表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エーテル・ガーズ ―ソラリス衛士隊戦記―  作者: 白黒鯛
本編 第7独立遊撃部隊〈ノヴァ〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/32

★第9話 アビスの咆哮

 多重階層都市ソラリスの歴史において、その日は「太陽が死んだ日」として永遠に記憶されることになる。


 第7部隊「ノヴァ」の私室。前日、精神同調戦術「シンクロニシティ」の実験を成功させ、セクター22での突発的な多発発生を退けたリナたちは、束の間の仮眠を貪っていた。

 しかし、その静寂は、都市の全階層、全区画、すべてのスピーカーと全市民の携帯端末から同時に鳴り響いた、聞いたこともないほどに禍々しい連続電子的警報音によって破られた。

 それは通常のヴォイド襲来を告げるアラートではなかった。ヴォイドが出現して約百年。以来、過去に一度だけ鳴らされたことがある「超大規模侵攻警報」――国家存亡の危機を告げる大音響だった。


「全階層、全セクターの居住民に告ぐ。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」


 人工音声の冷静なアナウンスが、かえって事態の異常性を際立たせていた。


「現在、都市上空、および各階層の外殻ブロック数十箇所において、観測史上最大規模の空間構造の歪みを検知。大規模アビス・ゲートの同時多発開放が確認された。ソラリス政府は衛士隊、都市保安隊に対し、緊急事態法に基づく最高位命令を発令した。全部隊は直ちに『第一種戦闘配備』に就け。市民は速やかに最寄りの地下シェルター、または第一種退避ブロックへ移動を開始せよ」


 リナはアラームが鳴り響いたコンマ一秒後にはベッドから飛び起き、戦闘服のジッパーを引き上げていた。五分前起床を義務づけていた彼女の身体は、極限の緊張状態を前にして完全に覚醒していた。


「みんな、起きて! 冗談じゃない規模のことが起きてる!」


 叫びながら隣のベッドを見ると、いつもなら生ぬるい夢の中にいるはずのモモが、すでに真剣な表情で大剣「イグニス・ゼロ」のグリップを握りしめていた。寝癖こそついたままであったが、その瞳には戦士の火が灯っている。


「隊長、言われなくてもわかってる。空の匂いが、おかしいもん」


 窓の外を見たアリアが、眼鏡の奥の瞳を限界まで見開いた。彼女の手にある情報端末は、限界を超えたデータ流入によって画面が激しく明滅し、赤色の警告文字で埋め尽くされている。


「……信じられません。上層、中層、下層のすべてのセクターで、空間の歪み係数が限界値を突破しています。これまでのアビス・ゲートが『水たまり』だとすれば、これは都市そのものを飲み込もうとする『大洪水』です。論理的予測を遥かに超えています」


 クロエは無言で白銀の槍を手に取り、その穂先が放つ微かなエーテルの光を確かめていた。彼女のストイックな横顔には、恐怖ではなく、冷徹なまでの闘志が宿っていた。


「準備はできているわ、リナ。いつでも行ける」


 四人がアイギス・タワーのロビーへ駆け下りると、そこはすでに怒号と悲鳴が渦巻く混沌の坩堝と化していた。


「第2部隊、直ちに出撃せよ! セクター04の防衛線を死守しろ!」


「第9、第13部隊は下層の動力ブロックへ! ゲートの直下だ、急げ!」


 ロビーを仮設の指揮所にした独立遊撃大隊の大隊長や参謀たちの叫び声が響く中、リナたちの視界に、使い込まれた双剣を腰に佩いたマヤの姿が飛び込んできた。第3部隊の隊長は、ノヴァの四人を見つけると、信じられないほど厳しい、しかしどこか祈るような眼差しを向けた。


「リナ! あなたたちも命令が出ているわ。担当はセクター15から18までの広域偵察および防衛! いい、これは今までの小競り合いとはわけが違う。生き残ることだけを考えなさい!」


「はい、マヤさん! 第3部隊も、ご無事で!」


「私たちの心配は要らないわ。いくよ、リリス、サラ、ルウ!」


 マヤの号令と共に、完成された戦士たちである第3部隊が光のように演習場を駆け抜けていく。その後ろ姿を見送りながら、リナは宿舎の出口へと視線を走らせた。

 そこには、訓練学校の制服を着たまま、青ざめた顔でエーテル補給カートリッジを運ぶ少女たちの姿があった。13歳から15歳の、まだ正規の衛士として認められていない、昨日までは安全な教室で講義を受けていたはずの候補生たちだ。

 実戦経験などあろうはずもない彼女たちが、後方支援の要員として過酷な戦場の最前線へと動員されていた。重い物資を運びながら、恐怖に足をもつれさせる後輩の姿を見て、モモが歯を食いしばる。


「あの子たちまで……。こんなの、絶対に許せない!」


「怒りは戦場でぶつけなさい、モモ。……行くわよ」


 クロエの言葉に促され、四人は自動扉を押し開けて地上へと飛び出した。

 そこにあったのは、もはや彼女たちの知るソラリスの街並みではなかった。

 見上げる空は、毒々しい紫色の暗雲によって完全に覆い尽くされ、人工太陽の光は完全に遮断されていた。空間の至る所に引き裂かれたような亀裂――アビス・ゲートが幾十にも群生し、そこから、まるで黒い雨のように、数千、数万という単位のヴォイドが街へと降り注いでいた。


ギィィィィィッ!


オォォォォォン!


 大気を激しく震わせる怪物の咆哮。

 それは、ソラリスという獲物を前にした、異次元の軍勢の歓喜の勝鬨のようだった。小型のスカベンジャー級がビルの壁面を黒い絨毯のように埋め尽くし、中型のプレデター級が翼のような触手を羽ばたかせて空中を回遊している。


「総員、戦闘開始!」


 リナの細剣が鞘から引き抜かれ、眩いエーテルの光が紫色の闇を切り裂いた。未曾有の侵攻、人類と異次元の怪物の、都市の存亡を懸けた総力戦の幕が、ついに切って落とされた。


「撃て! 撃て! 弾幕を絶やすな! 怪物どもを居住区に一歩たりとも近づけるな!」


 セクター15の広大な幹線道路。そこには、都市保安隊が築き上げた、鉄と硝煙の防衛線が存在していた。数百台の装甲車が文字通り「鉄の壁」として横一列に並び、その背後から、濃紺の戦闘服に身を包んだ数百人の保安隊員たちが、実弾兵器の限界に挑むかのような猛烈な射撃を敢行していた。


 ズガガガガガガガガガガガガ!


 ドドォォォォォン!


 絶え間ない重機関銃の発砲音と、装甲車に搭載された大口径機関砲の砲撃音が、街の空気を物理的に震わせ、鼓膜を破らんばかりに響き渡る。彼らの放つ曳光弾の軌跡が、紫色の闇の中に光の網を作り出していた。数千発の弾丸がスカベンジャー級の群れに直撃し、結晶の身体を火花と共に砕いていく。


「第2小隊、左翼のビルから降りてくる奴らを叩け! 対甲殻ロケット弾、用意!」


「民間人の退避、あと五分必要です! 第四防衛線、何としても維持しろ!」


 隊長たちの怒号が拡声器越しに割れ、無線機からは悲鳴に似た報告が絶え間なく流れ落ちていた。

 彼ら保安隊員には、衛士のようなエーテル兵装はない。怪物の核を完璧に消滅させる超常の力はないのだ。しかし、彼らには、この街で生まれ育ち、ここに愛する家族を持つ、一人の人間としての絶対の意地があった。


 実弾の嵐は、ヴォイドの群れを確実に足止めしていた。核を砕けずとも、四肢をなぎ払い、肉体を細切れにすれば、怪物の進軍を遅らせることはできる。彼らは己の命を燃料にするかのように、銃身が真っ赤に焼け落ちるのも構わず、ただひたすらに引き金を引き続けていた。市民の避難時間を稼ぐため、自分たちが肉の壁になることを受け入れた、決死の面制圧だった。


「保安隊の皆さん、私たちが援護します! アリア、同調準備!」


 戦域に滑り込んだリナが叫ぶ。


「了解! 『シンクロニシティ』、接続を維持。……データの投影を開始します!」


 アリアの眼鏡が青く輝き、四人の精神が再び一つに溶け合った。アリアの脳波から逆算された戦術データが、リナ、モモ、クロエの視界に直接ホログラムとして浮かび上がる。


「モモ、中央の密集地帯! 保安隊の火線が途切れる瞬間に、最大出力で!」


「任せとけってんだよぉぉ! 邪魔な奴らは、全員まとめて……消し飛べ!」


 モモが地面を蹴り、装甲車の頭上を飛び越えた。その小柄な身体が、大剣「イグニス・ゼロ」の生み出す狂暴なエーテルの光に包まれる。彼女が着地と同時に放った旋回斬りは、直径30メートルに及ぶ光の暴風となり、押し寄せていたスカベンジャー級の群れを文字通り「消滅」させた。


「次、右前方ビルの壁面! プレデター級2! クロエ!」


「……見えているわ」


 クロエの身体が一瞬で加速し、ビルの窓枠を足場にして垂直に駆け上がった。彼女の白銀の槍が、アリアの算出した「核の固有振動数」と完璧に同調する。


 シュッ、シュッ!


 静寂を貫くような二度の刺突。壁面に張り付いていた中型ヴォイドの胸部が正確に撃ち抜かれ、怪物は結晶の霧となって虚空に霧散していった。


「漏れた奴らは私が斬る!」


 リナが前線に躍り出た。アリアのデータが示す「敵の進行予測ルート」の交差点に立ち、細剣を流麗に振るう。彼女の放つエーテルの刃は、細剣とは思えないほどの範囲をカバーし、モモとクロエが撃ち漏らした小型のヴォイドを、吸い込まれるような正確さで次々と斬り伏せていった。


 衛士の超常的な武力と、保安隊の圧倒的な火力の融合。セクター15の防衛線は、この瞬間、完璧に機能しているかのように見えた。

 しかし、異次元の軍勢の本質は、戦術や技量をあざ笑うかのような「絶対的な物量」にあった。


キィィィィィィィン――。


 空気を引き裂くような高周波の音が、ソラリスの階層外殻を揺らした。

 上空に浮かぶ巨大なアビス・ゲートが、さらにその口を大きく広げたのだ。そこから吐き出されたのは、これまでの数倍の大きさを誇る、重装甲型のプレデター級の群れだった。それだけではない。地を埋め尽くすスカベンジャー級の数が、数千から数万へと、乗数的に膨れ上がっていく。


「……そんな、バカな」


 アリアの端末が、処理限界を超えて警告音を鳴らすのをやめた。画面に表示される敵の赤点が、もはや個数を識別できず、巨大な一つの赤い「染み」となってセクター全域を塗り潰していく。


「リナさん……! 敵の増援速度が、私たちの殲滅速度を完全に上回りました! 論理的計算が破綻します、この物量は……防ぎきれません!」


 アリアの悲痛な叫びと同時に、防衛線の左翼が沈黙した。一体の巨大なヴォイドが、保安隊の装甲車をその怪力で紙屑のように踏み潰したのだ。


「うわああああっ! 助け……」


 隊員の悲鳴が、機関銃の爆音にかき消される。防衛線の一角が崩れた瞬間、そこから黒い濁流のようにヴォイドの群れが雪崩れ込んできた。


「第3小隊、壊滅! 第二防衛線まで下がれ! 下がれ!」


「通信が出ない! 本部、聞こえるか!? こちらセクター15、応援を、うがあああっ!」


 無線機から流れる声は、次々とノイズへと変わっていった。激しい電磁障害と、物理的な通信アンテナの破壊により、ソラリスを網羅していた高度な通信ネットワークが、音を立てて崩壊し始めていた。


 混沌は、セクター15だけに留まらなかった。アリアの端末が辛うじて受信した断片的な情報によれば、隣接するセクター16、17、18でも、同様に保安隊の防衛線が次々と瓦解しているという。


「アリア! 大隊本部との連絡は!?」


 リナが迫り来るスカベンジャー級を蹴り飛ばしながら叫ぶ。


「ダメです! 広域通信網が完全に遮断されました。現在、私たちの無線は、このセクター内の極めて狭い範囲でしか繋がりません。他の部隊がどうなっているのか、どこに市民が残されているのか、全く状況が掴めないわ……!」


「孤立、したってことね」


 クロエが槍の穂先から緑色のエーテルを滴らせながら、冷静に、しかし険しい表情で言った。


「……上等じゃん。敵がどこにいるかわからないなら、目の前にいる奴らを全員ぶっ飛ばすだけだよ!」


 モモが叫び、再び大剣を構えるが、その腕には明らかな疲労の色が滲んでいた。いくら精神同調「シンクロニシティ」によって出力を高めているとはいえ、彼女たちの肉体は16歳の少女のものだ。絶え間ない重労働と、エーテル消費による精神的磨耗が、確実に彼女たちの体力を削り取っていた。


 周囲を見渡せば、かつて美しいパステルカラーの街並みが広がっていた居住区は、崩壊したコンクリートとねじ切れた鉄骨の山へと変貌していた。道路の至る所で保安隊の装甲車が激しく炎上し、黒煙が紫色の空へと立ち上っている。


「生存者を捜索しながら、セクター16へ移動するわ! ここにとどまるのは危険すぎる!」


 リナの判断は迅速だった。しかし、彼女たちが動き出そうとしたその瞬間、周囲のビル群の影から、信じられない数のヴォイドが這い出てきた。彼らはリナたちの退路を断つように、完全に路地を埋め尽くしていた。


ギィィィィッ!


 一体のプレデター級が、鋭い爪を振りかざしてアリアの頭上から襲いかかった。


「アリア!」


 リナが細剣を突き出すが、別のスカベンジャーの群れに阻まれて届かない。


「こっちに来るな!」


 その時、激しい銃撃音が響き、プレデター級の顔面が火花と共に弾けた。濃紺の戦闘服を着た、血まみれの保安隊員が、路地の角からアサルトライフルを乱射しながら飛び出してきたのだ。


「衛士の嬢ちゃんたち! こっちだ! この下に地下インフラ通路がある! 早く入れ!」


「でも、あなたたちは!?」


 モモが叫ぶ。


「いいから行け! 俺たちの仕事は、お前たちを死なせないことだ!」


 その隊員は、自らの身体を盾にするようにして、迫り来る怪物の群れに向かって銃を撃ち続け、リナたちを地下へのハッチへと押し込んだ。ハッチが閉まる直前、リナの視界に映ったのは、無数の怪物の影に飲み込まれていく、その無名の兵士の最後の姿だった。


「っ……!」


 暗い地下通路に転がり込んだ四人。

 鉄のハッチの向こうからは、激しい打撃音と怪物の咆哮がしばらく続いた後、やがて不気味な静寂が訪れた。


「……救えなかった」


 リナが拳を地面に叩きつけた。隊長としての責任、命の重さ。マヤから言われた言葉が、冷たい現実となって彼女の胸に突き刺さる。自分たちに超常の力があっても、目の前で血を流す人間一人を救えないことがある。その無力感が、四人の心を重く支配した。


「リナさん、落ち込んでいる時間はありません」


 アリアが、暗闇の中で微かに光る端末の画面を見つめながら言った。彼女の声もまた、震えていた。


「……この地下通路のマップデータを解析しました。この先は、セクター16広域避難シェルターの真下に繋がっています。しかし、そのシェルターの周辺で、異常な規模のエーテル反応が急増しています。……おそらく、敵の本隊がシェルターを包囲しています」


「避難した市民たちが危ないのね」


 クロエが槍を握り直した。


「……行くわよ。泣くのは、全員を守り抜いてからよ」


 リナは涙を拭い、立ち上がった。

 四人は暗い地下通路を、ひたすらに走り出した。地上から響く絶え間ない砲撃音と爆発音は、地下のコンクリート壁を通じて、彼女たちの足元を絶えず揺らし続けていた。自分たちが今、世界の終わりの渦中にいることを、その振動が否応なしに伝えていた。

 

 地下通路を駆け抜け、セクター16の地上へと這い出た第7部隊を迎えたのは、さらに凄惨さを増した地獄の光景だった。

 広域避難シェルター。そこは数万人の市民が身を寄せる、強固な爆破耐性を持つドーム状の建造物である。しかし、今やその白いドームは、数千体のスカベンジャー級によって黒く塗り潰されようとしていた。怪物の鋭い爪が、シェルターの外壁を不快な金属音と共に削り取っている。


「第1分隊、全滅! 第2分隊、弾薬が尽きるまで撃ち続けろ!」


 シェルターの正面玄関前。

 わずか数十人の都市保安隊の生き残りたちが、大破した装甲車の残骸をバリケードにして、最後の防衛線を張っていた。彼らの装備はすでに限界を迎えており、ライフルの銃身は熱で歪み、弾倉の底は突いて久しかった。それでも彼らは、背後にある扉――その向こうにいる民間人を守るためだけに、拳銃やナイフを構えて怪物に立ち向かっていた。


「モモ! 正面の密集地帯を一掃して!」


 地下口から飛び出したリナが叫ぶ。


「うおぉぉぉぉ! あたしたちの街を、これ以上壊すなぁあ!!」


 モモの悲鳴のような咆哮と共に、大剣「イグニス・ゼロ」が全出力で振り下ろされた。精神同調「シンクロニシティ」の限界値を超える負荷が彼女の細い腕にかかるが、モモは構わずに刃を地面へと叩きつけた。


ドガァァァァァン!


 衝撃波が地面を走り、シェルターに群がっていたスカベンジャー級の三分の一が、一瞬で木っ端微塵に吹き飛んだ。


「クロエ、左右のプレデター級を射ち落として!」


「……逃がさない」


 クロエの身体が、まるで白い雷光のように戦場を駆けた。残像を残しながら繰り出される槍の突きは、アリアが瞬時に算出した「敵の弱点座標」へと吸い込まれ、中型ヴォイドの核を次々と正確に撃ち抜いていく。


「衛士隊だ! 第7部隊が来てくれたぞ!」


 生き残っていた保安隊の隊長が、歓喜の声を上げた。彼らの瞳に、絶望から一転して希望の光が宿る。


「保安隊の皆さん、怪我人をシェルターの中へ! ここは私たちが食い止めます!」


 リナが細剣を振るい、生き残りの兵士たちをシェルターの内部へと押し込めた。彼女の剣撃は、精神同調の極限状態によって、自身の限界を超えた速度に達していた。迫り来るヴォイドの爪を弾き、その首を正確に刎ねていく。


 しかし、戦況の好転は一瞬だった。

 ソラリスのさらに上層、第三階層の外縁ブロックが、巨大な爆発と共に崩落したのだ。降り注ぐ瓦礫の雨と共に、これまでとは明らかに質の異なる、不気味なエーテル圧が戦場を支配した。


ズゥゥゥゥゥン……。


 アビス・ゲートの深淵からゆっくりと降りてきたのは、体長十メートルを超える、全身が漆黒の結晶装甲で覆われたプレデター級の上位個体――「重装甲プレデター(フェンリル型)」だった。その怪物の目は赤く怪しく光り、口元からは周囲の物質を腐食させる紫色の霧が漏れ出していた。


「……嘘、でしょ」


 アリアの端末が、最大級の危険警告を赤く点滅させる。


「リナさん! あの個体、体表のエーテル密度が通常のプレデター級の五倍以上あります! モモさんの薙ぎ払いでも、一撃で装甲を破るのは不可能です。……それに、敵の数が、また増えています!」


 怪物の咆哮と共に、シェルターの周囲の路地から、さらに数千のスカベンジャー級が溢れ出してきた。それは、人間の命を確実に刈り取るために最適化された、終わりのない絶望の軍勢だった。

 第7部隊の四人は、シェルターの扉の前に背中を合わせるようにして陣を組んだ。

 四人の制服は、すでに怪物の返り血と、コンクリートの粉塵によってボロボロになっていた。モモの腕は疲労で小刻みに震え、クロエの息も荒い。アリアの眼鏡にはヒビが入り、リナの細剣の切っ先は、絶え間ない戦闘の負荷によって微かに刃毀れを起こしていた。


「孤立無援。通信途絶。敵の数は無限。……論理的に言って、私たちの生存確率はゼロに近いです」


 アリアが眼鏡を押し上げ、冷徹な口調で言った。しかし、その声に恐怖はなかった。


「……でも、不思議ですね。私の脳内にある『シンクロニシティ』の回路は、全く諦めるという選択肢を提示していません。四人の精神が、まだ戦えると叫んでいます」


「あったりまえじゃん」


 モモが、震える腕で大剣を再び力強く構え直した。その顔には、最高に不敵な笑顔が浮かんでいた。


「……あたしたちは『ノヴァ』だよ? この街に由来する名前を持ってるんだから。ここで引いたら、あのパンケーキ、二度と食べられなくなっちゃうじゃん!」


「私も、同意見よ」


 クロエが槍を水平に構え、その眼差しをフェンリル型の怪物へと向けた。


「……私の槍は、あの分厚い装甲の奥にある、たった一つの核を貫くためにある。リナ、指示を」


 リナは、三人の背中の温もりを感じていた。

 かつて独りで抱え込んでいた重圧は、もうない。全滅への恐怖は、仲間への絶対的な信頼へと変わっていた。彼女たちがいる。だから、自分は隊長として、最高の指揮を執るだけだ。


「みんな……ありがとう」


 リナが細剣を真っ直ぐに掲げた。彼女の身体から、これまでにないほど純粋で、強烈な銀色のエーテルが溢れ出した。四人の精神が、限界を超えてさらに深く、深く同調していく。


「第7部隊、戦闘を開始する! 私たちがこの扉の前に立っている限り――ヴォイド(化け物)どもには、指一本触れさせない!」


 リナの凛とした声が響き渡る。

 紫色の暗雲が渦巻くソラリスの空の下、硝煙と鉄の臭いに満ちた泥濘の戦場で、四人の少女たちの死闘が、今、始まった。遠くからは、未だに都市保安隊の実弾兵器の砲撃音が途絶えることなく響き渡り、彼女たちの孤独な戦いを、地響きとなって支え続けていた。


 リナの細剣が放つ銀色の光は、暗黒に包まれたセクター16の戦場において、唯一の灯台のようになっていた。


「アリア! 敵の装甲の、最も薄い部分を特定して!」


 リナの鋭い声が、精神のリンクを通じてアリアの脳細胞を駆け抜ける。


「了解……! 脳波出力を最大限界オーバークロックまで引き上げます! ドローン、最後のエーテルを絞り出しなさい!」


 アリアの周囲を浮遊する三機のドローンが、過負荷による火花を散らしながら、フェンリル型の巨大な体躯をあらゆる角度からスキャンした。アリアの視界の中で、怪物の全身の3Dモデルが超高速で構築され、その結晶装甲の厚みが色分けされていく。


「見つけました! 右前脚の付け根、第三装甲プレートの隙間! そこだけ、結晶の密度が周囲より35パーセント低いです。……ただし、狙える時間は、怪物が前脚を振り上げる突撃の瞬間の、わずか0.2秒間だけです!」


「0.2秒……十分よ!」


 クロエが応じた。彼女の緑色のポニーテールが、戦場の突風に激しく揺れる。彼女の白銀の槍は、すでにアリアが示した「一点の座標」を完璧に捉えていた。


ギオォォォォォン!


 フェンリル型の重装甲プレデターが、大地を深く削りながら突撃を開始した。その巨体からは想像もできない速度。周囲のスカベンジャー級を自ら踏みつぶしながら、リナたちを目がけて突進してくる。怪物の右前脚が大きく振り上げられ、アリアの予言通り、装甲の隙間が一瞬だけ露出した。


「モモ! 敵の突進の軌道を右へ逸らして!」


「任せてぇぇぇ! これが、あたしの、全つっこみだぁぁ!!」


 モモが叫び、大剣「イグニス・ゼロ」を逆袈裟に振り上げた。彼女の両足のエーテルブースターが爆発的な推進力を生み出し、巨躯を誇る怪物の側面へと肉薄する。


ドカァァァァァン!


 モモの大剣が、フェンリル型の左側面の装甲へと強烈に叩き込まれた。結晶が砕け散る激しい金属音。モモの怪力と大剣の重量が、突進する怪物の質量に真っ向から干渉し、その進路を強引に数メートル右へと歪ませた。怪物の体勢が大きく崩れ、右前脚の付け根の弱点が、さらに大きく開く。


「クロエ、今よ!!」


 リナの合図と同時に、クロエの身体が消えた。

 彼女は走っていない。ただ、空間を跳躍したかのような一瞬の移動。彼女の白銀の槍は、一筋の細い、しかし極限まで凝縮された緑色の光の線となって、フェンリル型の装甲の隙間へと吸い込まれていった。


シュゥゥゥゥゥン!


 弾けるような硬質な音が響いた。クロエの槍は、怪物の巨大な肉体を正確に貫通し、その最深部に隠されていた、通常のプレデター級の数倍の大きさを誇る「漆黒のコア」を一撃で粉砕した。


……ガ、ギ、ガガガ……ッ!?


 フェンリル型の怪物が、断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体を内側から崩壊させていった。黒い結晶の装甲が剥がれ落ち、膨大なエーテルの霧となって四散していく。


「やった……!」


 アリアが歓喜の声を上げる。しかし、戦場は彼女たちに一息つく余裕さえ与えなかった。


ギィィィィィッ!


オォォォォォン!


 首領を失ったはずのスカベンジャー級の群れが、恐怖を感じるどころか、さらに狂暴性を増してシェルターの扉へと押し寄せてきた。その数は、依然として数千を超えている。フェンリル型を倒すために全力を使い果たしたモモとクロエは、その場に膝を突いていた。モモの大剣はエーテル切れを起こして鈍い鉄の色に戻り、クロエの槍も光を失っていた。


「前衛は下がって! ここは私が維持する!」


 リナが細剣を構え、一人で怪物の濁流の前に立ちはだかった。


「リナさん、一人では無理です! 敵の密度が限界を超えています!」


 アリアの警告。しかし、リナの瞳には、諦めの色は一切なかった。


「無理じゃない! 私は第7部隊の隊長よ! みんなの命を預かった、戦士なんだから!」


 リナの細剣が、銀色の美しい奇跡を描いた。彼女は自身の持つすべてのエーテルを細剣の刀身へと注ぎ込み、押し寄せるスカベンジャー級の首を、腕を、核を、神がかった速度で斬り裂いていった。一連の剣撃は、精神同調によって仲間の意志を吸収し、彼女自身の限界を遥かに超えた「絶技」へと昇華されていた。


 十体、二十体、五十体。リナの周囲には、ヴォイドの死骸である結晶の破片が山のように積み上がっていく。しかし、怪物の数は減らない。路地の奥から、次々と新しい影が湧き出してくる。

 リナの白い頬に、怪物の紫色の返り血が飛び散る。彼女の制服の袖が裂け、鋭い爪が彼女の肩口を掠めて赤い血が滲む。


「くっ……、まだ……、私は、倒れない……!」


 細剣を振るう腕が、鉛のように重くなっていく。視界が血の混じった汗で歪む。それでも、リナは一歩も引かなかった。彼女の背後にあるのは、数万人の民間人が怯えるシェルターの扉だ。そして、自分の後ろには、傷つきながらも自分を信じてくれている、大切な三人の仲間がいる。その事実だけが、彼女の限界を超えた肉体を動かし続けていた。


「リナ……! もうやめて、それ以上エーテルを使ったら、あなたの精神が焼き切れるわ!」


 クロエが叫び、立ち上がろうとするが、足が言うことを聞かない。


「隊長、あたしも……あたしもまだ戦えるから……!」


 モモが必死に大剣の柄を握り直すが、その指先は疲労で激しく震えていた。

 怪物の群れが、リナの防陣の隙を突いた。三体のスカベンジャー級が、リナの死角から同時に跳躍し、その鋭い牙を彼女の首元へと向けた。


(――ここまで、なの?)


 リナの意識が、一瞬だけ遠のきかけた、その時だった。


挿絵(By みてみん)


 ドドドドドドドドドドドドドド!


 ズガァァァァァン!


 突如として、リナの頭上を越える激しい銃撃の雨が、跳躍していたスカベンジャー級を空中で木っ端微塵に粉砕した。それだけではない。シェルターに続く大通りから、猛烈な勢いで迫る実弾の火線が、リナを包囲していた怪物の群れを次々と一掃していった。


「第7部隊! よくぞここまで持ちこたえてくれた! これより、都市保安隊・第14中隊が、シェルターの防衛を引き継ぐ!」


 路地の角から現れたのは、何十台もの半壊した装甲車と、その車上に据え付けられた重機関銃を狂ったように連射する、泥と血にまみれた保安隊員たちの増援部隊だった。彼らは通信が途絶した混沌の都市を、実弾の音だけを頼りにして、生存者を求めてここまで戦い抜いてきたのだ。


「生き残りを救出せよ! 衛士の嬢ちゃんたちを護衛しろ! 弾がなくなるまで撃ち尽くせ!」


 中隊長の怒号と共に、保安隊の圧倒的な実弾の弾幕が、再び戦場に鉄の壁を築き上げた。


「……あ……」


 リナは細剣を握ったまま、その場にゆっくりと崩れ落ちた。限界を迎えた彼女の肉体から、銀色のエーテルが霧のように消えていく。


「リナ!」


 モモとクロエ、そしてアリアが、這うようにしてリナの元へと駆け寄り、彼女の小さな身体を抱きとめた。


「みんな……無事、だよね……」


 リナは微かな声で呟き、三人の顔を見つめた。


「うん、無事だよ! 隊長が守ってくれたんだもん!」


 モモの目から、大粒の涙が零れ落ち、リナの頬を濡らした。クロエも、その厳しい表情を崩し、リナの手を強く握りしめていた。


「見事な指揮だったわ、リナ。あなたは、最高の隊長よ」


 アリアが、ヒビの入った眼鏡を拭いながら、静かに微笑んだ。


「生存確率ゼロの計算を、あなたたちの意志が覆しました。……完璧な、防衛成功です」


 頭上を見上げれば、紫色の暗雲の隙間から、ソラリスの上層階層の街灯が、まるで遠い星々のように微かに瞬いていた。地上では、保安隊の実弾兵器の乾いた発砲音が、未だに途絶えることなく怪物の群れを駆逐し続けている。


 通信は途絶え、セクターは孤立し、自分たちの戦いは、まだ誰にも知られていない。しかし、第7部隊「ノヴァ」の四人の心は、深層のリンクを通じて、かつてないほどに強く、一つに結ばれていた。

 未曾有の大侵攻。その破滅のカウントダウンの渦中で、少女たちは確かに、消えることのない希望の光を灯し、生き残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ