番外編7ー8 MDIDの先
急ぎ足でファミレスの自動ドアをくぐると、七香はいつもの窓際のテーブル席をしっかり確保して待っていた。
「七香、お待たせ! 遅くなってごめん……って、何を見てるのよ?」
席に滑り込みながら声をかけると、七香は注文用のタッチパネルにも目をくれず、自分のスマホの画面を見つめたまま、ニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべていた。
「ねえ、紬! パパさんもほら、これ見て見て! ついに私の『全国のファン』が本格的に動いたみたい! 最近、街中の防犯カメラのために検索ばっかりしてたからさ、スマホに大量の防犯カメラの特集とかおすすめ情報が表示されるようになったの!」
スマホの画面を横から一緒に覗き込んでみると、確かに彼女のSNSやブラウザの広告枠は、『家庭用超小型防犯カメラ』や『最新ドライブレコーダー』の広告で埋め尽くされている。実にシュールな画面だ。
「あのさぁ、七香。それ、あんたのファンが熱狂してるんじゃなくて、単にあんたの端末の閲覧履歴から、システムが自動的に『このユーザーが好きそうな広告』を配信してるだけだよ」
「えーっ!? そうなの? でも私、このスマホで自分の名前とか住所の個人情報なんて、どこのサイトにも入力してないよ?」
七香が不満げな顔をしてきた。パパの方をチラッとみると、まるで新しいおもちゃを見つけたかのように目の奥が光っていた。
「七香ちゃん、その仕組みはね、業界では『MDID』を利用したマーケティングと言ってね、厳密な法律上の定義では『個人情報』には該当しないんだよ」
パパは上着を椅子の背もたれにかけながら、いかにも楽しそうに解説していた。
「えむでぃー……? 何それ、新しい音楽?」
「モバイル・デバイス・アイディ(MobileDeviceID)の略さ。『そのスマートフォンという端末そのもの』を世界で一つだけに識別するために割り振られた、固有の識別子のことだよ。システム側はね、その番号のスマホが過去にどんなワードを検索したか、どんなアプリを保存しているかという行動ログだけを追跡して、その端末に向けて最適化された広告を配信しているんだ」
「えーっ!? そうなんですか? ……でも、先回りして広告を送りつけられるのって……なんか、ストーカーされてるみたいでちょっと気味が悪いですね」
「ストーカーか、なるほどね。その『気味が悪いほど儲かる仕組み』を自社のブラウザで維持するために、検索大手のGoogleなんかは、ライバルであるAppleに対して毎年、目眩がするほどの莫大な契約金を支払っているからね」
「え? そうなのパパ? 莫大って……具体的にいくらくらいのお金が動いてるの?」
パパはメニューのタブレットに手を伸ばしながら、なんでもないことのようにさらりと言ってのけた。
「年間で、約三兆円だ」
「「…………三兆円!?」」
あまりにも想像とかけ離れた桁外れの数値に、七香と完全に声を失ってフリーズしていた。
<つづく>




