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エーテル・ガーズ ―ソラリス衛士隊戦記―  作者: 白黒鯛
外伝 それぞれの帰郷

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リナ編 ただいまと言える場所

1:家路へのリニア

 大規模侵攻が終結し、ソラリスに平穏が戻ってから二週間。第7独立遊撃部隊「ノヴァ」の面々には、連戦の疲労を考慮して三日間の「一時休暇」が与えられた。

 リナは、訓練学校卒業以来、実に半年ぶりに実家へ帰るためのリニア鉄道に揺られていた。

 窓の外を流れるのは、ソラリスの中層から下層へと続く見慣れた都市の景色だ。二週間前の戦火の傷跡は完全に消え去ってはいないものの、道路を走る都市保安隊(CSF)の支援車両や、重機の駆動音が復興への息吹を伝えていた。


(……私、本当に帰るんだ)


 リナは無意識のうちに、自身の膝の上に置いた小さなバッグを強く握りしめていた。戦場では冷静に指揮を執れるようになった彼女が、実家に帰るという事実だけで妙な緊張感を覚えていた。

 鞄のジッパーには、あの完全休養日にお揃いで買った星のキーホルダーが揺れている。宿舎を出るとき、モモは「お土産いっぱい買ってきてね!」と笑い、クロエは「ゆっくり休みなさい」と短く告げ、アリアは「ご家族との時間を論理的に楽しんでください」と送り出してくれた。背中を預け合える最高の仲間たち。彼女たちと出会い、数々の死線を越えたことで、リナの心は以前よりも格段に強く磨き上げられていた。しかし、それと同時に、戦士ではない「ただの十六歳の娘」として家族とどう向き合えばいいのか、少しだけ戸惑いがあった。

 リニアが中層階の、旧市街の面影を残す緑豊かな居住セクターへと滑り込む。リナは深く息を吸い込み、リニアの扉が開くと同時に、一歩を踏み出した。


2:変わらない温もり

 駅から住宅街へ続く道を歩き、見慣れた木目調のドアの前に立ったとき、リナは数秒間、呼び鈴を押すのを躊躇った。だが、彼女が指を伸ばすより早く、勢いよくドアが開け放たれた。


「お姉ちゃん!!」


 飛び出してきたのは、十四歳になる妹のサクラだった。中等教育学校の制服を着た彼女は、リナの姿を見るなり、その細い身体に思い切り抱きついてきた。


「サクラ……っ、ただいま。ちょっと、苦しいよ」


「おかえりなさい! もう、ずっと心配だったんだから! テレビで大規模侵攻のニュースを見るたびに、お姉ちゃんが死んじゃったらどうしようって……!」


 妹の純粋な涙に、リナの緊張は溶け去っていった。


「おかえり、リナ。ずいぶんと顔つきが大人っぽくなったわね」


 サクラの背後から現れたのは、優しげな微笑みを浮かべた母親のシホだった。彼女はベストセラー作品を書く小説家であり、常に物事を深く見つめる女性だ。その手には、リナの大好物であるアップルパイの焼き上がる甘い香りが漂っていた。


「ただいま、お母さん。……心配かけて、ごめんなさい」


「いいのよ。無事で帰ってきてくれた、それだけで十分。さあ、中に入りなさい。タクミも講義を切り上げて待っているわ」


 リビングに入ると、ソファから十九歳になる兄のタクミが立ち上がった。彼は国立大学でエーテル工学を学ぶ秀才で、眼鏡の奥の瞳は参謀のアリアを思い起こさせた。


「おかえり、リナ。……あの激戦なのに怪我はなかったんだな。よかった……。俺の大学の教授たちも、今回のゲート同時開放の特異性について毎日議論しているよ」


「うん。……いろいろあったけど、みんなで力を合わせて乗り越えたよ」


 リナは荷物を置くと、リビングの壁際に設置された小さなメモリアルプレートの前へと歩み寄った。そこには、五年前にヴォイドの襲撃に巻き込まれ、リナたち家族を逃がすために帰らぬ人となった父親の優しい笑顔の写真が飾られていた。


(お父さん。私、ちゃんと隊長としてみんなを守って帰ってきたよ。この街を守り抜いたよ)


 リナは心の中で静かに語りかけ、深く一礼した。父親を失ったあの日の絶望が、彼女を衛士へと突き動かす原動力だった。しかし、今の彼女には、悲しみだけでなく、今を生きる人々を守るという真の誇りが宿っていた。


3:日常という名の報酬

 その日の夕食は、まるで行事のような賑やかさだった。

 食卓にはシホが腕によりをかけた料理が並び、中央には焼き立てのアップルパイが鎮座していた。


「ねえ、お姉ちゃん! 衛士の制服ってすっごくかっこいいよね! 髪の毛も、訓練学校の時より少し伸びた?」


 サクラが目を輝かせながら質問を浴びせる。


「制服はね、何回もボロボロになって仕立て直してるんだよ。髪は……そういえば、切る暇がなかったかも」


 リナが苦笑いしながら答えると、タクミが身を乗り出してきた。


「リナ、今回の侵攻で、衛士隊が開発中だった精神同調戦術が実戦投入されたっていう噂は本当かい? エーテル工学の観点から言うと、複数のエーテル波形を完全同調させるのは理論上、脳細胞への負荷が大きすぎるはずんだが……」


「お兄ちゃん、それは機密。……でもね、私たちは『データ』や『理論』だけじゃなくて、信頼の力で可能にしたの。私のチームにはね、お兄ちゃんみたいに頼りになる参謀がいるんだよ」


 リナがアリアのことを思い浮かべながら誇らしげに言うと、タクミは少し照れくさそうに眼鏡を直した。

 母のシホは、子供たちのやり取りを静かに見守りながら、時折、作家としての鋭くも温かい眼差しをリナの横顔に向けていた。


「リナ。あなたはとても強い目を手に入れたわね。でも、一人で全部を背負おうとして、無理をしてはダメよ。あなたの書くレポートの行間から、お母さんにはあなたの必死さが伝わってきていたの」


「ううん、お母さん。前は一人で背負わなきゃいけないって思い込んでた。でもね、今は違うの。頼もしい大剣使いと、絶対に外さない槍使いと、完璧な参謀が、私のそばにいてくれるから。……私は、孤独じゃないんだよ」


 リナの言葉に、シホは満足したように頷いた。


「そう。良い仲間に巡り会えたのね。……あなたの次の戦いを、お母さんはいつでも応援しているわ」


 夕食後、リナはサクラとアルバムを眺め、学校の出来事を聞きながら時間を過ごした。戦場での怪物の咆哮も、保安隊が放つ硝煙のにおいも、ここには何もない。ただ、大好きな家族がいて、温かいご飯があって、笑い合える空間がある。


(ああ……、私はこのために戦っていたんだ)


 リナは、自分の手のひらを見つめた。数日前まで細剣を握り締め、血と泥にまみれていたその手は、いま、妹の温かい手ときつく結ばれていた。


 公式の記録には残らず、誰も彼女たちの活躍を知らなくても、この住宅地の小さな家の中に、自分が命を懸けて守り抜いた「日常」が確かに存在している。その事実だけで、リナの心は地上のどんな豪華な勲章よりも、深く、温かく満たされていた。


 三日間の休暇は、瞬く間に過ぎていくだろう。

 休みが終われば、彼女は再び制服を纏い、終わりのない戦いへと戻らなければならない。

 しかし、今のリナには、もう迷いも恐れもない。

 帰るべき家があり、待ってくれている家族がいる。そして、宿舎では大好きな仲間たちが、首を長くして隊長の帰りを待っている。


 この「ただいま」と言える愛おしい世界を守るために、リナは明日からも、第7部隊の隊長として、誰よりも気高く、その剣を振るい続けるだろう。

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