★第1話 新生、第7部隊
多重階層都市ソラリスに聳え立つ、地上60階建ての巨大な円柱型メガストラクチャー「アイギス・タワー」。
現役衛士約1000名が暮らすこの巨大な宿舎の朝は、規則正しい静寂から始まる。
独立遊撃部隊専用フロアである54階の一角、第7部隊に割り当てられた5407号室。四人一部屋の共同生活が、今日から本格的に幕を開けようとしていた。
午前5時55分。
隊長のリナは、ベッドサイドの目覚まし時計が鳴り出す前に、静かに瞼を開いた。室内はまだ薄暗いが、人工太陽が登り始める直前の、青白い光が遮光カーテンの隙間から差し込んでいる。彼女は隣のベッドのモモを起こさないよう、細心の注意を払いながら身を起こした。
予定の5分前に起床することは、訓練学校時代からの変わらぬ習慣だ。隊長として部隊を率いる以上、誰よりも早く意識を覚醒させておく必要がある。それが彼女なりの、見えない責任感の表れだった。
しかし、室内にはすでに先客の気配があった。
中央リビングを挟んで北東に位置する、クロエのパーソナルブース。遮音カーテンで仕切られたその空間から、規則正しい吐息と、微かな衣擦れの音が聞こえてくる。リナが覗き込むと、そこには既に戦闘服のアンダーウェア姿になり、片手での腕立て伏せを黙々と繰り返すクロエの姿があった。白銀の槍が、手入れ台の上で冷たく光っている。
「……おはよう、クロエ。早いね」
リナの囁きに、クロエはリズムを崩すことなく答えた。
「おはよう。日課の筋力トレーニングよ。身体のキレがコンマ一秒遅れるだけで、戦場では死に直結する。学校を卒業して正式任官されたからといって、技術が完成したわけではないわ」
その言葉には、一切の妥協がなかった。正式任官した衛士として、一人の槍士として、彼女は己を研ぎ澄まし続けている。リナは彼女のストイックさに改めて背筋を伸ばしながら、自らの制服へと手を伸ばした。
午前6時ちょうど。
時計のアラームが無機質な音を刻むと同時に、北西のアリア・ブースから、跳ね起きるように上体を起こす影があった。
「……おはようございます。アラームの停止まで、誤差0.5秒。完璧な起床です」
アリアは眠気を一切感じさせない動作で眼鏡をかけ、デスクの三画面高スペックモニターと戦術端末を起動した。寝起きの第一動作が情報収集というのも、参謀のアリアらしい。
「リナさん、クロエさん。司令部のホログラムサーバーから最新データを同期しました。今日の気象条件と、アビス・ゲートの活性予測値が出ました。今のところ異常なし。……ただ一人、活性値が著しく低い個体が約一名いますね」
アリアの冷徹な視線が、南東のブースで巨大な山を作っている毛布に向けられた。そこからは、のんびりとした寝息が漏れている。
「……モモ。朝だよ、起きて。6時だよ」
リナが毛布の山を揺らすが、反応はない。
「うぅ……あと5分……。プリンを大剣でなぎ払う任務が……まだ終わってないの……」
「どんな夢を見てるのよ。ほら、置いていくわよ!」
リナの必死の呼びかけと、見かねたクロエが手入れ台から掴んで放った「訓練用の冷気スプレー」の鋭い音で、ようやくモモは跳ね起きた。
「ひゃあぁ!? 冷たいっ! おはよー、みんな! 今日もいい天気だね!」
寝癖を爆発させ、天真爛漫に笑うモモ。この四者四様の朝が、新生第7部隊の日常の光景になろうとしていた。
身支度を整えた四人は、タワーの低層階、4階にある広大な宿舎食堂へと向かった。
500人もの衛士を収容する広大な空間には、既に多くの衛士たちが集まっている。まだ10代の少女から20代の妙齢の女性まで揃うこの場を見れば、この都市を守るのは若い女性たちだという現実が誰の目にもわかるだろう。
この食堂で提供されるのは、過酷な任務に従事する彼女たちの数少ない癒やしである「ガーズ・ブレックファスト」。焼きたてのライ麦パンに、濃厚なミネストローネ、そしてソラリスの地下農場で採れた新鮮なサラダ。
「おいしそー! ここのシチュー、訓練学校の三倍はコクがあるって噂だよ!」
モモが目を輝かせながら、山盛りの食事をトレイに載せる。その驚異的な食欲は、彼女の操る大剣「イグニス・ゼロ」の莫大なエーテル消費を裏付けるものだった。
「アリア、そんなにタブレットを見ながら食べて、味はわかるの?」
リナが苦笑いしながら尋ねると、アリアはスプーンを動かしながら答えた。
「エネルギーの摂取と情報の摂取を同時に行っているだけです。このオートミールの糖分が脳に届く頃には、大隊本部から指定された今日の哨戒コースの最適化が終わります」
効率を重んじる彼女らしい回答だった。
こうしてアリアの収集した情報を話題にお喋りをしつつ、四人は朝食を終えた。
午前8時。
衛士隊独立遊撃大隊のブリーフィングルームでの朝礼。
紺色の制服に身を包んだ、大隊所属の約100人の衛士が整列する中、壇上に立った中年女性の指揮官――大隊長が鋭い視線を飛ばす。
彼女は、加齢によってエーテル兵装との適合能力を喪失して衛士としての前線勤務を退いた大隊長だ。実戦を誰よりも知る古強者である。
「今日から新たな部隊が加わりました。第7独立遊撃部隊です。……かつてこの番号を背負った者たちは、3年前、市民を護るためにこのセクター44の動力ブロックで命を散らしました。全員が手を重ね合わせたまま、深淵へと消えていったのです。新生第7部隊の四人。その番号に恥じぬ働きを期待します。……以上です、各自の課業に取り掛かるように!」
短く、しかし鉛のように重い訓示。リナたちは背筋が伸びる思いだった。
朝礼の終了後、午前中はタワー7階の最新鋭シミュレーションルームでの戦闘演習が行われた。しかし、ここで問題が発生する。
「モモ、前に行き過ぎ! 私の突きが届かないわ!」
「えーっ!? でも敵がいっぱい来るから、まとめてなぎ倒したほうが早いじゃん!」
「アリア! 敵の弱点座標の指示が早すぎるわ、こっちはまだ前の敵を捌いてるのよ!」
「私の計算では、その秒数で殲滅可能なはずですが。リナさん、指揮官としての指示を修正してください」
個々の能力は高いものの、連携が全く噛み合わない。リナも、仲間の動きを気にしすぎるあまり、本来の指揮に鋭さを欠いていた。訓練学校を卒業したばかりの4人の少女の、連携不足という課題が早くも露呈した形となった。
昼食を挟み、午後からは初任務となる担当地区「セクター28」の哨戒活動が始まった。午前中の演習で露呈した課題を抱えたままの出動だった。
中層居住区であるここは旧市街の面影を残しており、複雑な路地が入り組んでいる。
「あ、第7部隊だ。進路を確保しろ!」
路地を塞いでいた濃紺のタクティカルギアを纏う都市保安隊(CSF)の隊員たちが、リナたちを見かけると一斉に敬礼を送り、スマートに進路を確保してくれた。大隊本部が事前にこのセクターの部隊へ第7部隊の哨戒出動を通告していたため、スムーズな連携が行われていたのだ。
都市保安隊は、市内の治安維持と衛士隊のバックアップを担う、もう一つの防衛組織だ。
選ばれた女性だけが扱える「エーテル兵装」を持てないため、中型以上のヴォイドと直接渡り合う力はない。そのため、保安隊はゲートから漏れ出した微弱な個体(スカベンジャー級)の掃討、市民の避難誘導、そして後方支援を主な任務としている。衛士隊が都市の「剣」であるならば、彼ら保安隊は都市の日常を物理的に支える「盾」であった。
「いい街だね。みんなが普通に笑ってる」
リナが呟いた、その時だった。
突然、下層のエーテル循環システムが激しく波打ち、路地の空気が重く澱んだ。空間に引き裂かれるような歪みが生じる。漆黒の亀裂――アビス・ゲートが、地上数メートルの位置に無慈悲に開いた。
「アビス・ゲート発生! ヴォイドを確認! スカベンジャー級五、プレデター級一!」
アリアの鋭い声が響く。先日の激戦以来、二度目の実戦。しかし、哨戒中という不意打ちの状況に、四人に緊張が走る。
「モモ、突撃! ……ああっ、待って、バラバラに行かないで!」
リナの制止も聞かず、モモが巨大な剣を担いで走り出す。彼女の豪快な一振りは二体のスカベンジャーを粉砕したが、振りかぶった際の大きな隙を、別のヴォイドが狙う。
「危ない! ……くっ、届かない!」
クロエが槍を放つが、独断専行したモモの大きな背中が死角となり、核を逸らす。噛み合わない歯車が、戦場に致命的な綻びを作ろうとしていた。
「落ち着いて! 全員、一度引いて! アリア、敵の行動パターンを予測して!」
リナの声が、混乱した空気を切り裂いた。その凛とした響きに、モモとクロエの身体がピタリと止まる。アリアは即座にドローンを空中へ放ち、ホログラムスクリーンに敵の弱点と移動予測を鮮やかに投影した。
「了解。ヴォイドの運動エネルギーから逆算します。……リナさん、敵のプレデター級が核を露出させるまで、あと7秒。モモさんが周囲を掃討し、その瞬間にクロエさんが中心を突けば、確実に仕留められます!」
アリアの提示した冷徹なデータ。リナは瞬時にそれを理解し、指揮官としての意志を固めた。
「モモ! その大剣を横に薙ぎ払って、雑魚敵を全部吹き飛ばして! 縦に振るんじゃなくて、円を描くように!」
「了解っ! ぐるーんと一回転だね!」
「クロエ! モモが道を作った瞬間に、私の合図で中央へ踏み込んで。アリアが示した一点だけを狙って!」
「……わかったわ。一度しか言わないで」
モモの全身から莫大なエーテルが溢れ出し、大剣が青白い光を帯びる。
「どっかーーーんっ!」
嵐のような旋回。周囲のスカベンジャーたちがまとめて吹き飛ばされ、中央にいたプレデター級がバランスを崩し、その胸部の核が剥き出しになる。
「今よ、クロエ! 行って!」
「貫け……!」
クロエの槍が、真空を切り裂くような鋭さで一直線に伸びた。訓練学校を卒業したばかりの彼女が放った、一点の曇りもない一撃が、ヴォイドの核を完璧に貫通する。
ギィィィッ……!
断末魔の叫びと共に、ヴォイドは紫色の結晶となって霧散していった。
静まり返った路地。リナは細剣を鞘に収め、大きく息を吐いた。
「……やったね。第7部隊の初勝利だよ」
「あはは! 隊長の合図、ぴったりだったよ!」
モモが駆け寄り、リナの肩を叩く。クロエも槍を引き、無言だが満足げに頷いた。
「私のデータとリナさんの判断、そして二人の実行力。この基本戦術『モモが薙ぎ払い、クロエが突く』は、今後の有効なベースになりそうです」
アリアが冷静に締めくくった。
その日の夕方、アイギス・タワーへと戻る彼女たちの背中には、夕焼けのオレンジ色が温かく差し込んでいた。
まだ始まったばかりの第7部隊。バラバラだった四人の歩幅が、少しだけ重なり始めていた。
リナは自分の手のひらを見つめ、今日感じた確かな手応えを噛み締める。
明日も、午前5時55分に起きよう。この大切な仲間たちと、この街の明日を守るために。




