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EP.6 殺戮機構

真っ黒な大地と空を、赤く染まった地平線が切り裂いてゆく。

それはまるで体の傷口が開いていくような、そんな残酷な情景に見えた。


ふと、刺し殺した少女が頭をよぎる。

指先に残る肉を断つ感触。飛び散った生暖かい飛沫。だが、あんなに近くで見たはずの彼女の顔を、俺はもう思い出すことができない。輪郭は熱砂の陽炎に溶け、残っているのはただ、拭い去れない赤い残像だけだった。


———どうでもいい。


記憶を頭の隅に無理やり押し込み、俺はただ、目の前の夜明けを見つめた。

心臓の鼓動を感じながら。


「なに恐い顔してるの」不意に投げかけられたアナの声が、俺を無理やりこの見張り台へと引き戻した。

 

琥珀色のゴーグル越しに見える彼女の横顔は、昇り始めた陽光を浴びて、毒々しいほどに赤く縁取られている。


「なんでもない」俺は短く、鉄板を叩くような乾いた声で答えた。


「隠し事は嫌い。———ここでは嘘をつかないで」アナは前を見据えたまま、歌うような、それでいて冷酷な声音で言った。

 

一人の不穏な影が、一派全員を死に追いやることを彼女は知っている。翡翠色の瞳が、俺の仮面の裏側を透かし見ようとしているのを感じた。


「なんでもないんだ」繰り返された俺の言葉は、砂塵に混じって虚空へと消えた。


「———あっそ」興味を失ったのか、あるいはこれ以上踏み込む価値がないと判断したのか。アナは素っ気なく鼻を鳴らした。


船体の震動が一段と強まり、マストが悲鳴を撒き散らす。

 

瞬きを繰り返すたび、太陽は重力を振り払うように高度を上げ、砂漠の輪郭を描き出していった。南から吹きつける風は、牙を剥くようにその勢いを増し、激しくローブを叩く。

 

アナは乱れる銀髪とローブを片手で押さえながら、短く言い放った。


「そろそろよ」


その声には、剥き出しの刃のような鋭さはなく、どこか幼い無邪気さが混じっていた。

 

彼女の言葉を合図にしたかのように、甲板からスカベンジャーたちの野太い怒号が微かに響く。刹那、朝日に溶け込むような朱色の帆が、一斉に解き放たれた。

 

砂上船の巨体を飲み込むほどの巨大な布が何層にも連なり、強烈な南風をその懐へと抱き込む。完璧な弧を描いて膨らんだ朱の翼が、鉄の獣を砂の海へと解き放った。


爆発的な加速。

二枚の巨大なブレードが砂漠の表皮を切り裂き、砂上船は北へと猛進を開始した。俺たちが通り過ぎた軌跡には、砂の海を深くえぐった巨大な裂け目が、消えない傷跡のように刻まれていく。


甲板のソーラーパネルが、昇り詰めた太陽の光を凶器のように反射した。気が付くと、それまで船体を揺さぶり続けていたエンジンの重低音が、ふっと消失した。


砂上船は風に背を押されて、波打つ砂漠を越えてゆく。きっと、大昔の船もこんなふうにして海を越えていたのだろう。


俺は船首のずっと先の砂漠で輝いている、小さな光の集合体をぼんやりと見つめた。

やがて意識は遠くなり、身体は風と一体化した。呼吸が深くなり、全身が軽くなった。頭の裏に渦巻いていた雑多な考えは消えさって、ただただ透明で心地の良い感覚だけが残った。


ずっとこうしていたいと強く思った。

だが、鈍い衝撃が頬を走り、俺を呼ぶ怒号が次第に質量を帯びて迫ってくる。


「おい、おいっ、ファーリス。ぼーっとしてんじゃねえよ」

 

サウルの声か。


——違う。

 

叩きつけられる衝撃で目が開いた。そこにいたのはダンカンだった。


「エド、———起きるんだ、エド」


叩かれた皮膚に、じりじりと焼けるような熱が残る。

ダンカンの声が、夢の残像を容赦なく振り払った。視界が再び焦点を結び、鉄の匂いと風の咆哮が、俺をここに繋ぎ止めた。


「まったく」呆れたダンカンの声が降ってくる。「砂漠に呑まれそうになってたぞ、お前。———いいから、さっさとマスクを付けろ」


強引に押し当てられた防塵マスクの硬い感触が、俺の顔を乱暴に圧迫した。肺が溺れかけた男のように必死で空気を貪る。マスクのフィルターを通り抜ける熱い呼気が、遠のいていた意識の輪郭を現実の色へと鮮明に塗り直していった。


「信じられない。アンタ、何してるのよ」


隣ではアナが、理解不能な生き物を見るような刺すような視線で俺を睨んでいた。その翡翠の瞳に宿る苛立ちは、一歩間違えれば死に直結するこの場所での油断に対する、剥き出しの拒絶だった。


星降りの砂漠———そこから風に乗って流れてくる砂を、決して肺に入れてはならない。それは、この乾いた大地を這いずり回るスカベンジャーなら、乳離れする前に血肉へ叩き込まれるべき鉄則だ。だというのに、俺はその初歩的な、そして致命的な禁忌を、あろうことか記憶の断層から完全に脱落させていた。


ダンカンは重苦しい溜息を一つ吐き出すと、低い声で告げた。


「ラリっていたところを邪魔して悪いが、ウスマンがお呼びだ。下へ降りろ」


俺は短く頷き、感覚の抜け落ちた両足に強引に命令を下して立ち上がった。脳の芯には未だ白く濃い霧が立ち込め、焦点がうまく定まらない。防塵マスク越しに一度だけ深く、熱い空気を吸い込んだ。肺を満たす酸素の刺激でエドという仮面を歪みなく被り直し、俺は平然を装って見張り台の縁を掴んで、梯子を下った。


鉄の甲板は、這いずり回るスカベンジャーたちの熱気で膨れ上がっていた。

各々が自分の持ち場で必死に働き、怒号を交えながら船を制御している。だが、俺がマストから降り立った途端、その喧騒に冷ややかな亀裂が走った。


『三人分の代わり』をうそぶいた新参者———その品定めをするような視線が、錆びた鉄のように俺の背中に突き刺さる。彼らは露骨に作業の手を止め、隠そうともしない低い囁きを波紋のように広げ始めた。


奴らのねばつく視線を意識の外へ追いやり、俺は甲板を真っすぐ踏みしめた。目指すのは、ウスマンの私室。他人の評価など、風向き一つで崩れる脆い砂山のようなものだから、いちいち気にするだけ時間の無駄でしかない。


だが、厄介な現実は向こうから歩み寄ってきた。

五人の男が壁のように行く手を阻む。その濁った瞳には、明確な敵意と、退屈を紛らわすための火種を求める卑屈な光が宿っていた。


「どこへ行くんだよ、新入り」

「俺たちと、仲良くしようぜ」

 

下卑た笑いを含んだ声が俺を囲い込む。

俺は喉の奥までせり上がってきた呪詛を強引に噛み殺し、湿った鉄のような声で吐き捨てた。


「———チッ、どけ」


「おいおい、聞いたか今の」


一人の男が、重い腕を強引に俺の肩へと回してきた。鼻を突く安煙草の臭いと、獣じみた体臭が防塵マスクのフィルターを越えて侵入してくる。


「俺たちはよ、お前と仲良くしたいだけなんだぜ? なあ、水臭いこと言うなよ」


「邪魔だ」ダンカンの、地鳴りのような低い声が割って入った。


彼は俺にまとわりついていた腕を、丸太のような太い腕で無造作に叩き落とし、チンピラを突き飛ばした。不意を突かれた男は、鉄の甲板に無様に手をつき、鈍い金属音が響いた。


「ってぇな。何しやがる、ダンカンてめえ」男は這いつくばったまま、毒蛇のような視線でこちらを睨み上げ、唾を吐き捨てた。「裏切り者の子分が、いつまでも調子に乗ってんじゃねえぞ」


その言葉を向けられたダンカンの表情は、石像のように硬く凍りついた。だが、彼は一歩も引くことなく、威圧的に言い放った。「ウスマンがこの新入りを呼んでいる。———失せろ、虫けら共」


空気がまるで時間が止まったかのように張り詰めた。

ハイエナの巣に放り込まれたような、そんな感覚がして、俺とダンカンだけが世界から切り離されたようだった。立ち塞がる五人の男だけではない。この鉄の甲板を埋め尽くす全員が、俺たちの喉笛を狙う敵だった。


けれど、ウスマン。

その名という絶対的な呪縛に、公然と牙を剥ける狂人はここにはいない。


嘲笑、憎しみ、侮蔑、そして薄皮一枚の下に潜むどろりとした殺意。それらが入り混じった視線をそのままに、チンピラたちは不快な沈黙を保ったまま道を開けた。


俺とダンカンは、喉の奥に広がる拭い去れない苦汁を噛みしめたまま、再び床を踏み出した。


敵意というのは重く粘着するもので、一度肌に触れれば、どれほど強く拭ったところで、その呪わしい感触が消えることはない。飢えた獣の巣窟を容易く通り抜けられるほど、ここは甘い場所ではなかった。


不意に、俺の左足に硬い何かが食い込んだ。群れの中から突き出された、誰かの足だ。

回避しようとしたが、身体は俺の意思を裏切った。いつもより重い義手が制御を失った碇のように重心を一気に奈落へと引き摺り下ろす。

 

視界が激しく反転した次の瞬間、俺の身体は逃げ場のない硬い床へと無残に叩きつけられた。

 

全身に広がる鈍い衝撃と、鼓膜にへばりつく卑俗な嘲笑。それが、俺の底流にある冷静さを容赦なく打ち壊した。視界が赤く染まり、境界線が溶けていく。自分が何者であるかさえ曖昧になるほどの感覚。腹の奥底でドロドロと煮えたぎる熱が、理性を焼き切り、俺の脳を致命的にショートさせた。


「おい、何をしてるんだお前」背後で響いたはずのダンカンの怒号は、もはや意味をなさない。それは、嵐の中に紛れ込んだ羽虫の羽ばたきのように、か細く、無価値な音として俺の意識の端を掠めて消えた。


———どうとでもなれ。


肉体の深層に埋設された『殺戮機構』が音もなく動き出すのを、俺の脳は辛うじて知覚した。

それだけだった。


胸元のホルダーへ伸びた右腕は、一切の淀みなく短剣の柄を掴み、引き抜く。

重い義手の慣性さえも加速に変えたその一撃は、放たれた矢のごとき速度で空間を貫いた。俺を転ばせて浅ましい勝利感に浸って笑い転げている男の喉元へ、死の切っ先が、瞬く間に肉薄した。


視界は異常なほど冴え渡っていた。

男の首筋を走る脈動、皮膚の下で収縮する筋肉の微細な震え。そのすべてが、明確な情報として脳内へ流れ込んでくる。


男の骨盤が旋回を始めたのを、俺の網膜は見逃さない。腰から始まった回転が、連動して脚へと伝わる。男は、俺が放った必殺の一撃を紙一重で回避した。行き場を失った短剣が、空虚な大気を鋭く切り裂く。


だが、混乱はない。一撃目は、相手の体勢を崩して次で確実に殺すための布石に過ぎない。俺は虚空へ突き抜けようとする短剣を強引に引き戻し、重心を逸らした男に向けて二撃目を叩きつけた。


———また、かわされた。


今度も間一髪。俺の連撃から逃れた奴は、この男が初めてだった。予測して回避できる速度ではないはずだ。男の反射神経が、俺の中に巣食う本能を上回ったのだ。


それでも、俺の脳は冷徹なままだった。二度の大胆な回避で、男の体勢は完全に崩壊している。次はもう、神にさえ避けられまい。俺の『殺戮機構』が、男という生物の限界を明確に凌駕した。


地面に倒れゆく男の喉元へ、三度目の、そして最後の一閃を放つ。

 

———終わりだ。


断絶された意識の片隅で、僅かに残った理性が冷たく囁いた。

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