第二話 酒場の噂
夕方の王都は、昼間とは違う顔を見せる。
働き手たちは一日の仕事を終え、商人は店を閉じ、人の流れは酒場へと集まっていく。
酒場は単に酒を飲む場所ではない。そこには旅人、商人、兵士、職人――様々な立場の人間が集まり、それぞれの持つ話を落としていく。
噂は、風のように酒場を巡る。
真実も、嘘も、その区別がつかないまま。
だが、その中には確かに、見逃してはならないものも混ざっている。
リディアは王都の門をくぐった後、迷うことなく酒場へ向かった。
それは休息のためであり、同時に、この街の空気を知るためでもあった。
王都の石畳は、夕日の光を受けて赤く染まっていた。
店の灯りが一つ、また一つと灯り始め、人の流れは自然と夜の場所へと集まっていく。
リディアは通りを進み、一軒の酒場の前で足を止めた。
扉の隙間から、話し声と食器の触れ合う音が漏れてくる。
迷うことなく扉を開いた。
酒場の中は、すでに多くの客で賑わっていた。
商人、兵士、職人――様々な人間が席に着き、酒を飲みながら話している。笑い声もあれば、小声での会話もある。
リディアは壁際の空いた席に座った。
すぐに店主が近づいてくる。
「何にする?」
「食事と水を」
店主は頷き、すぐに離れていった。
リディアは周囲を見渡す。
酒場は情報の宝庫だ。
誰もが、無意識に何かを話している。
意識を向ければ、自然と声が耳に入ってくる。
「――聞いたか?」
近くの席で、男が低い声で言った。
「最近、貴族が動いてるらしい」
「動いてる?」
「詳しくは分からん。だが、妙な話が多い」
別の男が酒を口に運びながら答える。
「クーデターかも知れん、って噂もある」
「王様に反旗でも翻す気か?」
「さあな。だが、静かすぎるのが気味が悪い」
別の席でも声がする。
「該当しそうな貴族が、何人か消えてるらしい」
「消えた?」
「ああ。事故だとか、病死だとか言われてるが……」
男は声を落とした。
「暗殺部隊が動いてる、って話もある」
短い沈黙。
「証拠はない。ただの噂だ」
「だが、火のないところに煙は立たん」
リディアは黙って聞いていた。
表情は変わらない。
やがて料理が運ばれてくる。
パンと、肉の煮込み。
リディアは静かに口に運んだ。
味は悪くない。だが――
「……」
小さく息を吐く。
「姉さんの料理の方が美味しいわね……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
蒼月亭の食事は、温かかった。
それを思い出しながら、リディアは食事を終えた。
周囲の話し声は、途切れることなく続いている。
真実かどうかは分からない。
だが、噂がここまで広がっている以上、何もないとは言い切れない。
「注意するに越した事はないわね」
小さく呟く。
食事を終え、席を立つ。
店主に代金を払い、酒場を出た。
外はすでに夜だった。
街灯の光が石畳を照らし、人通りはまだ途絶えていない。
リディアは通りを歩く。
その時――
気配を感じた。
視線を上げる。
屋根の上。
黒い影が、走り抜けていく。
速い。
一瞬だった。
音は、ほとんどない。
だが確かに、人だった。
「……」
リディアは立ち止まり、影が消えた方向を見る。
追うことはしない。
目的は買い出しだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「物騒ね……」
小さく呟く。
それだけ言って、再び歩き出した。
やがて宿の前に辿り着く。
灯りはついている。営業しているようだった。
リディアは扉を開き、中に入る。
今夜はここで休む。
明日は買い出しを終え、蒼月亭へ戻る。
それが今回の役目だった。
だが王都の空気は、静かに揺れていた。
見えないところで、何かが動いている。
リディアは何も言わず、宿の奥へと進んだ。
酒場には、多くの噂が流れていた。
貴族の動き。
暗殺の話。
消えた者たち。
それが真実かどうかは分からない。
だが、王都の空気は確かに変わっている。
そして夜の屋根を走る影。
それは、この街で何かが動いている証だった。
リディアはそれを追わない。
彼女の役目は、蒼月亭のための買い出し。
ただ、それだけ。
だが王都は、静かに牙を隠していた。




