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第21話 つきまとう影と事の顛末

シンとユキが、暗い方の展望台のベンチに座っている頃。

ミナコは、二日目の夜景を楽しそうに眺めていた。

ノアは、その横顔を見てから、少しだけ間を置いて口を開く。

「……あんまり良くない話がある」

「えええ、なにそれ。怖いんだけど」

「こんな雰囲気のいい場所で話すことじゃないよね。ほんと、ごめん」

「やだ、やだ!!余計に怖い」

「これなんだけど」ノアは深く息を吸い、ベンチに腰を下ろした。

そしてスマホを取り出す。


ノアは、お気楽な休暇のつもりでこの合宿に来た。

それなのに、何気なく回していたスマホ映像の中に、

「おかしなもの」がいくつも映り込んだ。

気のせいだと笑い飛ばすこともできた。

けれど――

あとから後悔するくらいなら、今、話すべきだ。

そう思った。


---

それは、撮影合宿初日の映像だった。

全員がロビーに荷物を置き、撮影現場へ向かったあと。

少し遅れて到着したノアとシンが、荷物の整理をしている隙に――

リカが映り込む。


周囲を一瞬だけ確認してから、

彼女は慣れた手つきでスーツケースを少し開けた。

一番上のウィンドブレーカーを抜き取る。

---


「……え?」

映像を見たミナコの声が、ひどく小さくなる。

「これ……ユキのカバンだよね……」

「うん」


---

その直後、カメラがさっと動く。

「あれ、リカちゃん? それ、俺のなんだけど」

明るい声。

ノアが、何も知らないふりをして立ち上がる。

「探してたんだよ。サンキュー」

そう言って、彼はウィンドブレーカーを軽く奪い取った。

「え……? ユキさんのじゃ……」

言いかけて、リカは言葉を止める。

「俺のだよね、シン?」

「うん。この前貸したやつ」

その一言で、リカの表情が一瞬、固まった。

「……見つかってよかったです」

「うん、ありがと」

---


映像が止まる。

ミナコは目を見開いたまま、ノアを見る。

「……二人で、口裏合わせてくれたんだ」

「うん」

「ありがとう……ノア君」

「でもさ」

ノアは、少しだけ声を落とす。

「これだけじゃなくて」

「……え?」

スマホに映し出されたのは、

リカがユキのメイクバッグを物色したり、

さらには部屋へ侵入しようとする生々しい姿だった。


ミナコは、しばらく黙り込んだあと、小さく息を吐いた。

ノアは、覚悟を決めて続ける。

「実は、シンが言ってたんだ。前の合宿でも、似たことがあったって」

「え……?」

「ユキちゃん、最初の合宿でポーチがなくなって、

 あとで砂まみれで見つかったらしい」

「私、ユキから聞いてないけど……」

「本人は、なくしただけだと思ってるみたいだけど

 俺、スタッフさんからたまたま聞いちゃって」


ミナコは俯いた。

そして、ゆっくり口を開く。

「……リカちゃん、ユキと昔、同じ劇団だったの」

「そうなんだ」

「ユキが主演をやるようになったころ

 リカちゃんがひどいこと、たくさん言ってて」

声が、少し震える。

「“おばちゃん”とか……

 “家族いないなら、その分客呼んでよ”とか……」

ノアは言葉を失った。

「……それは、」

「ユキ、隠そうとしてたけど。

 彼女達の声、大きかったから……私は聞こえてたの」


夏の重たい風が、二人の髪を撫でる。

「……嫉妬なのかな。怖いな」

「でも」

ミナコは顔を上げる。

「でも、教えてくれてありがとうございます。

 私、しっかりユキのこと守ります」

ミナコがそう言うと、ノアは一瞬きょとんとしてから、苦笑した。

「ええ? ミナコが? それ、逆に心配なんだけど」

「え?」

「だからさ。ミナコのことは、俺がちゃんと守る」

あまりにもさらっと言われて、

ミナコの胸が、きゅっと音を立てた。

(ノア君……かっこいい……)


「ふふ。ありがとう。でも、私も意外と強いよ?」

「どこが。こんなに、ふわふわしてるのに」

そう言って、ノアはミナコの頬を指でつつく。

「ちょ……それ、関係ないですよね?」

「敬語になったり、タメ口になったり、

 緊張したり、ぼんやりしたり……ずっと頭ふわふわフラフラ」

「そ、それは……」

「俺の前だから?

ノアは楽しそうに笑った。

(確かに……ノア君の前だと、いつも変になるかも)

「大丈夫」


ノアは、少しだけ真面目な声になる。

「ミナコのことは、俺がちゃんとガードしてるから。

 だから、心配しなくていい」

さっきまで、リカのことで胸の奥が冷えていたのに。

不思議と、また夜景がきれいに見えた。

「……ありがとう、ノア君」

小さく呟くと、

「え? 何? 聞こえない」

ノアが耳に手を当てて、顔を近づけてくる。


「ありがとう、ノア君!」

今度は大きな声で叫んだ。

「鼓膜、破れるわ!!」

ノアは吹き出して笑い、

そのまま、ぽんぽんとミナコの頭を撫でた。

「任せとき

夜景に照らされた、すっと通った鼻筋。

ビー玉みたいに光る大きな瞳。

ミナコは、まだ夢の中にいるような気がしていた。


-------

三日目の撮影現場は、朝から異様なほど慌ただしかった。

全体撮影に加えてグループカットがぎっしり詰め込まれ、

背景も衣装替えも多い。

大道具やスタイリスト、エキストラまで入り乱れて、

現場は常に誰かが走っていた。

キャストも人数が多く、その分NGも重なる。

診療所内の撮影はなかなか進まず、


気がつけば、午後二時を回っていた。

私は弁当どころか、水も一口も飲めていなかった。

「ユキちゃん、唇すごく乾燥してるよ。

 お水、飲んでる?」

メイクさんに言われて、はっとする。

(朝に少し飲んだきりだった……)

「すみません」

メイクの椅子から立ち上がり、急いで水筒を手に取った。

いつも、冷たい水は避けて、常温のものを入れている。

蓋を開けて、口をつけようとした


――そのとき。

横から、シン君が私の手を取った。

「一口もらうよ」

そう言って、水筒を紙コップに傾ける。

「……ッ、あっつ!!」

次の瞬間、

シン君は思わずコップを落とし、手を振った。

「何これ。沸騰してない?」

「え……?」


慌てて飲み口の蓋を外すと、

中から立ち上るのは、はっきりわかる湯気。

――熱湯だった。

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

思わず、深く頭を下げる。


「全然かかってないから大丈夫」

シン君はそう言って、すぐに笑った。

「それより、ユキさんが飲まなくて本当によかった」

その場にいたメイクさんやスタッフたちが、

ほっと息をつく。


ふと見ると、

ノア君がシン君のすぐ横で、スマホを構えたまま動かずにいた。

「ちょっと待ってて」

シン君は自分の戸棚の奥から水筒を取り出し、私に差し出す。

「これも常温だから大丈夫」

「ありがとうございます」

そう言って、再びメイクに戻る。

(……なんで、熱湯?)

さっき、確かに自分で入れた。

間違えるはずがない。

不安になって周囲を見渡すと、

ミナコの姿が見えなかった。


その視線に気づいたノア君が、低い声で教えてくれる。

「ミナコちゃんなら、監督に呼ばれて

 エキストラで出てるよ」

少しして、ミナコが小走りで戻ってきた。

「ごめん、ユキ。もう終わってた?」

「うん……あのさ、水筒の中身、入れ直した?」

「水筒? 触ってないよ。

 ここに置いたままだったけど」


その言葉を聞いた瞬間、

背中を、冷たいものが走った。

(……誰かが、触った?)

答えが出ないまま、

メイク直しが終わると同時に、すぐ次の場所へ移動する。

移動しながら、シン君がこちらを見て頷いた。

(シン君、自分の水筒あるのに、

 ちょうだいなんて……

 実は守ってくれたんだ)


状況をすぐに察した。

振り返ると、ノア君がミナコに、

今起きたことを説明しているのが見えた。

(ミナコ……心配してるよね)

胸の奥に残る違和感を押し込めて、

私は、目の前の撮影に集中するしかなかった。


-------

 夕暮れから夜にかけて、

海辺で診療所のバーベキューパーティーのシーン撮影が行われた。

浜辺には華やかな電飾が張り巡らされ、

本物の肉を焼く香ばしい匂いが漂う。

私たちキャストもスタッフも一緒になって笑い、

花火をし、子ども役たちと音楽を演奏しながら遊んだ。


お酒は飲んでいる“演技”だけ。

その代わり、チークを顔いっぱいに塗って、

酔った雰囲気を作る。

午後十時を過ぎ、

ようやく撮影が終わった。


車道から砂浜へ続く階段に上がり、

監督が挨拶をする。

「ロケ合宿――お疲れさまでした!」

「みなさん、拍手!」

歓声が上がり、

拍手が夜の海に吸い込まれていく。

出演者も呼ばれ、階段の上で一通り挨拶をした。


私がお辞儀をして、降りようとすると

パッと照明が消えた。

--瞬間。

背中に、

強い衝撃が走った。

「わっ――」


身体が前に投げ出され、

視界が一気に傾く。

落ちる――

そう思った刹那。

「ユキ!」

下にいたはずのシン君が、

迷いなく飛び込んできた。


大きな腕に抱かれたまま、

私たちは階段を転がり、

砂浜へ落ちた。


気づいた時、

私は無傷で、

シン君が下敷きになっていた。

「だ、大丈夫ですか!? 本当にごめんなさい!」

「はは……俺は大丈夫」

シン君は笑った。

「ユキさんは? 怪我してない?」

スタッフが一斉に駆け寄ってくる。

「お二人とも大丈夫ですか!?」

「お怪我は――」

私は、どこも痛くなかった。


でも、

シン君の右腕から、血が滲んでいた。

「た、大変です!!……シン君が……!」

私は大きい声で叫んでいた。

「すぐ処置を!!」

マネージャーの声に、スタッフが救急箱を持ってくる。

階段にぶつけたのか、

右腕は青く腫れ、大きな擦り傷になっていた。


消毒されるのを見ているうちに、

胸が詰まって、涙が出てきた。

「本当にごめんなさい……

 ギター弾けなくなったらどうしよう……」

「まさか」

シン君は、困ったように笑って、

私の頭を優しく撫でた。

「ちゃんと見て? ただの擦り傷だよ。

 心配しすぎ」

「……でも……」

シン君は満面の笑みで、はっきり言う。

「それよりユキさんが無事でよかった」

その言葉に、涙が止まらなくなった。


一方、階段の上の暗がりで。

ミナコの隣にいたノアが、

ずっとスマホのカメラを回していた。

ユキの背中に肩でぶつかり、

突き落とした人物――

それは、やはりリカだった。

ノアは反射的に、

自分の背中と電柱の影でミナコを庇う。


そして、何事もなかったように、

リカへ声をかけた。

「どうしたの?」

「ちょっと……よろけちゃって」

「そっか」


一拍置いて、静かに告げる。

「でも、リカちゃん。残念だけど……

 今の、全部カメラ回ってるし

 わざとに見えたよ」

リカの顔色が変わる。

「これまでの分も、全部ね」


次の瞬間、

リカは何も言わず、車道の向こうへ走り去った。

ミナコは、その光景を目の当たりにして、

足が動かなくなっていた。

「大丈夫」

ノアは、低く、落ち着いた声で言う。

「ちゃんと撮れてる。

 あとは、こっちで処理する」

「……」

「顔もはっきり映ってた。

 スキャンダルにはしない。

 でも――」

視線を逸らさずに続ける。

「昨日のことね、マネージャーと弁護士には、

 もう話を通してる。

 すぐリカちゃんの事務所にも話が行く」

ミナコは、力が抜けて崩れそうになる。

「危ない」

ノアが腕を掴み、支えた。


ミナコは、

遠く砂浜へ消えていく背中を、

震えながら見つめていた。

どんどん血の気がひいていく。

「ごめん……私、何も出来なかった……」

「いいんだよ」

ノアは即答する。


ミナコの顔色を見て、ノアは腕をさすった。

「ミナコ。落ち着いてね。大丈夫だから」

そして、彼はミナコの顔を覗き込んだ。

「今日はずっと一緒にいる。

 部屋も俺たちの階に変えてもらおう。

 見張りもつけるし、監視カメラも設置する」

「……」

「明日の撮影が終わったら、すぐ帰ろう。

 リカちゃんと撮影が被るのは、明日で最後って聞いたよ」


その言葉に、

ようやくミナコの表情が緩んだ。

その夜は、最上階の部屋へ移してもらった。

完全に警戒態勢にしてくれた。


-------

 そして翌日。

最後の撮影を終えると、

ユキとミナコはシン君のクルーと共に東京へ戻った。

東京に着いて数日後。

シン君達からユキサイドへ連絡が入った。

弁護士を通じて、

リカへの厳正な対処と、

彼女の事務所との合意が済んだことが記されていた。


有名人同士であることを踏まえ、

お互いのプライバシーを最大限守りながら。

『事務所同士で、きちんと話し合いをしたよ』

『行動制限も入るし、専属の管理マネージャーもつく。

 こっちが証拠を持ってる限り、

 彼女は芸能界の存続の危機でもあるし。

 本人も反省していると話していたよ』

『ドラマ自体の成功は願ってる。

 波風は立てない。

 だから安心して』


その文章を読み終えた瞬間、

胸の奥に張りついていた重たいものが、

すっとほどけていくのを感じた。

――やっと、終わったんだ。

指が少し震えながら、返信を打つ。

『撮影中、

 実は何度も守ってもらっていたことも聞きました。

 本当にありがとうございました』


長年、一人で

向き合えないまま抱え続けてきたリカとのこと。

シンが、その腕に傷を負ってまで、

清算してくれたのだ。

『感謝の気持ちでいっぱいです。

 この恩返しをどうすれば……?』

そう送ると、

ほとんど間を置かずに返事が来た。

『じゃあ、早速』

『来週はみんなで温泉旅行だから。

 そこで、色々返してもらおうかな』


心臓が、きゅっと音を立てた。

(……あ)

シン君への“お返し”は

他にも溜まっていた。

どう返せばいいんだろう。

事件が終わっても、

気持ちがすぐに元に戻るわけじゃない。


それでも――

毎日のシン君とのメッセージのやりとり。

ミナコやサキと会って、

少しずつ日常を取り戻していく中で。

私はようやく、

前を向いて歩き出そうとしていた。

次に待っている時間が、

ただの“温泉旅行”じゃないことを、

まだはっきりとは理解しないまま。


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