5-2 最後の攻略
ダンジョンの中は、静かだった。外の台風とは関係なく、晴れている。
操山から見る児島湾は、静かに水をたたえている。
しばらく待っていると、陸地が広がり、児島湾が遠くへと追いやられた。ここのところの見慣れた光景だ。
江戸時代の干拓で、陸地が広がった、江戸層の出現だ。
しばらくは、水と地面が移ろっていたが、やっと安定した。
「行きましょうか」
「ああ。これで、最後にしよう」
その静かな言葉に、黒瀬の決意が宿っている。相良と田嶋もうなずいた。
干拓地は、外の雨のせいで、洪水があちこちで多発している。けれど、干潮に向かう時刻で、児島湾からの逆流は控えめなので、なんとかなる。
この程度の洪水は、ここのところの予行演習で何度も通ってきた。
『本部より、干潮まであと一時間です』
『ダム、そろそろ限界が近づいています』
「ダンジョン班、あとちょっとです!」
見えているのに、洪水を避けるためにまっすぐ進めないのがもどかしい。それでも、田んぼのあいだの道を、ときには後退しながらも、なんとか児島湾へ向かっていく。
「その先を左」
「あぶない!」
相良の叫び声に振り返ると、右手を流れる用水路の後ろから、一気にあふれた水が足元に流れ込んでいた。
よけなければ、そう思うがとっさに足が動かない。
そのとき、ぐっと左肩のあたりをつかんで引かれた勢いで、三浦は転んでしまった。
「三浦!」
「……大丈夫です」
転んだ三浦のすぐ前を、水は田んぼへと流れ込んでいる。
「田嶋さん、ありがとうございます」
「怪我は?」
「ありません」
背中側に倒れ込んだが、リュックがクッションになったので、怪我はない。間一髪だった。
立ち上がって、足踏みをしたり、手を回したりしてみたが、特に痛いところはない。
流れた水の向こう側から、心配そうにこちらを見る黒瀬と相良に、頭の上で大きく丸を作る。
「進めるか?」
「大丈夫です」
あふれた水はすでに落ち着いていて、水たまりは飛び越えられるくらいの大きさだ。
水の境界を踏まないように越えて、黒瀬の元へと合流する。
「ヒヤッとしたぞ」
「油断しました。すみません」
「あとちょっとだ。気を引き締めていこう」
「はい」
もう何度も進んだ道だと、油断があったのだろう。ここは危険のないダンジョンではないのだから、慎重に。自分に言い聞かせながら、進んだ。
そしてついに、児島湾にたどり着いた。
干潮間近、水の上に、灯篭の上半分が現れている。
予行演習のとおりに、渡し舟に乗って灯篭に近づき、宝珠を載せる。
すると、児島湾に橋が架かった。何度見ても、何もないところに巨大な橋が出現する、この光景には慣れない。
橋へと足を踏み入れれば、あとはコアへと向かうだけだ。ここから先は、水の境界におびえる必要もない。
ふと振り返ると、児島湾大橋から見る干拓地は、水をたたえた田んぼに夕日が当たり、きらきらと輝いている。
外の台風、そして洪水の危機とは無縁の、のどかな風景だ。
もしかしてこのダンジョンは、この光景を現代の人に見せたかったのだろうか。水とともに歩んできた、この地の記憶を。
「三浦?」
「きれいですね」
「……ああ、そうだな」
立ち止まった三浦に気づいた黒瀬が、いぶかしげな顔で呼びかけてくるが、干拓地の夕日から、目が離せない。
「行くぞ」
「はい。急ぎましょう」
黒瀬の言葉に、いまが攻略中なのだと思い出す。
きっとダンジョンを思い出すとき、この景色のことを一番に思い出すのだろう。
目に焼き付けようともういちど見渡してから目を閉じて、気持ちを切り替えた。
児島湾大橋を渡り終わり、灯篭から宝珠を外すと、橋がふわっと霧散した。
もう、この橋を渡って帰ることはないのかもしれない。
そんな考えが浮かんだが、一度目を閉じてから、コアがあるだろうところに目をやる。
大丈夫。時間は十分ある。
「行きましょう」
「ああ」
海岸線を進み、浜辺へと降りる。
予行演習で何度も通った道だ。
干潮間近の浜では、寄せては返す波の音しか聞こえない。
「ダンジョンが崩壊したら、どうなるんでしょう」
「さあな」
「どちらにしろ、水ですよね」
「だな」
「外に出られると思います?」
「運が良ければな」
黒瀬が短く答えた。
みんな分かっているのだ。もしかしたら、このダンジョンの水とともに沈むかもしれないと。
それでも、守りたいものがある。
潮が引き、台座の一番上の部分が、水面に現れた。
「そろそろ行きましょうか」
「三浦、お前」
「一緒に行きますよ。現場責任者ですから」
黒瀬に笑いかけると、苦笑を返された。
「お二人は高台にいてください」
「ここにいる」
相良は短く答えた。
田嶋は無言でうなずくと、バッグから何かを出して、渡してきた。
「……ライフジャケット?」
「ないよりはましです」
「お前、何でも出てくるな、そのリュック」
相良と黒瀬にも手渡している。全員分を用意してくれていたのか。
きっと大丈夫だ。無事に帰ることができる。
黒瀬と二人舟に乗り込むと、田嶋が浜辺からぐっと沖に押し出した。
漕いでもいないのに、流れにとらわれることなく舟は岩のもとへと向かう。
岩の上の台座に宝珠を置くと、岩の一部がふわっと消えて、コアが現れた。
海水の下、もう見慣れたコアは、今日も青色に光っている。いまから破壊されることも知らず、まるで水の中で踊っているように揺れて見える。
「ダンジョン班です。これからコアを破壊します」
『本部了解』
『待機班、了解。……どうぞ、ご無事で』
高原の祈るような声が、無線から届く。胸がいっぱいになって、何か返さなければと思うが言葉が出てこない。
けれどその静寂は、にぎやかな声によって壊された。
『白石です! 大丈夫ですよ! この地はずっと水とともに生きてきたんです! 水は敵じゃないです!』
彼女らしい励ましだ。高原の手から無線をひったくって話している様子が目に浮かぶ。となりの黒瀬も、くつくつと笑っている。
相手はダンジョンであって、水じゃない。そしてダンジョンも、敵ではない。ただ、ここにあると困るのだ。
そのとき、各地の担当からの声が届いた。
『旭川上流ダム、もう少し持ちこたえられます。こちらは任せてください!』
『百間川水門、現在児島湾干潮、準備万端!』
みんなの思いは、ただ一つ。
「私たちの手で、岡山を守りましょう」
コアを包む岩が、水の上に完全に姿を現した。青いコアに目をやる。
ともに小舟に乗る黒瀬、対岸の相良、田嶋の顔を順番に見てから、大きく深呼吸をした。
「行きます!」
黒瀬に向かって、うなずいた。




