表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

第一話 王都への買い出し

蒼月亭での生活は、少しずつ形になり始めていた。


壊れていた壁は修理され、寝床も整い、食事も安定して用意できるようになった。だが、それでもこの場所は王都から離れた廃村にある。手に入る物には限りがあり、どうしても王都でしか揃えられない品があった。


質の良い保存油、精密な細工に使う金具、香りの強い香辛料。

それらは蒼月亭を維持していくために必要なものだった。


そして、それを取りに行ける者もまた、限られていた。


危険な道を一人で進み、周囲の変化を見逃さず、何かが起きても対処できる者。


その役目は、自然とリディアに任されることになった。


蒼月亭の前で、リディアは腰の剣を軽く確かめた。


鞘の中に収まった刃は、静かにそこにある。重さも、位置も、すべてが馴染んでいた。


背後から足音が近づく。


「リディア、ちょっと王都まで買い出しに行ってきてくれるかい?」


振り返ると、ミレーヌが袋と紙を持って立っていた。


「王都でしか売ってない物があってね。保存用の油と、細工用の金具、それから香辛料。頼めるかい?」


リディアは紙を受け取り、目を通す。必要な物と数量が丁寧に書かれていた。


「わかった。行ってくるよ」


短く答える。


ミレーヌは少しだけ申し訳なさそうに笑った。


「すまないね」


「気にしないで」


リディアは袋を受け取り、肩にかける。


「すぐ戻ってくるよ」


それだけ言い、彼女は蒼月亭を後にした。


背後でミレーヌが見送っている気配を感じたが、振り返ることはなかった。


足は迷いなく、森へと続く道を進んでいく。


森の中は静かだった。


木々の隙間から差し込む光が地面にまだらな影を作り、風が葉を揺らしている。


リディアは一定の速さで歩きながら、周囲を見ていた。


音。匂い。気配。


すべてを自然に受け取りながら進む。


無理に急ぐことはない。だが、歩みが緩むこともない。蒼月亭から王都までは、森を抜けて街道を直走りすれば、夕方までには辿り着ける距離だ。


しばらく歩いたところで、前方に荷車が見えた。


木箱を積んだ荷車を引く男が、こちらに気づいて顔を上げる。


「おや」


男は笑みを浮かべた。


「リディアさんじゃないですか」


「ローク」


行商人のロークだった。


「王都ですか?」


「ああ」


リディアは答える。


ロークは一瞬だけ周囲を見回し、声を落とした。


「気をつけてください」


リディアの視線がわずかに鋭くなる。


「何かあったの?」


ロークは小さく息を吐いた。


「王都が、きな臭い」


森の空気が変わったように感じた。


「兵の巡回が増えてるんです。門の警備も強くなってる。理由は分かりませんが……いつもと違う」


彼は言葉を選ぶように続ける。


「市民は普通に生活してます。でも、兵の動きが多すぎる」


リディアは黙って聞いていた。


「何もなければいいんですが」


ロークは苦笑する。


「商人の勘ってやつです」


短い沈黙。


「……わかった」


リディアは答えた。


「教えてくれてありがとう」


「いえ。蒼月亭には世話になってますから」


ロークは軽く手を上げた。


「お気をつけて」


リディアは頷き、そのまま歩き出した。


背後で荷車の音が遠ざかっていく。


しばらく進むと、森の密度が徐々に薄れていく。やがて視界が開け、踏み固められた街道が現れた。


王都へと続く道。


リディアは一度だけ周囲を見渡し、そのまま街道へ足を踏み入れた。


街道には、ところどころに荷車の跡が残っている。新しいものも多い。王都との往来が絶えない証だった。


太陽はまだ高い。だが、このまま進めば日が傾く頃には門が見えるはずだった。


彼女は歩みを止めず、そのまま街道を進み続けた。


やがて、遠くの地平線の先に石壁が見え始める。


王都だった。


夕方の光を受けて、石壁が淡く輝いている。


リディアは速度を変えず、そのまま王都へと向かった。


王都。


門の前には兵が立っていた。


確かに多い。


だが、通行は止められていない。


リディアは列に並び、自分の順番を待つ。


やがて兵が問いかける。


「名前は?」


「リディア」


「目的は?」


「買い出し」


兵は袋を確認し、頷いた。


「通っていい」


それだけだった。


リディアは門をくぐる。


王都の中は、普段通りだった。


人々が歩き、商人が声を上げ、店が並んでいる。


子供が走り、荷車が通り、日常の音が重なっている。


「市民は普通だけど……」


小さく呟く。


だが、違う。


空気の奥に、張り詰めたものがある。


兵の立ち位置。


巡回の間隔。


視線の動き。


すべてが、わずかに固い。


表面は変わらない。


だが、何かが動いている。


リディアは歩きながら周囲を見た。


自然な動きで、すべてを確認する。


右。左。前方。背後。


異常はない。


それでも、警戒は解かない。


彼女は歩き続けた。


蒼月亭のために必要な物を手に入れるために。


王都の中へ。

リディアは王都へと到着した。


それは蒼月亭のための、ただの買い出しだった。

だが、王都の空気はわずかに変わっていた。


市民は変わらず生活している。

店も開き、人々も笑っている。


それでも、兵の動きは多く、街の奥に張り詰めたものがある。


それが何なのか、まだ分からない。


リディアはただ、自分の役目を果たすために歩く。


必要な物を揃え、蒼月亭へ戻るために。


だが王都は、静かに何かを隠していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ