番外編7ー11 八百万の先
「へ?」
七香は、パパの予想外の反応に、頭の上に無数の巨大なクエスチョンマークが浮かび上がっているような、ぽかんとした顔をしていた。
「『八百万の神』という概念を聞いたことはないかい? この世界にあるすべての物体、使っているこのコップや、料理が乗っているテーブル、そのすべてに固有の神様が宿っている、という日本独自の考え方さ」
パパは迷子になった小さい子供に言い聞かせるように、優しく、ゆっくりとした声音で語りかけた。
「これこそが僕たち日本人の持つ『道徳や倫理観の源』だと思うんだよ。誰も見ていない場所であっても、自分の行動はいつでも神様が見守っている。だから、誰も見ていなくても悪いことはできない、という考え方さ。ほら、よく『お天道様が見ているよ』って言うだろう?」
それを聴いた瞬間、七香の大きな瞳が、いつものディズニーのアニメに出てくるリスみたいに、一気にきらきらと輝きを帯び始めた。
「そう、七香ちゃんが街中でとっていた行動の本質はね、まさにそれなんだよ。いつ、どこで、誰に見られていても恥ずかしくないように意識して行動する。だから絶対にマナー違反や変な行動はしない。仮にそれが全世界のSNSに流出して拡散されたとしても、一ミリも問題がないように常に凛としている。……みんなのお手本になるようにね」
――なるほど。そんな超ポジティブな解釈もあるのか……!
「さすがパパさん! 良いこと言う!」
「だからね、七香ちゃんが防犯カメラの前で常に自分を意識して背筋を伸ばすのは、決して悪いことじゃないさ。いつだって画面の中で凛としていればいい」
ちょっと想像してみる。世界中のありとあらゆるカメラのデータに、これでもかと残されている、最高にキメ顔でギャルピースをかます七香の動画。それらを必死に監視・分析しているどこかの国の情報機関。
――さぞかし彼らは「この高頻度で出現する謎のポーズは何だ……!?」と、……ちょっと面白いかも。
「いまは、個人のプライバシーや自由が尊重されている。それは良いことだけど、だからと言って何をやってもいいわけではないよね。だからこそ、いつ誰に見られても胸を張れるような普段の所作だけはしっかり保っておくという意識も重要なのさ。もちろん、ずっとそのままだと疲れてしまうから、オンとオフの切り替えも必要だ。オンとオフの境界線が曖昧になってしまうと、思いもよらない事故に繋がるからね」
――あれ? パパ、さっきまでの『プライバシーなんて諦めろ』っていう話と、なんだか真逆なことを言っているような気がするんだけど……。まぁ、いっか……。
七香はファミレスのタッチパネルを両手で大事そうにテーブルに置くと、すっと静かに目を閉じて手を合わせ始めた。
「……ちょっと、七香? 今度は一体何?」
「しーっ、静かに! 今、タッチパネルの神様にお祈りしてるの。私たちのテーブルに、冷たくて美味しいメロンパフェを山盛りたくさん持ってきてくださいって!」
私はその限界突破した言動に本気で呆れ顔になり、パパは手を叩いて大笑いしていた。
「ははは! それは流石に神様だって無理だろうな。よし、代わりに今日は奢ってあげるから、好きなだけパフェも料理も食べていいよ」
「ええっ!? マジで!? やったーーー! パパさん大好きーー!! 神様みたい!!」
――パパ、今度は魔法使いから、ついに一足飛びで神様にまで昇格したみたいだよ。
八百万の神様……いつでも、どこでも、誰かに見られている……。パパのその言葉が脳裏に残っていたせいか、次の瞬間、私は周囲からの無遠慮な視線が急激に気になり始めた。
――あれ? 待って。すぐ隣のテーブルに座っている女の人、さっきから露骨にこっちをジロジロ見てない? 向こうの席の男の人、手元でスマホをこっちに向けてる気がするんだけど……。
いつになくファミレスの店内に響き渡った七香の黄色い大声が、私の脳内にリフレインしていた。
――今、七香……『パパ』って……『大好き』って……!?
……!
「お、『お父さん』っ!! 『お父さん』だよねっ!! 『私』の実の、お父さんっ!!」
私は顔面を真っ赤にして、椅子の引けるガタガタッという派手な音をフロア中に響かせながら、勢いよくテーブルに両手をついて立ち上がった。怒鳴り声に近い大声で。
「え……? あ、ああ……?」
突然のことに、パパの思考が完全にフリーズする。
「……え? 紬、いきなりどしたの?」
ワクテカした野次馬根性を隠しきれない表情になる七香。
「お、『お父さん』!! 今日のお昼は何を食べるの!? 今日はね! 『私』の『学校の友達』と、三人で仲良くお昼ごはんを食べる『だけ』の、ごく普通の家族の健全な外食イベントだからね!! そうだよね! ねえっ!!」
私は周囲のすべての客席に届くように、これでもかと声を張り上げて、「お父さん」「私の友達」「健全な外食」というキーワードを必死に連呼した。
七香とパパは、私のあまりにも必死すぎる謎の『お父さん』連呼に、あからさまにドン引きして困惑していたけれど……、そんなの知るか! しょうがないじゃないの!
――カオスだ……! これをカオスと呼ばずして、一体なんと呼ぶのよ!!
――だって、このビジュアル、完全に『最悪のパパ活現場』として誤認されちゃうじゃん!
――冴えないオジサンが、JK二人を両手に花でファミレスに連れ込んでパパ活。……そんな最悪のデマが写真付きでネットに出回ったらって考えたら……!
――BeReal.の通知……! さっきパパが言ってた街中の高性能な防犯カメラのログ……!
――もーっ!! この街、一般人の監視の視線が多すぎるのよ!!
――見守ってくれるのが八百万の神様ならどれだけ良かったか! 神様は全能かもしれないけれど、ネット社会の『コンテキストの崩壊』までは、流石に面倒見てくれないんだからね!!
――学校のすぐそばのファミレスで、実の父親と親友を巻き込んだパパ活冤罪なんて、想像しただけで、鳥肌ものだよ!!
<番外編7 レンズの向こう側の向こう 完>




