1-2 旭川ダンジョン
河川安全事務所に戻って、まずは現場の目隠しを手配した。これができないことには何も始まらない。
「やはり、下流の旭川の水量が足りないですね」
「でも、百間川に越流してないですよね」
「ダンジョンに水が落ちていってたので……」
「動画見ましたよ。あれは、衝撃でした。百間川に流れる分を、ダンジョンが飲み込んでいるんですかね」
水位変化を見ながら、監視員と話している。
「でもこれなら、旭川の水量が増えても、ひとまず市街地の洪水はまぬがれそうですね」
「そうだといいんですが」
百間川は、旭川が増水した場合に水を引き受け、城下を洪水から守るため江戸時代に作られた、人工放水路。
ダンジョンができた一の荒手は、低い堤防で、旭川が増水すればそこを越えて百間川へ水が流れ込む。
いまは、ダンジョンが百間川の代わりをしているように見える。
だが、ダンジョンというものが未知すぎて、判断できない。そんなに都合よくいくのだろうか。
そこに、上司が現れた。
「三浦さん、目隠し工事への予算がなんとか取れたから、発注して」
「はい」
「業者との機密保持契約、忘れないで」
よく見なければ分からないので、立ち入り禁止にして、ダンジョン発生は当面は隠す方針だ。
場所が悪すぎる。ダンジョンの件が広く知られれば、市民が洪水を恐れてパニックになる可能性がある。しかも、季節はこれから梅雨など雨の多い時期に向かっていく。
岡山は、百間川があるから洪水しない。そう思って安心している市民は多い。治水の要だ。
「異常空間対策庁は、なんと?」
「初期調査はこちらに任せるそうだよ。川だからねえ」
「予算は?」
「フロニクス社への支払いはしてくれるって」
それを聞いて、深いため息が出た。
本来なら、ダンジョンは河川安全事務所の担当ではないのだが、今回は川の中、しかも治水が絡んでいるために、こちらの担当になってしまった。
旭川と百間川に問題がなく、稼げるダンジョンと分かれば、異常空間対策庁が存在を公表して探索者を呼び込むことになるだろう。
モニターには、旭川水系のリアルタイム情報が表示されている。上司は、そこに一度目をやってから、部屋を出ていった。
目隠しの設置は、速やかに行われた。
そして、複数のカメラが、ダンジョン入り口を監視するように取り付けられた。その映像はリアルタイムで映されている。
「本当に吸い込まれていますね」
「不気味ですね。水はどこに行ったのでしょうか」
「三浦さん、調査頑張ってね」
相変わらず上司の言葉が軽い。
「これって、旭川ダンジョン、百間川ダンジョン、どっちだろう?」
「百間川の代わりだから、百間川ダンジョンじゃないですか?」
「でも場所は、旭川だよね」
上司が監視担当とどうでもいい議論をしている。
「危険手当、申請しますから」
「んー、通るかな?」
「通してください!」
ダンジョンに、戦闘能力もない一般人を送り込むんだから、それくらいは通してほしい。怪我をしたら、労災は下りるよね?
初めてダンジョンに入る日。
緊張しすぎて、朝食が喉を通らなかった。入りたくない。でも、命令だから行かざるを得ない。
現場に着くと、市職員の高原が青い顔で、ブツブツとつぶやいていた。
「高原さん、大丈夫ですか?」
「三浦さん、大丈夫じゃないですー。私、ただの市の職員ですよ。なんでダンジョンに行かなきゃいけないんですか!」
「あー、うん。それは私も一緒で」
「昨日も眠れませんでした。もうやだ。ダンジョンなんて、遺書を書いてくるべきでした……」
高原がパニックになっている。それを見て、少し落ち着いた。
そこに、探索者チームが到着した。
「はい、ゆっくり深呼吸しましょう」
「すーはー」
「そうです、上手ですよ」
田嶋が高原の背中をさすりながら、落ち着かせている。
「落ち着きましたか?」
「はい! 私が書くのは、遺書じゃなくて、辞表だと分かりました。帰ったら書きます!」
まだ落ち着いてないな。それでも、パニック状態は乗り越えたようだ。
探索者チームも到着したので、さっそくダンジョンへ向かおう。
「ここからは、俺たちに従ってくれ。あんたたちのことは、田嶋が守る。二人の護衛だ」
「よろしくお願いします」
「装備は、大丈夫そうだな」
黒瀬が上から下まで見て、うなずいた。
今日は、長靴と作業着の上にレインコートだ。他にダンジョンに入れそうな服がなかったのだ。高原も同じような格好だ。
入り口まで近づくと、黒瀬は中をのぞき込んだ。相良はいろいろな角度から写真を撮っている。
周りを囲う目隠しの内側に、カメラを発見した。きっと事務所でいま同僚たちがこの映像を見ているだろう。
「ここは、常時監視しています。もし必要なら、情報をお渡しすることもできます」
「いまのところ必要ないが……。もし何か異常があったら、知らせてほしい」
「手配します」
フロニクスと国のあいだには、緊急時の協定が結ばれている。その範囲で映像の提供は可能だ。
「ダンジョンの中には、水が流れ込んでいないようだ」
「え?」
「奥に、少しだけ地面が見えている。あそこ」
「ほんとだ。水がないですね」
「接続部だ。だいたいは、ああいうトンネルみたいなところを抜けて、ダンジョンに入る」
ただ暗い空間にしか見えないが、さすが探索者、薄暗い中まで観察している。
探索者チームは、それぞれ役割分担がはっきりしている。
会話をするのは、リーダーの黒瀬。相良は情報収集。田嶋は護衛。さすが国からの依頼を受ける大手だ。
「黒瀬さん、誰も入ったことのないダンジョンって、経験ありますか?」
「誰も入っていないということは、危険度が最高レベルということです。中に何がいるかも、生きて帰れるかも分からない。俺たちはその覚悟でここに来ています」
黒瀬の視線が、レインコートと長靴に向けられる。
「中に入ったら、絶対に俺の指示に従ってもらいます。いいですね」
その圧倒的なプロの威圧感に、生唾を飲み込んでうなずくしかなかった。
「行きます」
「頼む」
短いやり取りののち、まず相良が一人で中に入った。水の流れに乗るように、入り口を滑り降りる。
誰も話さない。ただ、水の流れる音だけがする。
しばらくして、入り口の奥に相良の顔が見えた。
『地面に水はない。付近にモンスターはいない。暗いのはここだけで、抜ければ森の中だ』
「一般人の同行は?」
『このあたりのみなら可能』
聞こえるのは、黒瀬の持つ無線からの声だ。なんとなく肉声も聞こえるが、水音にかき消されて、はっきりは聞き取れない。
「田嶋、ここにいてくれ。何かあったら二人を連れて撤退」
「了解」
「もう少し入り口付近を調べてきます」
それだけ言うと、黒瀬もダンジョンへと入っていった。
「すごいですねえ」
無駄のないやり取りと、動きに、高原が思わずと言った感じでこぼした。
探索者という仕事はダンジョンが現れてから出来たので、身近にはいない。筋肉で鍛えられた体に、さまざまな装備をまとっている姿は、戦うためのものだ。
待っているあいだ、やることがないため手持ち無沙汰だった。と思っていたら、高原が田嶋に話しかけた。
「田嶋さんは、なんで探索者になったんですか?」
「高原さん」
こんなときに、しかも立ち入ったことをと思って高原を止めようとしたが、逆に田嶋に止められた。
「私は、元々消防士です」
「うわあ、すごいですね」
「救護のプロとは、心強いです」
田嶋はこちらを安心させるような笑顔を見せた。口数は少ないが、どっしりと構えているところが、とても頼りになる。
そこに、田嶋の持つ無線機から声が響いた。
『田嶋、聞こえるか?』
「はい」
『問題ない。二人を順番に降ろしてくれ。下で受け止める』
「了解」
いよいよ、ダンジョンに足を踏み入れる。




