第三話 閉ざされた工房
王都の朝は早い。
夜のざわめきが嘘のように消え、代わりに規則正しい生活の音が街を満たしていく。店は順に扉を開き、商人は商品を並べ、人々はそれぞれの役目へと向かって歩き出す。
王都は大きな街だ。必要な物はすべてここで揃う。
だが同時に、変化もまた、この街から始まる。
それは目に見えるものとは限らない。
人の不在、閉ざされた扉、止まったままの時間。
リディアは宿を出て、買い出しのために歩き始めた。
蒼月亭へ戻るために必要な物を揃える。それが今回の目的だった。
朝の空気は冷たく、澄んでいた。
通りにはすでに人の姿がある。店を開ける者、荷を運ぶ者、仕事へ向かう者。
リディアは迷うことなく歩いた。
まず向かうのは香辛料屋だった。
蒼月亭で使う香辛料は、保存の利くものが多い。王都でしか手に入らない品もある。
目的の店は、通りの角にあった。
扉は開いており、中には香辛料の香りが満ちている。
リディアは中へ入った。
棚には様々な色の粉や乾燥した植物が並んでいる。
店主が顔を上げた。
「いらっしゃい」
リディアは紙を取り出し、必要な物を告げた。
店主は頷き、棚から商品を選び始める。
「蒼月亭の人かい?」
「ええ」
店主は手を止めずに言った。
「最近物騒だから気をつけてね」
その言葉は、何気ない注意のようでいて、どこか重みがあった。
リディアは商品を受け取りながら答えた。
「ありがとう」
代金を払い、店を出る。
袋の重さはまだ軽い。買い出しは始まったばかりだった。
次は金具屋だ。
蒼月亭の修理や細工に必要な物を揃えるため、精度の高い金具が必要だった。
通りを歩いていると、ふと一軒の建物が目に入った。
鍛冶屋だった。
だが、扉は閉ざされている。
看板は残っているが、人の気配はない。
リディアは足を止めた。
「ここってカイさんのいた鍛冶屋?」
小さく呟く。
扉には埃が積もり、長く開かれていないことが分かる。
店を閉めて、かなり経っているようだった。
リディアは建物の横へ回った。
裏手に回ると、扉がわずかに開いているのが見えた。
風で動いたのか、それとも――
リディアは静かに近づき、中を覗いた。
薄暗い工房。
道具はそのまま残っている。
作業台の上には、途中まで加工された金属が置かれていた。
炉は冷え切っている。
すべてが、作業の途中で止まったままだった。
「……」
リディアはしばらくその場に立っていた。
荒らされた形跡はない。
争った様子もない。
ただ、人がいなくなっただけだった。
「倒れたってのは本当の様ね。」
小さく呟く。
それ以上は中に入らず、リディアはその場を離れた。
目的は買い出しだ。
余計なことをする理由はない。
再び通りへ戻り、金具屋へ向かう。
金具屋は開いていた。
店内には様々な金属製品が並んでいる。
リディアは必要な物を告げた。
店主は棚から商品を取り出しながら言った。
「珍しい顔だな」
「買い出しよ」
店主は頷いた。
リディアは尋ねた。
「通りの鍛冶屋、閉まってたけど」
店主は一瞬手を止めた。
「ああ……」
短く息を吐く。
「オヤジさんはまだ復帰できない様だ。」
「そうですか……」
それ以上の言葉はなかった。
店主も詳しく話す様子はない。
リディアは金具を受け取り、代金を払った。
袋の重さが増える。
残るは、油だった。
保存用の油は蒼月亭にとって重要な品だ。
リディアは店を出て、油屋へ向かって歩き出した。
王都の朝は、変わらず動いている。
だが、閉ざされた鍛冶屋の扉は、静かに時間が止まっていた。
リディアは振り返らなかった。
歩みを止めることもなかった。
蒼月亭へ戻るために。
必要な物を揃えるために。
王都の通りは、いつも通り動いている。
店は開き、人々は働き、生活は続いている。
だが、その中には閉ざされた場所もある。
止まったままの工房。
戻らない炉の熱。
それは、この街の変化のひとつだった。
リディアはすべてを見て、ただ歩く。
彼女の役目は買い出し。
それを終え、蒼月亭へ戻ること。
だが王都の静かな変化は、確かに存在していた。




