4-3 異例の事前避難による混乱 (市役所職員・高原)
「この程度の雨で、なんで避難なんだよ」
「荒手で工事が行われていて危険ですので、お願いします」
ダンジョン崩壊に備えた事前避難に、市民からは疑問と非難の声が上がっている。
雨が降っているので、まだ半信半疑で従ってくれているが、これで快晴だったら、誰も避難しなかったかもしれない。
事前に避難を呼びかけたため、市役所には問い合わせの電話が鳴りっぱなしだった。
なぜいまなのかとか、避難が不要になるような工事をしろとか、いろいろと言われたが、参考にしますと答えるしかない。
電話の対応に追われ、本来の業務は後回しになって、部署の同僚たちは寝る時間もない。
けれど、実際に現場で走り回っている三浦や黒瀬のことを思えば、これくらいは耐えられる。そう思って、鳴りやまない電話の相手をしていた。
そして、攻略が行われる今夜。
各避難所を回って、市民の避難状況を確認している。やはり、避難状況はよくない。避難を呼びかけても応じない人たち、とりあえず避難してみたが、避難所の人の少なさに帰ろうとする人。
ダンジョン崩壊に伴う洪水発生の恐れあり、と公表すれば、避難は進むだろうが、できない以上、ある程度予想はしていた。
いまは三浦のシミュレーションで一番被害が出ると予想された地域の避難所で、万が一に備えて待機している。
「高原さん、これ、本当に必要なんですか?」
「はい。洪水が起きてからでは遅いので。誘導をよろしくお願いします」
「これくらいなら帰ろうって言っている人が多くて」
「なんとか引き留めてください」
応援の職員もこの避難が本当に必要なのか、懐疑的だ。一部の職員以外にはダンジョンの存在を知らせていないから、そう思うのも当然だろう。
危険が差し迫っているのだと、知らせることができないもどかしさに、思わずため息が出てしまった。
日が変わるころ、無線から三浦の声が聞こえた。
『こちらダンジョン班。現代層に変わりました。攻略開始します』
どうか、誰も怪我なく、無事に攻略が成功しますように。そして、ダンジョン破壊に伴う洪水が起きませんように。
誰にともなく祈る。準備も不十分なまま、強行される攻略だ。
それでも、命令が下った以上やるしかない。
黒瀬はどこか達観していた。やるしかないが成功率は高くないと述べていたが、そこには悲観もなく、ただ事実を淡々と並べているだけだった。
三浦のほうが、現場の意見を無視して決行日を決められたことに対して、憤っていたくらいだ。
大手探索会社の探索者ともなれば、異常空間対策庁の無茶ぶりには慣れているのかもしれない。
ただ祈ることしかできず、新たな情報がないかと無線を聞いていると、異常事態発生を告げる、三浦の悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。
『ヌートリア大量発生につき、時間通りに児島湾に到着できるか不明!』
『どういうことだ? モンスターじゃないんじゃなかったのか? ダンジョン班応答せよ!』
まさか、モンスターがいたなんて。あれだけ黒瀬たちが調査して見つからなかったのに、なぜ今日に限っているのか。
だが理由よりも何よりも、三浦の安全が気になる。モンスターがいるなら、探索者ではない三浦の身が危ない。
本部が状況確認のために質問しているが、ダンジョン班からの応答はない。
やられてしまったのか、と嫌な空気が流れ始めたが、連絡がなければ状況も分からない。
無線からは応答のないまま、じりじりと時間だけが過ぎていく。
『こちらダンジョン班、これから児島湾大橋を渡ります』
三浦から次の連絡が入ったときは、安堵から大きなため息をついてしまった。
それを聞きつけた応援の職員が、寄ってきた。
「高原さん、大丈夫ですか? 少し休んでは?」
「大丈夫です。あと1時間ほどで日の出です。そこまでは頑張ります」
「眠いですよね……」
ヌートリアがいると知ってから、眠気はどこかへ吹き飛んだ。
それに何より、後方支援としては、三浦たちがコアを破壊してからが勝負だ。
『こちらダンジョン班、コアの沖合で待機中』
ついにそのときがやってきた。
破壊の後に何が起きるのか、誰にも分からない。
それでも、最前線で戦う彼らの頑張りを無駄にしないためにも、洪水に伴う被害は絶対に抑えなければならない。
ここが、私の戦場なのだ。
「高原さん?」
「もうすぐです」
「え? ほんとに洪水起きるんですか?」
「起きないことを祈っています」
起きないでほしい。三浦は最悪の場合を想定してシミュレーションしたと言っていたから、起きないと信じたい。
もうすぐ干潮時刻。
何度も時計を見るが、まるで時間の進みが遅くなったように感じる。
干潮時刻の4:46を過ぎたが、三浦からの連絡はない。
応援の職員の視線を感じるが、努めて無視している。
『本部より報告。干潮時刻を過ぎたが、現在一の荒手付近の水量に変化なし』
日の出時刻の4:58を過ぎた。
攻略はどうなったのか。
無線機が沈黙したまま、時間だけが流れる。
『こちらダンジョン班。攻略失敗。攻略失敗です』
三浦の声が、攻略失敗と二度繰り返した。
「えっ……じゃあ避難指示……無駄だった?」
「……どういうことですか?」
思わず出た言葉に、応援の職員から質問が来るが、答えられるわけがない。
そういえば、攻略が失敗した場合に市民にどう説明するのか、聞いていなかった。そんな準備の時間などなかった。
建物の外へ出ると、雨は上がっていた。厚い雲に覆われているものの、東の空が薄明るい。
追いかけてきた応援の職員が、もの言いたげにこちらを見ている。
「雨が上がったので、洪水は発生しませんでした」
「そう言うしかないってことですか……」
「よろしくお願いします」
朝になって、避難している住民たちが起きてくれば、本当に避難が必要だったのかと、きっと責められるだろう。
市民との最前線に立たされているのは市役所の職員だ。
「……今回のことって、だれの判断なんですか?」
「河川安全事務所ですね……」
「はあ。矢面に立たされるのはこっちなんだよ」
頭を下げることしかできない。
きっとこのあと、上司や市長への説明も待っている。ただでさえ寝不足なのに、いっそこのまま倒れてしまいたい。
応援の職員が建物内に入っていくのを見送ると、肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息がでた。急に眠気が襲ってくる。
誰もがこの結果に言葉がないのか、無線は沈黙している。
「私、クビかな……」
市役所側で誰か責任を取らされるとすれば、それはきっと現場責任者である私だ。
勝手に責任者にされて、挙句クビにされるのは、我慢がならない。けれど、それに憤る元気もない。人目がなければ、いますぐ建物の中に入って、床に大の字になりたいくらいだ。
『本部です。帰還してください』
『古代児島に取り残されましたので、夜まで戻る道がありません』
そうだ。ダンジョン内の地形は、日の出で古代に戻ってしまったのだ。三浦たちは、古代児島から脱出できない。ましてや、モンスターがいることが分かったいま、ダンジョン内は安全ではない。
現場で命をかけているのは、三浦たちだ。市民や職員に頭を下げるくらい、なんだというのだ。
これから起きてくる住民たちへの説明を、避難所のスタッフたちと話し合おう。
パチンと両手で頬をたたいて、眠気を追い払った。




