番外編7ー7 容易照合性の先
パパは「そうだな……」と小さく呟いたまま、しばらく腕を組んで視線を落としていた。
セキュリティに関してはいつも即答するパパが、こんなふうに複雑な表情で悩む姿を見るのは、娘の私からしてもかなり久しぶりのことかもしれない。
「例えば……、紬がどこか近所のスーパーやコンビニで、お菓子を一つ買い物したとしよう。お店のレジには、購入した日付と商品のデータがレシート情報として記録される。これ単体データだけでは、当然ながら個人情報ではないよね?」
「……うん、そうだね。レジでお会計をする時、わざわざ店員さんに自分の名前は言わないからね。ただのレシートだし」
「では、その買い物の時に、『ポイントカード』を提示したとしよう。当然、そのカードを発行している運営会社は、会員番号と紐づく形で、紬の住所や氏名、電話番号といった個人情報を保有している。これは立派な個人情報だ。この場合、厳格には『個人データ』と呼ぶんだが」
「うん、それは私ってことが特定できるからね。誕生月に割引のクーポンとかが届くし」
「そこでだ。もし、そのポイントカードの会社が、さっきの匿名のレシートデータを入手して、会員番号と結合させた場合、その名前の書いていなかったはずのレシートデータは、個人データに昇格すると思うかい?」
「え? ええーっと……? んんー? もともとのレシートの紙には、私の名前や住所なんてどこにも入っていないし……。でも、カード番号と合体しちゃったら……」
「そう。ポイントカードの会社側の視点に立てば、紬というユーザーが『いつ、どこの店舗で、何をいくらで買ったか』が特定できてしまう。つまり、合体した瞬間にレシートも立派な個人データになるんだ。この、別の情報と簡単にドッキングして個人を割り出せてしまう性質のことを、『容易照合性』と定義しているんだよ」
「ようい、しょうごうせい……?」
「つまりね、それ単体では一見すると個人を特定できないデータであっても、他の情報と組み合わせることにより、個人の行動が特定できてしまう。その可能性がある情報は、最初から『個人データ』として厳重に取り扱う必要があるんだよ」
「うーん……。分かったような、まだ頭が追いつかないような……」
「じゃあ、もっと直感的な例えをしよう。例えば紬が、Aというお店でお気に入りのお菓子を買った。ポイントカードを使ってね。そして翌日、今度は離れた場所にあるBという系列店で、やっぱり全く同じお菓子をカードを提示して買ったとする。そしたらレジの店員さんから、笑顔でこんなふうに声を掛けられるんだ。『お客さん、昨日はA店でも同じものを買いましたよね。本当にそのお菓子が好きなんですね!』……さぁ、どうだい?」
「どうって……。めちゃくちゃ気持ち悪いよ、それ! なんで私の昨日の行動を監視されてるのって、ゾッとして怖くなる!」
「当然、普通のユーザーなら誰だって恐怖を感じるよね。もちろんデータの出元はポイントカード会社の共通データベースなんだけど、もし仮に『レシートデータは個人の名前が書いてないから個人情報じゃありません。どう扱っても自由です』なんて解釈を許してしまったら、今言ったような状態が発生するリスクがあるのさ。だからこそ、あの条文のような、ちょっと遠回りで複雑なカッコ書きが必要不可欠だったんだよ」
――ううっ……。わかったような、わからないような……。法律を作る大人たちって、本当にミリ単位の抜け穴まで想定しているんだなぁ。なんか、胃が痛くなりそう。
難解な法律の深淵に感心していると、パパがちらりとリビングの壁掛け時計に視線を走らせた。
「おっと紬。そろそろ出発しないと、七香ちゃんを待たせちゃうんじゃないか?」
――あッ! いけない、忘れてた!
「うわ、もうこんな時間!? パパ、急いで準備して!」
慌ててスマホをカバンから引ったくると、フリック入力で七香に向けてメッセージを送信した。
『ごめん! ちょっと遅れる! 先にファミレス入ってて!』
すると一秒と経たずに、ちいかわが元気いっぱいに『OK!』のサインを出しているLINEスタンプが、小気味よい通知音とともに返ってきた。
<つづく>




