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エーテル・ガーズ ―ソラリス衛士隊戦記―  作者: 白黒鯛
本編 第7独立遊撃部隊〈ノヴァ〉

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★第7話 星空の下の安らぎ

 衛士隊専用宿舎「アイギス・タワー」に、今朝は警報音が響かなかった。


 通常、衛士隊の隊員たちには一週間に二日の休日が与えられている。しかし、それは「待機休日」と呼ばれるものであり、アビス・ゲートの発生やヴォイドの出現といった緊急事態には、いかなる時でも短時間で出撃可能な状態で備えていなければならない。事実上の自室待機に近い。

 そんな中、月に一度だけ、臨時出撃の義務さえも完全に免除される「完全休養日」が存在する。


 午前5時55分。

 リナはいつものように、目覚まし時計が鳴る五分前に目を覚ました。しかし、視界に入ったのは制服の襟元ではなく、クローゼットの奥から引っ張り出してきた淡い水色のワンピースだった。今日はあの重いエーテル兵装を手にする必要も、指揮官としての重圧に胃を痛める必要もない。


「……そうだ。今日は、お休みなんだ」


 リナは小さく独り言をつぶやき、深い安堵と共にベッドの上で手足を伸ばした。

 隣のベッドでは、モモが「特大肉まんなぎ払い……」と妙な寝言を言いながら熟睡している。

 クロエのベッドは既に空だった。彼女のことだ、完全休日であっても宿舎のジムで体を動かしているに違いない。

 アリアは時間ぴったりに起きるため、まだ規則正しい寝息を立てている。それでもあと五分すればしっかり目覚めるのだから、その正確さはもはや芸術の域に達しているなとリナは苦笑した。


 四人が宿舎のロビーに集まったのは、それから二時間後のことだった。


「みんな! 見て見て、この日のために買った新しいスニーカーなんだよ!」


 モモが明るい黄色のパーカーにショートパンツ、そして自慢の靴を跳ねさせて笑う。


「……似合っているわよ。私は、動きやすさ重視だけど」


 クロエは黒のライダースジャケットにスリムなパンツという、彼女らしいクールな私服姿だ。


「リナさんのワンピースも素敵ですね。アビス・ゲートの活性予測も今日は最低値。論理的に考えて、最高の一日になるはずです」


 アリアはフリルがあしらわれたブラウスにロングスカートという、お嬢様のような装いだった。


 彼女たちは都市の交通網であるリニア鉄道に乗り込み、ソラリスの上層セクター9にある巨大な商業施設「ソラリス・グランドプラザ」へと向かった。

 セクター9は豊かな人工植栽が広がり、空を覆う階層構造の隙間から、本物に近い日光が降り注いでいる。


挿絵(By みてみん)


「わあ……すごい人!」


 モモが感嘆の声を上げた。ショッピングモールは、休日を楽しむ家族連れやカップルで溢れ返っていた。

 そこには、自分たちと同じ年頃の少女たちが、恋バナに花を咲かせながら歩いている。

 父親の肩車に乗って笑う幼い子供がいる。老夫婦が仲睦まじくベンチで休んでいる。


「不思議な気分ね。昨日も、あんなに血なまぐさい場所で戦っていたのに」


 クロエが、噴水広場で遊ぶ子供たちを見つめながら呟いた。


「……ええ。私たちが命を懸けて守っているのは、この『当たり前』の光景なんだって、改めて思うわ」


 リナは、手すりに手を置いてその喧騒を胸に刻んだ。


「おセンチなのはそこまで!さあ、まずは腹ごしらえだよ!あそこのパンケーキ屋さん、限定メニューがあるんだって!」


 モモが三人の手を引いて走り出す。

 フードコートでの食事は、戦場でのレーションや宿舎の計算された食事とは全く別物だった。


「この生クリーム、エーテル出力最大級のボリュームだね!」


 モモは自分の顔より大きなパンケーキを頬張り、幸せそうに目を細めている。


「……モモ、口の横にクリームがついているわよ」


 そう言いながら、クロエが不器用な手つきでナプキンを差し出す。彼女もまた、普段の鋭い眼光を緩め、香りの良いダージリンティーを楽しんでいた。


「リナさん、このモールの購買データによると、最近はパステルカラーの雑貨が流行のようです。一つ、お揃いで買いませんか?」


 アリアがタブレットを閉じ、珍しく少女らしい提案をした。


 その後、四人は雑貨店で星の形をしたお揃いのキーホルダーを買い、映画館で人気の恋愛映画を観て涙し、ゲームセンターでモモが怪力ゆえにクレーンゲームのレバーを壊しかけるという騒動を起こした。


 夕暮れ時、彼女たちはモールの屋上庭園にある展望デッキにいた。

 そこからは、人工太陽がゆっくりと沈み、都市の灯火が星のように瞬き始める光景が見えた。


「ねえ、隊長」


 モモが、手すりに寄りかかりながら遠くを見つめて言った。


「あたしたち、いつかヴォイドがいなくなったら、何をするのかな」


 リナはその問いに、すぐには答えられなかった。

 衛士として選ばれた時から、彼女たちの人生は「戦うこと」が前提となっていた。十六歳の少女が抱くべき夢や未来は、アビス・ゲートという裂け目の向こう側に吸い込まれてしまったかのように思えていたからだ。


「……私は、旅をしてみたいわ。ソラリスの外にあると言われる、本当の海を見てみたい」


 クロエが静かに言った。


「私は、もっと勉強したいです。戦術計算のためではなく、この世界の成り立ちを知るための科学を」


 アリアが眼鏡を直し、夜空を見上げた。


「あたしはね、世界中の美味しいものを食べ尽くすの!で、最後はパパとママと一緒に、のんびり暮らすんだ」


 モモが笑う。


「……私は」


 リナは三人の横顔を見た。戦場では頼もしい戦士。でも、ここではどこにでもいる、ただの16歳の女の子たち。


「私は、ずっとみんなと一緒にいたい。戦うためじゃなくて、こうして美味しいものを食べて、笑い合うために。そんな毎日がずっと続く世界を、自分の手で作りたい」


 リナの言葉に、三人が微笑んだ。

 その瞬間、遠くの空に小さな、光の尾を引く「流れ星」が見えた。それは本物の彗星か、あるいは都市の排熱処理による光の屈折かもしれない。しかし、四人は同時にその光を追い、心の中で同じことを願った。


「さて、そろそろ帰りましょうか。明日は午前9時から特別演習よ」


 リナが背筋を伸ばし、いつもの「隊長」の声に戻る。


「げぇっ! せっかくの余韻が台無しだよー!」


 モモが大げさに肩を落とし、クロエとアリアがくすくすと笑う。


 宿舎へ向かう帰りのリニアの中で、四人はいつの間にか互いに寄り添って眠りについていた。

 リナの膝の上には、今日買ったお揃いのキーホルダーが、リニアの振動に合わせて小さく揺れている。

 明日からは、また過酷な現実が始まる。

 アビス・ゲートは開き、ヴォイドは彼女たちの命を狙い、都市の平和を脅かし続けるだろう。

 だが、今の彼女たちにはわかっている。

 守るべきものは、大仰な理念や正義ではない。

 今日食べたパンケーキの甘さや、映画を観て流した涙、そして隣で笑う仲間の体温。

 そんな小さな「日常」こそが、彼女たちの最強の盾であり、ヴォイドを穿つ鋭い剣になるのだということを。


 ソラリスの夜は更けていく。

 少女たちの束の間の休息は終わりを告げ、再び戦いの幕が上がろうとしていた。

 しかし、その表情にはもう、迷いも絶望もなかった。

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