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エーテル・ガーズ ―ソラリス衛士隊戦記―  作者: 白黒鯛
第3独立遊撃部隊〈ヴィクトリア〉前日譚

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天才たちのジャンクタイム

 1:仮面の裏側の摩耗

「アイギス・タワー」上層階のテラス。

 人工太陽が再現した完璧な朝の光が降り注ぐなか、第3部隊の少女たちの間には、息の詰まるような沈黙が横たわっていた。

「オールトップ」として結成された彼女たちは「将来の中核」として、無敗であることを義務付けられていた。一挙手一投足に注目が集まり、見えない期待が日常を監視している。その完璧な仮面の裏側で、本来はまだ16歳の少女に過ぎない彼女たちの心は確実に摩耗していた。


「……また、−1グラム」

 短い金髪を弄り、盾士のルウが呟いた。彼女の使命は「防御率100%」の維持。いかなる敵の爪も、味方の陣形も傷つけないという絶対の重圧が、彼女の食欲を削り取っていた。

 その横では、サラが手のひらを見つめていた。「一撃必殺の槍」。敵の核を逃さないという期待が、彼女の笑顔の裏に、深い緊張の糸を張り詰めている。

 参謀のリリスが冷徹な数式を口にするが、その眼鏡の奥には疲弊の影があった。完璧な戦術計算を求められ続ける彼女の脳は、休日であっても演算を止めることができず、常に熱を帯びたままだった。


「……はい、そこまで。全員、その面白くない顔を今すぐやめなさい」


 テラスの扉を勢いよく押し開け、マヤが姿を現した。栗色の髪を高い位置でポニーテールに結んだ彼女の手には、総監部から支給された最新の『休日用推奨マニュアル』ではなく、古びた下層セクターのマップが握られていた。


「マヤ、今日の午前中は推奨マニュアルに従って、特権区の音楽堂で古典芸術を鑑賞するスケジュールのはずですが」


 リリスが眉を潜める。第3部隊の四人は、衛士の模範、そして衛士隊の象徴として内外にアピールするため、総監部広報室のマネジメントのもと休日の過ごし方まで決められているのだ。

 そして、マヤはフッと鼻を鳴らし、そのマップを円卓へと叩きつけた。


「そんな宣伝用のお行儀いい休日、クソ喰らえだわ。今日はマニュアルをすべて破棄する。……あなたたちのそのガチガチに固まった頭を、力づくでこじ開けてあげるわ。いくわよ、私たちの本当の休日へ」


 高らかに宣言するマヤを、他の三人はただ唖然として見るしかなかった。


2:油と私服と不協和音

 マヤに連れられてやってきたのは、特権区の繁栄から遠い下層の工業街「セクター53」のジャンクフード店。店内は、普通教育学校に通う同年代の少年少女たちの騒がしい笑い声で溢れ返っていた。


「……何、これ。空気中の油分濃度が、通常の3倍を超えているわ」


 リリスがハンカチで鼻を押さえながら、脂ぎったプラスチックの椅子に恐る恐る腰を下ろした。


「あはは……。でも、なんか匂いは美味しそうだよ?」


 サラがメニューを覗き込むが、そこにあるのは特権区で食べる完璧に栄養計算された高級な有機食ではなく、「メガ盛りフライドポテト」「油まみれのトリプルバーガー」といった、野生的な料理ばかりだった。

 やがて運ばれてきた山盛りのポテトを前に、戦いしか知らない天才少女たちは完全に困惑していた。


「……ルウ、これを手で掴んで食べるのが、下層の論理的な作法らしいわよ」


「……汚い。でも、温かい」


 ルウが指先を油で少し汚しながら、一本のポテトを口に運んだ。その瞬間、塩気と強烈な旨味が口いっぱいに広がり、彼女の丸い目がさらに大きく見開かれた。


「……美味しい。これ、栄養素は最悪だけど、心が美味しい」


「本当だ! これ、いくらでも食べられちゃう!」


 サラもいつもの豪快な笑顔を取り戻し、ポテトを次々と口へと放り込んでいった。

 しかし、戸惑いは食事だけに留まらなかった。


「ちょっと見て、あそこの子たちの服。なにあの地味な組み合わせ、いつの時代の流行よ」


 隣のテーブルに座る、普通校に通うあか抜けた少女たちが、クスクスと笑いながらマヤたちの私服を指差していた。隊の支給品である機能性重視の防風ジャケットや、ストイックすぎる黒のタックパンツ。エリート衛士としては完璧な装いも、この下層の若者たちの目には、酷くあか抜けない、時代遅れの服装に映っていたのだ。


「私のファッションが、論理的流行から外れているというの……?」


 リリスがショックのあまり凍りつき、サラが「うそ、あたしのこのお気に入りのスニーカー、ダサいの!?」と大ショックを受けていた。

 そこへ、下心丸出しの少年たちが近づいてきた。


「ねえ、よかったらこの後、俺たちと遊びに行かない?」


 戦場では無敵の天才たちも、この不届きな接近にフリーズした。今日の手元には武器がない。


「リ、リリス、こいつらの行動パターンを逆算して……!」


「無理よ、サラ! 合理性が一切存在しないわ!」


 完璧な陣形を誇る彼女たちが、少年のナンパを前に全滅寸前の大パニックに陥っていた。


3:仮面を脱いだ天才たち

「――そこまでよ、ナンパ男」


 その混乱の渦中に、マヤが口の周りにケチャップをつけたまま、ストローをくわえて立ち上がった。


「この子たちはね、私の大切な仲間なの。あなたたちみたいな不躾な雑魚スカベンジャーに、気安く触れさせてあげる領分スペースなんてないわ。……さっさと退きなさい。私の双剣を、ここで代わりに振るってあげてもいいのよ?」


 マヤの瞳が、戦場で見せるあの冷徹なまでの威圧感を放った瞬間、少年たちは悲鳴を上げてクモの子を散らすように逃げ去っていった。


「……ふぅ。まったく、人騒がせな奴らね」


 マヤは再び椅子に座ると、冷たい炭酸を聞き干した。その姿は、完璧な隊長の仮面とは程遠い、あまりにも不器用で、愛らしい16歳の少女そのものだった。


「……マヤ。口の横、汚れているわよ」


 リリスが呆れたように溜息をつきながらも、自身のハンカチでマヤの頬を優しく拭った。


「あはは! 隊長、最高に不細工だけど、最高にかっこよかった!」


 サラが声を上げて笑い,ルウもまた、自分のポテトをマヤのお皿へとそっと差し出した。


「……マヤ、これ食べる? 栄養はないけど、本当に美味しいから」


 四人は互いの顔を見合わせ、小さく温かな笑顔を交わし合った。


 期待、無敗の義務、防御率、一撃必殺。

 それら彼女たちを縛り付けていたすべての重圧の糸が、この油まみれのジャンクフード店の中で、綺麗にほどけて消えていくのを、マヤたちは感じていた。

 完璧である必要などなかった。ここで隣に座り、ダサい私服を笑われながらも、一緒にポテトを食べて笑い合える仲間がいる。その不器用なぬくもりこそが、彼女たちの魂の原点だったのだ。


「さあ、お腹がいっぱいになったら、次はあの服を笑った女の子たちを見返すために、下層のおすすめの服屋さんへ突撃するわよ! リリス、最短ルートの計算を!」


「……了解よ、隊長。私の演算能力を、服のコーディネートのためだけに全開放してあげるわ」


「おうよ! 最強の私服を見せてあげるんだから!」


 少女たちの楽しそうな笑い声が、下層の喧騒の中に溶けていく。

 エリートの仮面を脱ぎ捨て、ただの年頃の等身大の少女に戻った彼女たちの足音が、新しい明日へ向かって、力強く響き渡っていた。

 ヴィクトリアの本当の強さは、この不器用で温かい、何よりも愛おしい日常の中にこそ、確かに産声を上げていたのだ。

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