番外編7ー10 格安の先
「その、市場に出回っているネットワークカメラのほとんどは中国製なんだよ」
「へぇー、そうなんだ? でも、中国製だからって何かあるの? 性能がそこそこ良くて価格が安ければ万々歳じゃん」
「さっきの話を思い出してごらん。データ社会において『安いのには、それなりの理由がある』ってことをね……」
「え?……待って。それってつまり、一般家庭のカメラに映ったプライベートな映像の内容が、そのまま全部中国に盗み取られてるってこと!?」
「その可能性は大いにあり得るね。それらの格安の機器がデータを保存するサーバーは、本国の中国国内にある巨大なクラウドだからね。そしてね、現在の中国には『国家情報法』という極めて強力な法律が存在していて、いかなる組織や個人であっても、政府や軍の要請があれば、国内のすべての情報を提供しなければならない義務を課しているんだよ」
「じゃ、じゃあ……うちの生徒がファミレスで騒いでた映像とか、街中で七香がファンサしてた映像とかも、向こうの政府のデータベースに蓄積されて使われちゃうかもしれないってこと!?」
「だからこそ、情報安全保障に敏感な米国では、いち早く政府機関から中国製の通信機器を排除したり、若者たちに人気のTikTokの利用制限に踏み切ったりしているんだよ」
「えええっ!? ちょっと待ってパパさん、TikTokがダメとかマジで聞いてないんだけど!? 私、毎日めっちゃ動画チェックしてるし、自分でもガンガン流行りのダンスを踊ってアップロードしてるんですけど!」
突然、自分の生活テリトリーの脆弱性を指摘され、七香は目をひっくり返して慌ててテーブルから身を乗り出してきた。
「幸い、日本ではまだ法的なアクセス規制はかかっていないけどね。だけどね七香ちゃん、流れてくるおすすめの動画に、他国の政府の意図的な思想が混ざっているんじゃないかと言われているね」
「あ……。つまり、中国に都合の良い動画ばかりを流して、都合の悪い動画は遮断する、ってこと?」
「そういうこと。だからこそ、アプリをただ消費する側のユーザーにも理性が求められるんだが……。最新のSNSというのはね、人間の脳の構造を利用するために、それはそれは緻密に計算された配信アルゴリズムを組んでいるからね。覚えているかい?」
「うん、BeReal.(ビーリアル)の通知パケットの仕組みの時だよね……」
「そう。だから、一般の個人が自分の意志の力だけでその誘惑のトラフィックに抵抗するのは、心理学的にほぼ不可能なんだ。だからこそ……」
「あッ! だからこその『年齢制限』なんだね!」
脳内のパズルが、一瞬にしてカチリと音を立てて噛み合うような強烈な快感があった。そうか……セキュリティの知識っていうのは、世界中に点在しているニュースの断片を線で繋ぎ合わせて初めて、本当の意味として出力されるんだ。
「その通り。他にもね、この情報戦における脆弱性の事例を挙げると……」
パパが我が意を得たりとばかりに、さらに早口の解説を上書きしようとした、その時だった。
「……ねぇ? さっきから二人で何の話をして盛り上がってるの? そろそろオーダー確定してもいい?」
七香は、自分の大好きなTikTokのピンチには一瞬だけ食いついたものの、メニューのタッチパネルを指でつつきながら心底退屈そうなジト目を向けていた。
「あ、ごめんごめん! ほら、うちのパパ、話が長いからさ……」
七香が注文用端末の画面から顔を上げ、冷え切った視線をこちらに送ってくる。
「紬もさっきまで目の色変えてノリノリだったじゃん!」
そう言って、ちょっと不満そうに両頬をぷくーっと膨らませる七香。いつものディズニーのリスの再来だ。
「ごめんってば。でもほら、元を正せば七香が街中で防犯カメラのレンズを過剰に意識してファンサのログを残してるって話を聴いたから、パパが心配して……」
「そうなのかい? 七香ちゃん?」
「そうだよ、パパさん聞いて! だって現代社会、街を歩けばいつどこのカメラから自分のビジュアルを見られているか、さっぱり分からないじゃない?」
そのセリフを聴いたパパは、それまでの厳しいプロの表情をふっと緩め、いつもの穏やかな父親の顔になってニコッと優しく微笑んだ。
「それは、極めて優れたリスクマネジメントの考え方だよ。……面白いことに、それは僕たち日本人が古来から大切にしてきた『ある精神』と、全く同じ根っこを持っているからね」
<つづく>




