5-3 水底からの帰還
黒瀬がハンマーでコアをたたいた瞬間、一帯には大きな水の渦が生まれ、小舟ごと巻き込まれた。
覚えている最後に見えたのは、水だけだった。
「三浦さん! 三浦さん! しっかりしてください!」
「だ、ごほっ」
「しゃべらないで、そのまま、水を吐き出してください」
苦しい。酸素が欲しい。それしか考えられない。呼吸をするたびに、胸の中が痛い。けれど呼吸しなければ、おぼれる。
しばらく咳が止まらなかったが、少し落ち着いて顔を上げると、心配そうにのぞき込む高原がいた。
「たかは、ら、さん」
「しゃべらないでください。よかったです。無事で、本当によかったです」
目に涙をためた高原が、無事を喜んでくれる。待機していたところから、駆けつけてくれたのだろう。
それで、自分がダンジョンから生還したのだと、やっと実感が持てた。
生きている。
だれかが背中をさすってくれているので振り返ると、救急隊員だ。
口にマスクを当てられたので吸うと、酸素がたくさん入ってきた。はあ、生き返る。
周りを見ると、増水した川のすぐそばの道路に寝かされていた。
雨と風が、台風の接近を知らせている。
少し向こうに、黒瀬と相良が毛布にくるまれて座っているのが見える。田嶋はどこだ?
救急隊員に身体を支えられて、なんとか起き上がった。
「パパ! パパ起きて! 娘ちゃんが待ってるんでしょ! 起きて!」
まさか、田嶋が……?
地面に大の字になった田嶋の横で、白石が必死に呼びかけている。
相良が這いながら近づいて、白石の肩に手を置いた。
「ミッチー、パパは休んどるだけじゃけえ、起こさんといてあげて」
「え?」
「三浦ちゃんを抱えて泳いだけえ疲れたんじゃ。ほら、ちゃんと息しょうる」
「ほんとだ。よかったー」
そそっかしい白石に対して、いつものように相良が突っ込んでいた。
なんだか笑いがこみあげてくる。
思わず笑うと、喉の奥が焼けるように痛んだ。
田嶋が助けてくれたのだ。どういうことかと高原を見ると、説明してくれた。
「ダンジョンが崩壊したら、水と一緒に吐き出されるんじゃないかってことで、旭川、百間川、両方の少し下流で消防の方たちが待機してくれていたんですよ」
「……そう、だったんだ」
言葉が遅れて落ちる。
自分たちは、偶然助かったわけではない。
最初から助かる前提で、助ける前提で、待っていてくれたのだ。
「ここは百間川の二の荒手です。こっちでよかったです。旭川だと、ほら、いろいろあるから」
「水辺の、ももくん」
「ですです」
荒手から下流には複数の橋があり、また岡山城近くの河川敷には少年の像がある。確かにあちらに流されたら、橋脚などにぶつかっていたかもしれない。
水面に張られたロープに引っかかっていたのを、田嶋が消防隊と協力して助けてくれたそうだ。あの渦に巻き込まれて、それでも他人を助ける余裕があったということに、体力の違いを見せつけられた。
高原との会話が一段落したところで、指先につけられた機械を確認して、救急隊員が一つうなずいた。
「お名前は言えますか?」
「三浦直樹、です」
「痛いところはありますか?」
「肺?」
「酸素飽和度はほぼ正常値に戻りましたが、水を飲んでいる可能性がありますので、これから病院に行きましょう」
横付けされたストレッチャーに乗せられた。あれよあれよという間に救急車へと運ばれていく。
黒瀬たちを見ると、自分で歩いて救急車に向かっている。田嶋も立ち上がったので、問題なさそうだ。
こちらに向かって、ぐっと親指を立ててくれた。
「あ、高原さん、洪水は?」
「いまのところ越水は起きていません。内水氾濫はちょっと起きちゃってるみたいですが。ほとんどが百間川に流れたみたいです」
「ダムは?」
「このあと放流予定です」
「一の荒手は?」
「見た感じでは無事です!」
矢継ぎ早に確認するが、ポンポンと必要な答えが返ってくる。
そのとき、高原の持つ無線から声が聞こえた。
『百間川水門、水が到達しました。順調に児島湾へ排水中』
『本部です。旭川、百間川で氾濫危険水位を超えているところはなし』
『上流ダムです。下流の流量が落ち着き次第、放流を開始予定です』
「待機班です。ダンジョン班、四人とも無事です!」
必要なことだけが事務的に報告されるが、それでも声に明るさが隠せない。
隣では、三浦達の無事を報告した高原がガッツポーズしている。
「よかった……」
これは合格点なのではないだろうか。考えられる限りで最良の結果になった気がする。
安堵で大きなため息が出た。せっかく吸った酸素が出ていくな、と関係ないことが気になった。
救急車に乗り込むとき、消防隊員たちがこちらに向かって拍手をしてくれていることに気づいた。熱いものが、胸の奥からこみあげてくる。
みんな、それぞれの場所で、この地を守るために最善を尽くしている。
台風の風と雨の中、ぐっと親指を立てて、返事をした。




