戦士の黄昏
1:鉄の百合たちの黄昏
多重階層都市ソラリスにある衛士隊演習場。人工太陽の光が穏やかに石畳を照らす中、激しい金属音とエーテルの残光が空間を切り裂いていた。
「ルウ、盾がコンマ二秒遅い。サラ、踏み込みが甘いわ。槍の穂先が泣いているわよ」
凛とした、しかし一切の妥協を許さない声が演習場に響き渡る。その声の主は、最強と謳われる第3部隊「ヴィクトリア」の隊長マヤですら、直立不動で拝聴せざるを得ない絶対的な存在――第1独立遊撃部隊の隊長、エルザであった。今年で28歳、衛士歴12年目という大ベテランだ。そして、その12年目という年は、衛士人生の終わりでもあった。
衛士隊における「任期制」は、衛士隊が定めた最も厳格な隊律の一つである。16歳で正式任官後、1期6年を基本とした前線勤務に就く。任期は最長でも2期12年。二十代後半を迎えると、人間の精神エネルギーは徐々に変質し、エーテル兵装との適合性が例外なく衰えていくからだ。
1期6年(22歳)という多感な時期を衛士として過ごした年月を終え、一般社会へ戻っていく衛士は少なくない。
しかし、2期12年という長きにわたり、死線の中を生き延び、任期を全うした者は、衛士隊内はもちろん、社会的にも「真のレジェンド」として破格の尊崇を集める。先日の大規模侵攻をも最前線で生き抜いた第1部隊の四人は、まさに都市の生ける伝説そのものだった。
「そこまで。……良い動きだったわ、第3部隊。私たちの代わりに、これからのソラリスを頼むわね」
エルザが細剣を収めると、マヤ、リリス、サラ、ルウの四人は、一糸乱れぬ動作で胸元に手を当て、最上級の敬意を込めた衛士礼を捧げた。
「はっ! 第1部隊の皆様の教え、決して忘れません!」
マヤの言葉に、エルザは柔らかく微笑んだ。12年の任期満了を数日後に控えた彼女たちの表情には、戦士としての鋭さの裏に、どこか清々しい「少女」の面影が戻りつつあった。
2:代償と約束
その日の夜、宿舎の共有スペースでは、第1部隊の四人が一本のワインを囲んでいた。
全員が28歳。人生の最も美しく、そして最も過酷な時間をヴォイドとの戦いに捧げてきた戦友たちだ。
「ついに、明日で12年が終わるのね。なんだか、信じられないわ」
大剣士として数万の怪物を薙ぎ払ってきた大柄な女性、ミーナがグラスを傾けながら呟いた。彼女の隣では、かつてアリアのようにドローンを操り、戦術を構築していた参謀のシザが、ソラリス政府から届いた分厚い書類に目を落としていた。
「政府の優遇措置の手続き書類よ。生涯にわたる退役年金の支給口座登録に、各省庁の優先採用通知書。……私たちは、本当に守られたのね」
ソラリス政府は、青春のすべてを都市の防衛に捧げた退役衛士に対し、退役年金の支給、就職先の斡旋と最優先雇用など生涯を保証する手厚い優遇措置を用意している。それは彼女たちの流した血と、背負った硝煙に対する、都市からの最大限の感謝の証しだった。
「シザは、産業省の職員になるんだっけ?」
槍士のケイが尋ねる。シザは静かに頷いた。
「ええ。これからはエーテルを計算する代わりに、下層域のエネルギー流通と産業復興の予算を計算するわ。武器を持たなくても、都市を支える方法はいくらでもあるもの」
「ミーナは、大手の食品メーカーに内定をもらったのよね?」
「そうなの! 開発部に配属されて、新しい高栄養レーション(携行食)や、一般向けのスイーツを作るんだ。戦場での経験を活かして、冷えても美味しい、みんなが笑顔になるパンケーキの粉を作るのが夢なんだから!」
ミーナの天真爛漫な笑顔に、一同から温かい笑いが漏れた。
「ケイは……、本当にあの人と結婚するの?」
エルザの問いに、クールな槍士だったケイの頬が、ほんのりと赤く染まった。
「……ええ。この前の戦いでも後ろを守ってくれた、あの保安隊の小隊長よ。これからは前線じゃなく、一つの家の『防衛線』を二人で築いていくわ。彼、料理がすごく上手なの」
「素敵な未来ね」
エルザはグラスを掲げた。三人の行く先は、すでに優しき日常へと繋がっている。
「エルザは、衛士隊に残るのよね?」
シザの言葉にうなずいたエルザは、自身の金色の指揮官バッジを見つめた。2期目の衛士の中で、特に優秀と認められた者は、任期満了後に衛士隊の上級指揮官や参謀として任用される道が開かれている。そのためにエルザはこの2年、通常課業と並行して上級指揮官・参謀養成課程を受けていた。
「ええ。私は衛士隊総監部にある『訓練部』の参謀に着任することが決まったわ。これからは前線で剣を振るうことはないけれど……新しく入ってくる子たち、例えば、あの第7部隊『ノヴァ』のような若い星たちが、二度と孤独に墜ちないように、完璧な教育を施すのが私の次の任務よ」
3:新しい航路へ
数日後、ソラリスの最上層にある中央式典会場。
晴れやかな青空の下、数千人の衛士と都市保安隊の兵士たちが整列する中、第1部隊の退役式典が厳かに執り行われていた。
「第1独立遊撃部隊。本日をもって、12年の任期を満了。前線勤務を解除する」
衛士隊総監の宣言と共に、四人のエーテル兵装が返還され、彼女たちの制服から「第一線戦士」の徽章が外された。その瞬間、会場を埋め尽くしたすべての者から、地鳴りのような拍手と、鳴り止まない敬礼が捧げられた。
観客席には、第3部隊のマヤたちや、第7部隊のリナ、モモ、クロエ、アリアの姿もあった。リナは、壇上で晴れやかな笑顔を浮かべるエルザの姿を、憧れと強い決意の瞳で見つめていた。
(エルザ先輩……。あなたが遺してくれたこの平和な日常を、今度は私たちが繋いでみせます)
式典が終わり、四人はそれぞれの「新しい航路」へと歩み出し始めた。
シザは役所の入った高層ビルへ、ミーナはエプロンを模したスーツを着て民間企業へ、ケイは花束を持った濃紺の制服姿の保安隊員の元へと駆け寄っていく。
そして、エルザは一人、衛士隊総監部の建物へと続く長い回廊を歩いていた。彼女の腰に、もう細剣はない。しかし、その胸には、12年間で培った「都市を愛する心」という、決して刃毀れすることのない最強の盾が宿っていた。
ふと窓の外を見上げると、ソラリスの空には、未だに微かなアビス・ゲートの裂け目が不気味に息を潜めていた。ヴォイドとの戦いは、これで終わったわけではない。いつかまた、新たな王が現れるかもしれない。
しかし、エルザの心に不安はなかった。
自分たちが繋いだ12年のバトンは、いま、確実に次の世代へと受け継がれている。
「さあ、始めましょうか」
エルザは訓練部のオフィスへと足を踏み入れ、新しい教本のページを開いた。
終わらない明日のために。少女たちの笑顔が、いつまでもこの青空の下で続いていくために。星冠の衛士たちの航路は、形を変えながらも、永遠に未来へと続いていく。




