第28話 歌詞の中の約束
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初めて出会ったあの日、
あの時、
あの場所
僕はもう一度君に出会いに行く
♪
何度も繰り返し流した。
『最果ての家へ帰る』のその一節が、
ずっと頭から離れなかった。
私とシン君が一番初めに出会った場所は――
テレビ局の掃除用具入れ。
あの日は、ドラマのオーディションだった。
手帳をめくる。
十月二十日。
(かなり余裕がある。今なら絶対に予定を空けられる)
その日だけは、何があっても空けた。
確か夕方五時頃だったはずだ。
こじつけかもしれない。
思い上がりかもしれない。
それでも。
(会いたい)
どうしても、会いたかった。
事務所の人たちは、
私たちが最初に会った場所を
制作会社の会議室だと思っている。
掃除用具入れだなんて、誰も知らない。
――だから、バレない。
今のドラマの相手役と、
ドラマの打ち上げで少し話しただけで
スキャンダルになった。
けれど私は、毎回すぐに事務所の意向に従った。
余計な火種は作らない。
そのおかげで、今は自由に動ける。
その日だけは、なんとしても一人で、
あの場所へ行かなければ。
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早い時間から向かうつもりだった。
男性もののパーカー。
キャップ。
目立たないジャージ。
鏡に映る自分は、
もう女優・飯島ユキじゃない。
水筒と非常食。小さな手紙。
鞄をパンパンにして向かう。
タクシーを降り、テレビ局へ入る。
収録用のIDが役に立った。
七階へ向かおうとした、そのとき。
「ユキさん!」
聞き覚えのある声。
振り向くと、
今のドラマの相手役――白石シュウセイ。
「今日収録ですか?」
「いえ、ちょっと打ち合わせで」
当たり障りなく答える。
七階だと知られるわけにはいかない。
エレベーターを待つ間、
距離を取ろうとした、その瞬間。
ふわり、とパーカーを撫でられた。
「!」
心臓が跳ねる。
「その格好、可愛いですね」
どうしよう、嫌だ。
反射的に一歩引く。
「すみません、急ぐので」
振り払って、奥へ向かおうとした。
そのとき――「白石シュウセイさんと飯島ユキさんですよね!?」
フラッシュ。
カメラ。
囲まれる。
「一緒にご出勤ですか?」
(まずい)
「すみません、失礼します」
人混みを抜け、私は走った。
(絶対にバレたくなかったのに)
とにかく、逃げる。
テレビ局の奥の奥へ。
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トイレに駆け込み、
キャップを深くかぶり直す。
パーカーを脱ぎ、
ジャージに着替える。
これなら、まだマシかも。
誰か一人でも見られたら終わる。
階段を使う。
エレベーターは使わない。
二階。三階。五階。
時間をずらしながら、
人の流れを避けながら。
やっと七階まで来た。
掃除用具入れの前に立つ。
大きく深呼吸して、扉を開ける。
あの頃と同じ匂い。
埃と、洗剤の混ざった空気。
狭い空間。
私は膝を抱えて座り込む。
スマホを見る。
すでに、17:30を過ぎようとしていた。
鼓動だけがうるさい。
もしかしたら、
日付が違うのかもしれない。
勘違いかもしれない。
それでも。
小さな手紙を書き足す。
SNSやゲームや思いつく限りの連絡方法。
もし、今日会えなくても
もしかしたら、シン君がここで見つけてくれるかも。
隠せる場所を探した。
それでも、まだ――
待ちたい。
今日が終わるまで。
廊下の向こうで、声がした。
走る足音。
サンダルの軽い音。
いくつか通り過ぎていく。
けれど――
ひとつだけ、ゆっくり近づいてきた影。
ドアノブが、そっと下がる。
「あけて」
小さな、掠れた声。
私は震える手で鍵を外した。
細い隙間から差し込む光とともに、
大きな影が滑り込んでくる。
次の瞬間、強い腕に包まれていた。
懐かしいブラックベリーと
同じシャンプーの匂い。
扉が閉まり、再び鍵がかかる。
息が詰まるほど、強く抱きしめられる。
「……シン君」
肩が震えている。
首筋に押し当てられた頬が、濡れていた。
「ユキ……すごい、来てくれたんだ」
綺麗な声が、泣いていた。
「会いたかった」
「私も……会いたかった」
「すぐ戻らなきゃいけないの?」
「収録終わって抜けてきたから、少しは大丈夫」
抱きしめる力が、さらに強くなる。
「スマホも、パソコンも取り上げられてて。
アカウントも全部消されて……連絡できなくてごめん」
「そうだと思ってたよ」
「死ぬ程つらかった」
「……うん。私も辛かった。シン君痩せたね」
「ユキも」
「ユキも」
やがて彼は、私の顔を覗き込んで、頬を撫でた。
「ユキが俺を諦めたって聞いた」
「……」
「でも、これ、ずっとつけてたね」
彼の指が、私の雪の結晶に触れる。
「SNSの宣伝とか。
週刊誌の私服写真見てたら、
ネックレスが三回映ってた」
私の鎖骨に、そっと彼は口づけた。
「ユキの気持ちは変わってないって、わかったよ」
「うん。私、ずっとシン君一筋だってば」
また熱い吐息と共に、彼の頬を涙が伝う。
「ありがとう」
彼の唇が、首と頬へ。
優しく、確かめるように肌を滑る。
どれくらいの時間、抱きしめていたんだろう。
やっと顔を上げた彼は、さらに大粒の涙をこぼしていた。
「ごめん。まともに付き合える男じゃなくて」
胸が締め付けられる。
「世界で一番好きなのに。
それなのに、守れなくて」
私も涙が溢れてきて、彼を抱きしめ返す。
「そんなに優しくされると、余計苦しいよ」
彼は息を吸い込む。
「今、白石とスキャンダルになってるよね」
「……うん」
「他の男の方が幸せにできるかもしれないって、わかってる」
私の頬を彼が撫でる。
「でも俺は、ずっとユキのものだよ」
「白石さんとはもちろん何でもないよ」
シン君が真っ直ぐな目でこちらを見た。
「いつか、絶対迎えに行く」
「いつかって?」
「三年後」
「長いよ」
「じゃあ二年」
「一年半」
私の声に、彼が少し笑う。
「……頑張る」
私たちは顔を見合わせて、泣き笑いした。
「連絡方法、考えてきたの」
「俺も」
小さな便箋を交換する。
「それと、シン君からもらったこれ……今はずっと持ってるよ」
震える手で一枚の五円玉をポケットから取り出した。
「俺もだよ。これがユキと繋がってる証拠だから」
財布の中の五円玉を見せてくれた。
狭い暗闇の中、二人の手のひらで二つの五円玉が重なる。
冷たかったはずの金属が、お互いの体温ですぐに熱を帯びていく。
「……考えてること、一緒だな」
屈み込んだ彼が、私を見つめる。
「ユキ」
「ん?」
「愛してる」
「私も」
柔らかな唇が重なる。
静かで、長いキス。
時間が止まったみたいだった。
彼は歯を食いしばる。
「死ぬ気で働く。
必ず迎えに行く」
「私も頑張る」
「公開恋愛目指すか、急に結婚でもいい?」
「え?」
彼は狭い床にしゃがみ込んだ。
「次はちゃんとした場所でやるけど」
ポケットから、プラチナのリングを取り出す。
「今は、これ」
震える指で、私の中指に通す。
「必ず一緒になろうね」
「……うん」
私は彼を立ち上がらせた。
そして、私もポケットから取り出した。
「え?」
「私からも」
彼の小指に、プラチナのリングをはめた。
「世界で一番好き。
ずっと私の彼氏でいて」
「約束。ユキも俺の彼女でいて」
「約束」
「でも、どうにかしてメッセージくらいはやり取りしよ」
「うん」
「すごい、同じ色だ」
二人で指を重ねて、キスをする。
そして再び強く抱きしめ合った。
涙と汗と、同じシャンプーとブラックベリーの香り。
またしばらく、この肌には触れられない。
それでも。
離れても、繋がっている。
そう信じて。
身体中に、シン君を刻み込んだ。




