1-1 水が消えた日
春の朝、旭川の水位計が奇妙な動きを見せていた。
「……水が、消えている?」
「え、何ですかそれ」
隣の監視員が眉をひそめる。
「確認してください。堤防は越えていないのに、でも水が足りません」
「それって、どういう……?」
そのとき、内線が鳴った。上司から、至急部屋に来るように、と。
「一の荒手にね、ダンジョンができたみたいなんだよね」
上司は手元のパソコンから顔を上げないまま、告げた。
ダンジョン。
その単語だけが、現実から浮いている。
「今朝から、旭川の水量に異常が出ています。それが原因ですか」
「そうだね」
原因が分かって、肩の力が抜けかけたが、違和感に気づいた。
「はい? ダンジョンって、あのダンジョンですか?」
「そう。そのダンジョンが、一の荒手にできた」
「……冗談ですよね?」
「こんなこと、冗談では言えないねえ」
動き出した頭が、盛大にアラートを鳴らす。
「どうするんですか! 百間川との分流機能への影響があったら……。岡山の街中が沈みますよ!」
「それをね、君に調査してもらいたいんだ」
「え? なんで、私ですか?」
「国の管轄だから、うちなのよ」
それは、異常空間対策庁と、国の認定資格を持った探索者が行うことのはずだ。なぜ、ただの技官が行くはめになるのか。
「三浦さん、旭川に発生したダンジョンの影響調査を命ずる。君が現場責任者ね。頑張って」
正式な命令が出てしまった。
現場に着くと、川は静かだった。昨夜の雨で増水はしているが、乱れることなく流れている。
けれど、百間川への分流地点、一の荒手の側面で、流れがそこに触れた瞬間、下へ落ち込むように沈んでいた。
上流からの水は下流へと続いているのに、そこだけ、水が抜け落ちていく。幅は五メートルくらいだろうか。水が、どこかへ消えている。
「あれが、ダンジョン……」
ほどなく、岡山市の土木職員と、探索者チームが到着した。
「河川安全事務所の主任技官、三浦直樹です。今回の現場責任者です」
「市の土木課の高原美咲です。よろしくお願いします」
「フロニクス・ジオシステム岡山支社の黒瀬です。調査ということで、相良、田嶋と三人で担当します」
「フロニクス! 超有名どころじゃないですか。さすが、国はお金持ってますねえ」
高原が感心しているが、黒瀬は腕を組んだまま苦笑している。
「ダンジョン発生の公表は?」
「上からは、ひとまず伏せるようにと」
「うちもそう言われてます。工事ってことで、目隠しするしかないでしょうか?」
「高原さん発案と言うことで、市の予算ですね」
「川の中だから、国ですよ! 三浦さんのところです。うちじゃなくて、よかったー」
はしゃぐように言いながらも、高原の視線は定まらない。
異常な水の流れから目が離せない。軽口でも言っていなければ、不気味すぎてこの場から逃げたくなる。
「水、流れ込んでますね」
「……ただの川じゃないな」
水面に泡が立ち、川の底が生きているかのように揺れている。
沈黙が落ちる。
春風が吹き抜け、土手に咲く満開の桜の花びらを散らす。
川底では、異変がすでに始まっていた。
※本作は、実在の災害や地理を参考にしつつ、複数の事象を再構成したフィクションです。
物語および登場人物はすべて架空であり、実在の人物・団体とは関係ありません。
地形・治水に関する描写は、国土交通省(旭川水系・百間川)、岡山市、児島湾干拓資料館の公開資料を参考にしています。




