★第3話 隊長の覚悟
多重階層都市ソラリス。
名も無き世界に住まう人類の拠点であるこの巨大な鉄の揺り籠には、夜という概念さえ人工的なプログラムによって制御されている。
演習施設「アイギス・ドーム」の片隅で、リナは独り、細剣を振るっていた。周囲では、施設部隊の隊員たちが訓練後の機材整備や清掃に当たり、黙々と自分たちの職務をこなしている。彼らの放つ金属音や話し声さえ、今のリナの耳には遠くの雑音のようにしか聞こえなかった。
前日の第3部隊との模擬戦闘。その完膚なきまでの敗北の記憶が、リナの心を鋭く抉っていた。最強と謳われる先輩衛士たち――マヤ、リリス、サラ、ルウの四人に、自分たちは手も足も出なかった。
特に、隊長であるマヤから突きつけられた「あなたが背負っているのは仲間の命だ」という言葉が、呪縛のように彼女を縛り付けている。
「……まだ、重心がぶれているわよ」
背後から響いた凛とした声に、リナの細剣が止まった。振り返ると、そこには制服を崩さず、静かな威圧感を放つマヤが立っていた。第3部隊の隊長であり、双剣を操る希代の剣士。彼女はリナの驚きを無視するように歩み寄ると、短く告げた。
「ついてきなさい。第7部隊の隊長である、あなたに教えておくべきことがある」
マヤに連れられて向かったのは、ソラリスの最上層、通常は一般人の立ち入りが制限されている展望デッキだった。そこからは、巨大な摩天楼の群れと、その上空に不気味に口を開ける「裂け目」――アビス・ゲートが、人工太陽の残光に照らされてよく見えた。
「リナ。ここから見える景色を、どう思う?」
唐突な問いに、リナは言葉を詰まらせた。
「綺麗ですが……恐ろしいです。あのゲートから、いつでもヴォイドが這い出てくる可能性があると思うと」
「そうね。この都市は常に、異次元からの食糧として狙われている。それを防ぐのが私たちの仕事。でも、衛士だって万能じゃない。訓練学校を卒業して、エーテル兵装を手にしたその日から、私たちは『普通の少女』であることを捨てなければならない」
マヤはそう言うと、自身の腰にある二振りの剣、エーテル兵装を抜いた。
「構えなさい。課外授業よ。言葉で理解できないなら、刃で感じてもらうしかないわ」
リナは戸惑いながらも、自身の細剣を抜いた。夜風が吹き抜けるデッキの上で、二人の少女の影が重なる。マヤの攻撃は、昨日の模擬戦よりもさらに鋭く、そして重かった。双剣が描く軌道は、リナの視界を埋め尽くし、逃げ場を奪っていく。
「なぜ迷う! 自分の剣が仲間に届くのを恐れているのか? それとも、自分の決断が間違っていると疑っているのか!」
マヤの叱咤が飛ぶ。リナは必死に防戦するが、マヤの言葉の一つ一つが、リナの心の奥底に隠していた弱さを引きずり出していく。
「……怖いんです! 私は、モモやクロエやアリアに、あんな思いをさせたくない。私の指示が遅れれば、彼女たちが傷つく。そう思うと、手が震えて……!」
リナの悲鳴のような告白を聞いた瞬間、マヤの双剣が止まった。彼女はリナの細剣を軽く弾き飛ばすと、静かに、しかし深く、リナを見つめた。
「リナ。あなたが引き継いだ『第7部隊』という番号が、なぜ長く欠番になっていたか、その理由を知っている?」
リナは息を切らしながら首を振った。訓練学校の記録では、ただ「全滅したため」としか記されていなかった。
「3年前。当時の第7部隊は、今のあなたたちと同じように優秀な部隊だったわ。私たちの同期だった隊長は、誰よりも仲間を愛し、誰よりも慎重だった。ある任務で、彼女たちはプレデター級のヴォイドに包囲された。脱出の道は一つ。誰かを囮にして、残りの三人が逃げるしかなかった」
マヤの瞳に、かつての情景が浮かんでいるようだった。
「でも、彼女は選べなかった。誰一人、犠牲にしたくない。全員で生きて帰る。その執着が、一瞬の決断を遅らせた。結果、アビス・ゲートの拡大に巻き込まれ、第7部隊は跡形もなく消滅したわ。……彼女たちが愛したこの街を背にしてね」
風の音が、急に冷たくなったように感じられた。リナは言葉を失い、マヤの話に聞き入った。
「隊長という立場は、残酷なものよ。常に最悪の事態を想定し、時には冷徹な選択を迫られる。それは、仲間と同じ視線に立っていてはできない。隊長は、孤独でなければならないのよ」
「孤独……」
「ええ。仲間に愛されようとしてはいけない。仲間の死を背負う覚悟のない者に、部隊を率いる資格はない。私があなたに厳しく当たったのは、あなたにあの隊長と同じ道を歩んでほしくなかったからよ」
マヤの手が、リナの震える肩に置かれた。その手は驚くほど温かかった。
「昨日の模擬戦で、あなたは自分だけがボロボロになって仲間を守ろうとした。でも、それではダメなの。あなたが本当に仲間を愛しているなら、彼女たちを『守られる対象』ではなく、共に死線を越える『戦士』として信頼しなさい。それが、隊長に許された唯一の救いよ」
リナの目から、一筋の涙が零れた。マヤの厳しさ、あの冷徹に見えた言葉の裏には、後輩たちが二度と同じ悲劇を繰り返さないようにという、衛士としての、そして一人の人間としての深い愛が込められていたのだ。
「マヤさん……ありがとうございます。私、勘違いしていました。隊長は完璧でなきゃいけない、一人で全部背負わなきゃいけないって」
「完璧な人間なんて、この街にはいないわ。もしいたら、それはヴォイドと同じ、心の欠落した怪物よ」
マヤは小さく笑い、剣を鞘に収めた。
「さあ、戻りましょう。宿舎では、あなたの可愛い仲間たちが、隊長の帰りを心配して待っているはずよ。明日の朝礼からは、もう少し凛とした顔を見せなさい」
展望デッキを後にするリナの足取りは、先ほどまでとは見違えるほど軽やかだった。背後を歩くマヤの影を見つめながら、リナは心に誓った。
第7部隊は、もう二度と消えさせない。モモの豪快な薙ぎ払いを、クロエの鋭い一突きを、アリアの緻密な分析を、自分の指示で最高の輝きに変えてみせる。
地上へと降りるエレベーターの中で、リナは窓の外に広がるソラリスの灯火を見つめた。その明かりの一つ一つに、市民の生活があり、それを支える保安隊員たちの奮闘がある。自分たちは、その重みを背負って戦場に立つ。
宿舎「アイギス・タワー」に戻ると、共有スペースのソファで、モモが大きな口を開けて眠っていた。その横では、クロエが黙々と槍の穂先を磨き、アリアが明日の哨戒コースの最終チェックを行っている。
「あ、リナ。おかえり。遅かったわね」
クロエが顔を上げずに言った。その声には、彼女なりの気遣いが含まれていることを、今なら理解できる。
「ただいま、みんな。……明日から、また厳しくいくから。覚悟しておいてね」
リナの言葉に、アリアが眼鏡を押し上げ微笑んだ。
「隊長がやる気なのは、いいデータですね。効率が上がりそうです」
「ええ。私たちは、最強の部隊になるんだから」
銀髪の隊長は、誇らしげに胸を張った。夜明けの人工太陽が昇るまで、まだ少し時間がある。だが、リナの心の中には、どんな闇も照らし出す確かな星が輝き始めていた。




