第二十章 クライマックス、世界をシールする
辺境に戻ったのは、王都を、出てから、五日後だった。
辺境伯邸の城門で、ヴァレリアが、俺たちを、迎えた。
ヴァレリアの顔色が、悪かった。
ハインリヒの葬儀の、直後だった。
「親方」
ヴァレリアが深く頭を下げた。
「父上は、最後まで親方を、待っていました」
「すまない」
俺は、短く答えた。
「もう少し、早く、戻っていれば」
「いえ」
ヴァレリアが、首を、横に、振った。
「父上はご自分の寿命を知っていました。親方を責めるようなお方では、ありませんでした」
俺は、ヴァレリアの目を見た。
剣聖の目では、なかった。
父を、亡くした、娘の、目だった。
「ヴァレリア」
「はい」
「ハインリヒ、辺境伯、引き継いだのか」
「はい。私が新たに辺境伯を預かります」
「では、世界の壁の補修作戦、君が辺境の現場の責任者だ」
「畏まりました」
ヴァレリアが、深く頷いた。
その目に、剣聖の強い光が戻った。
俺はノートを開いた。
そして、辺境の防壁の最大の亀裂の位置を、ヴァレリアと確認した。
そこに、世界の壁の最深部への入口がある、とコーデックスに書かれていた。
「ここから、世界の壁の、最深部に、入る」
俺は、ヴァレリアに、説明した。
「最深部、何が、あるのですか」
「コーデックスによれば、巨大な亀裂が、ひとつ、ある」
俺は、短く答えた。
「それを、塞げば、世界の漏れの根本が止まる」
ヴァレリアが息を止めた。
「親方、それは」
「死ぬ覚悟、要るかも、しれない」
俺は、低い声で、言った。
「コーデックスには、最深部のシールは、職人と聖女の命を削ると書かれている」
リネットが、隣で、頷いた。
「私、命、賭けます」
「いや、命は、賭けない」
俺は首を振った。
「俺と、リネットの命を最大限削らないで、シールする方法を、コーデックスから読み込んだ」
俺はノートを開いた。
「リネットの血、必要なのは本当に数滴。俺の職人の技術、必要なのは二時間の施工」
「二時間」
「コーデックスに書かれた儀式の時間だ。それを、超えると、瘴気の汚染が深刻になる」
ヴァレリアが頷いた。
「親方、二時間、私が、護衛します」
「頼む」
俺は、短く答えた。
翌日、世界の壁の最深部への入口が開かれた。
防壁の最大の亀裂の奥に、地下への階段があった。
階段は、千年、誰も降りていなかったと、ヴァレリアが説明した。
俺はその階段を降り始めた。
リネットが、後ろに、ついた。
ヴァレリアが、剣を抜いて、最後尾に立った。
ガイは、防壁の上で本部の待機を命じた。
地下の、空気は、濃い瘴気で、満ちていた。
息をするだけで、肺が、重くなる、感覚だった。
リネットの聖魔法で、瘴気を、押しのけながら、進んだ。
階段の深さは、五十メートル、を、超えた。
地球のビルの、十五階分の、地下だった。
階段の壁の、石材に、千年前の職人のコテの跡が残っていた。
俺はそのコテ跡を、指で、なぞった。
千年前の職人がここを降りるとき、同じ壁の石材にコテで目印をつけた。
その目印を伝って、千年後の俺が、同じ場所に降りていく。
職人の技術というのは、こんな形でも引き継がれる。
「親方」
リネットが、呟いた。
「これ、見て、ください」
リネットが、壁のある石材を指差した。
そこに、古い文字で、何か、書かれていた。
「次の職人へ。最深部の亀裂、必ず塞いでくれ。千年後、また漏れが出る可能性がある。」
リネットが、訳した。
俺はその文字に、しばらく、手を当てた。
千年前の職人の声だった。
俺はノートを開いた。
そして、その隣に、自分のコテで印をつけた。
「次の職人へ。最深部、塞いだ。次の千年、頼む。」
俺は、短く、書いた。
それで、十分だった。
最深部に辿り着くと、目の前に巨大な亀裂があった。
長さ、十メートル。
幅、二メートル。
奥行き、見えない。
その亀裂から、瘴気が不気味に噴き出していた。
「これが」
俺は息を呑んだ。
「世界の壁の、本物の漏れ、だ」
俺はノートを開いた。
コーデックスの、最終工程のページを開いた。
「リネット」
「はい」
「血、用意してくれ」
リネットが頷いた。
針で、自分の指を刺した。
赤い血が、銀の杯に、落ちた。
それは、聖女判定の儀式のときと、同じ淡い緑の光を、放った。
俺はその血を、ウレタンの、主材に、混ぜた。
主材が、緑に、光り始めた。
俺はその光る、主材を、亀裂に流し込み始めた。
亀裂は、深かった。
主材が底に届くまで、長い時間がかかった。
俺はノートを見ながら、コーデックスの手順をひとつずつ確認した。
撹拌、流し込み、層の調整、表面の整え。
地球のウレタン防水の、施工と、まったく、同じ手順だった。
ただ、規模が、桁違いだった。
地球で最大級の補修というと、十平米くらいだった。
しかし、目の前の、亀裂は、十メートル、を、超えていた。
俺はコテを握り直した。
岩木さんから、受け継いだ、コテだった。
地球から、転生してきた時、なぜかこのコテだけは、手に、握ったまま、来た。
その、コテが、今、千年前の職人の仕事を引き継いでいた。
俺は、ゆっくり、コテで、主材を、整えていった。
リネットが、横で、聖魔法で、補助した。
リネットの声が、低く、聞こえてきた。
聖魔法の詠唱だった。
その、詠唱が、ウレタンの、化学反応を、促進し、瘴気を、押し戻した。
千年前の、職人と、聖女が、二人で、立っていた、その、場所に、今、俺と、リネットが立っていた。
二時間、俺は、無言で、働き続けた。
汗が、目に入った。
腕が震えた。
それでも、手は、止めなかった。
リネットが、横で、聖魔法で、補助した。
ヴァレリアが、後ろで、剣を抜いて、立っていた。
二時間後、亀裂の、表面が、ようやく固まった。
俺は、コテで、最後の整えを、した。
「シール、確認」
俺は、低い声で、呟いた。
地球の現場で、最終確認の、時にいつも口に、出す、言葉だった。
その瞬間。
世界が、静まった。
地下の、瘴気の噴き出しが止まった。
辺境の防壁の亀裂がゆっくり緑の光で、満たされた。
そして、世界の壁、本体の、千か所の、漏れが、同時に塞がれていく、のが、なぜか感覚で、わかった。
リネットが息を呑んだ。
「親方、世界、塞がりました」
「ああ」
俺はゆっくり頷いた。
「シール、完了、だ」
俺はコテを置いた。
そして、亀裂の、表面に、手を当てた。
固い、ウレタンの、感触だった。
地球の屋上の塞ぎ、と、同じ感触だった。
職人の仕事だった。
リネットが、俺の隣で、ぽろぽろ泣いた。
「親方」
「リネット」
「世界、救いました」
「君が、救った」
俺は、短く答えた。
「君の、血が、なかったら、塞がらなかった」
「いえ、親方の、コテ、が、なかったら」
「両方、要る」
俺は頷いた。
「コーデックスの、通りだ。聖女の血と、職人の手」
ヴァレリアが、後ろから、片膝をついた。
「親方、リネット殿、お疲れ様、でした」
ヴァレリアの声が震えていた。
「ヴァレリア」
「はい」
「立て」
俺は、短く言った。
「君は、辺境伯だ。剣聖だ。膝、ついたら、いけない、立場、だ」
ヴァレリアが、ゆっくり立ち上がった。
その、頬を、涙が伝っていた。
「親方、父上、見ていますね」
「見てる」
俺は、短く答えた。
「ハインリヒ、辺境伯、君の仕事を見て、誇らしいと思っている」
ヴァレリアが、深く頷いた。
俺たちは、地下の、階段をゆっくり登り始めた。
登るたびに、空気が、軽くなった。
瘴気の匂いが薄れていった。
途中で、俺は、千年前の職人のコテ跡の、隣に、もう一度、自分の、印を、つけた。
そこに、新しいメッセージを書いた。
「俺、和泉守、二〇二六年の、職人。世界の壁、最深部、塞いだ。」
書きながら、ふっと笑った。
二〇二六年、と、書いた。
地球の暦だった。
ここの、世界の、人間には、たぶん意味の、わからない、年号だった。
それでも、俺は、地球の年号で、書きたかった。
千年後の、職人が、見たとき、地球から、来た、職人の印、と、わかるように。
俺はノートにコテ跡の、写しを書きとめた。
そして、階段を、登り続けた。
防壁の上に戻ると、ガイが、走り寄ってきた。
「親方、世界、変わった」
ガイの声が、興奮していた。
「防壁の亀裂、全部、ふさがってる」
俺は、防壁を見上げた。
そこに、もう黒い亀裂は、なかった。
代わりに、淡い緑の光が、防壁を、覆っていた。
それは、リネットの聖魔法の色だった。
俺はノートを開いた。
そして、書きとめた。
「世界の壁、最深部のシール、完了。表層の、漏れ、千か所、同時に塞がれる、現象、確認。」
書きながら、俺は深く息を吐いた。
地球の岩木さんが、生きていれば、今の、現場を見せたかった。
「岩木さん、世界、塞ぎました」
俺は心の中で、呟いた。
岩木さんは、たぶんふっと笑って、こう、答えるだろう。
「守、よくやった」
それだけ、で、十分だった。




