ、やっと彼が鈴音と向き合った。
どうやら、ここが終着点らしい。
「…それで、頼みって何?」
鈴音は眉間にシワを寄せ、腕を組みながらケータに問う。
「えっと、ですね…、その…」
ここまで来て煮え切らない態度に、だんだん苛立ちを覚える。
「何なの? アタシ暇じゃないんだけど。
そんなに言いにくいこと?」
「その…、かなりデリケートな話なんで、言葉を選んでると言いますか…」
ケータの返事に、つい呆れてしまう。
「そんな気にすることないでしょ。
一応、部活一緒だし、アタシじゃなきゃダメなんでしょ?」
「それは、はい。
星さんにしか頼める相手がいないんで」
「じゃあ、そろそろ要件言ってくんない?」
痺れを切らす鈴音に、ケータは覚悟を決めた。
「星さんッ、お願いしますッ――」
鈴音に勢いよく頭を下げる。
「お金渡すんで、女子の下着を買ってきてくださいッ!!」
…。
ケータからの衝撃発言に空気が止まった。
恐る恐る顔を上げると、彼女は、軽蔑、驚愕、嫌悪などの複雑な感情が混濁した表情を浮かべていたのだった。
魁祥さん――、アタシ――。
なおちゃん――、オレ――。
ダメかもしんない――――。




