番外編5−7 SNSとギャンブル
「そして、これが規制化の最も大きな要因だが、10代の脳は、報酬・快楽を求める部位、いわばアクセルが活発だが、ブレーキを掛ける「前頭前野」が未発達な状態だ。バイトテロとか、若者の暴走なんてのがその顕著な例だな」
「アクセル全開で、ブレーキがない車みたいなもの?」
「そうだな。自制心が未発達というよりは、ブレーキよりアクセルの方が勝っている状態の子供が、計算され尽くしたSNSプラットフォームに挑むのは、それこそ人間が悪魔に挑むようなものだ。抗えるわけがない」
「うう、なんか怖くなってきたよ」
「そして、これが「無理を承知」で法律にした理由だと思うが、これまでは「使いすぎ」は親の責任、家庭の責任、という論理がまかり通ってきた。しかし明確な年齢制限を設けることによって、「破ることができるゆるいルールを作ったプラットフォームが悪い」という構造を作ることができる。要するに強いものが、より強い責任を負う構造が作れたわけだな」
「言われてみれば、そうかも!」
「だからこそ、完全に防ぐのは無理だとわかっていても、その影響度、依存度や、子供への影響度を考えて法規制化したのだろう。ギャンブルやタバコと同じくらいの依存度や悪影響と考えれば当然のことかもな」
「あ、もしかしてギャンブルも同じ理由で?」
「ギャンブルは、経済的破綻から守るという意味が強いが、構造的には同じだと思うぞ」
「そうか、ブレーキが効かない状態だったら歯止めが効かないもんね」
「そして、ギャンブルの年齢制限は、どちらに強くかけているか。もちろん本人にもだが……」
「店側の責任の方が重い! そうだね!」
「そしてギャンブルの年齢規制も、1976年のアメリカ政府の調査委員会報告で『理論上は可能だが、有効に機能させるのは困難』とされた。だが、それを何十年とかけて一般化してきた歴史がある」
「そっか、ギャンブルとSNSにそんな共通点が」
「だからこそ、実質的に無理だと現時点で思ったとしても法規制には意味がある。これを実施に踏み切った有識者に拍手だな」
「私たちの平和って、こうして守られているんだね」
パパは静かに息を吐き、残っていたコーヒーを飲み干した。
「SNSは繋がりを求めるツールだな。現代人にとってみれば心を繋ぐコードだとも言える。それが心を壊すツールとなっては本末転倒だからな」
(……SNSは心を繋ぐコード、同時に心を壊すコード、か……)
<つづく>




